2020年9月1日火曜日

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 ここは、小説家を目指してはや幾年の文弱の徒、きうりのホームページ(的ブログ)です。
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群雛文庫『超能力カメラマン内木』1巻の表紙です
(画・バカエルさん

2018年6月12日火曜日

◆コンビニはどうして流行るのか

 コンビニはどうして流行るのか。

 この疑問にはいろんな観点からの考え方があると思いますが、僕は主に「親しみやすさ」が理由だと考えています。

 まず、東北の田舎に住んでいて、スーパーとコンビニの大きな違いとして感じるのは「駐車場と店舗の距離」。

 スーパーは敷地が広いので、駐車場に車を停めてから、店舗まで歩いていく距離がちょっとあります。だけど、それに比べると、コンビニは両者の距離がとても近いです。

 もちろん距離としては大した差はないのですが、このちょっとした距離感が、「コンビニの身近さ」を生み出していると思います。

 また、コンビニは、店舗の狭さも特徴的です。

 その狭さ故、品物の数量は決して多くありません。

 でも、種類は豊富です。日用品はほぼ網羅されていると言ってもいい。

 この「狭さ」と「種類豊富さ」は、必要なものが手の届く範囲に揃っているという感覚をもたらします。

 しかも24時間営業。これもまた、「いつでも開店している」という身近さを生みます。

 コンビニの魅力は、これらの感覚がもたらす、漠然とした「親しみやすさ」にあると思います。

 考えてみると、狭い駐車場に狭い店内、品物の数量はあまりないけど種類は網羅されていて、しかも親しみがある……というのは、ひと昔前の田舎の雑貨屋などを連想させます。

 コンビニって、こういう、田舎の雑貨屋が一周して現代に復活したようなもんだと思うのです。

 もちろん、田舎のように、店主と客がみんな近所同士で顔見知り……みたいな、そういう密着度の高い親密さは、コンビニにはありません。

 ただそれは現代人向けのバランスで、あんまり親密なのもウザいことがあります。逆に、コンビニは、この親しさとよそよそしたのバランスが絶妙なのでしょう。

 造りは親しみやすく、システムは適度によそよそしく。

 これがコンビニの魅力なのです。

2018年6月7日木曜日

◆「次の一歩ノート」挫折と再生

 およそ一カ月くらい前に開発した「次の一歩ノート」ですが、気が付いたら挫折していました(笑)

 自分としてはとってもいいアイデアだと思ったのですが、実際にやってみるといろいろやりにくい部分がありまして。

 で、その「いろいろやりにくい部分」になんとなくつまずいているうちに、三日坊主になりました。厳密に言えば、一週間くらいは続いたので、いわば七日坊主といったところ。

 経験上、こうなった場合は、もう絶対に続かないので諦めることにしています。

 そして諦めがいいかわりに、すぐ新しいやり方を考えるようにしています。

 「次の一歩ノート」の長所とコンセプトを生かしつつ、欠点を補うにはどういうやり方がいいか…。

 それで辿り着いたのは、手書きではなく、エクセルシートを使うという手段です。

 僕はエクセルで、日記と読書記録などなどを書いていますが、それと一緒にしてしまえばいいのではないか?

 手書きの「次の一歩ノート」で挫折したのは、項目を並べ替えたり、付け加えたりするのが難しかったからです。

 それを無理にやろうとすると、ぐちゃぐちゃになってしまうもので。

 でもエクセルなら、並べ替えも簡単にできるはず。

 というわけで、手書きだった「次の一歩ノート」は、エクセルシートを使った「次の一手ノート」に生まれ変わりました。

 もちろん、これも3日坊主になったら、さっさと諦めて別の手を考えるつもりですが…。

 ただ、ときどき思うのですが、新しい習慣って、ゼロからやり始めるのって難しいんですよね。

 たぶん、ふだん自分が何気なくなっている習慣に、ちょこっとだけつけ加える程度。新しい習慣って、その程度から始めるのがいいのだと思います。

 だから、けっきょく自分が毎日つけている日記とワンセットにしてしまうというのは、一番いい選択肢かも知れません。

 「取ってつけたように」やるのは、これも経験上ですが、長続きしないのです。

2018年6月5日火曜日

◆暗殺教室

 『暗殺教室』の単行本を、通して読んでいます。

 もともと大好きな作品でした。ジャンプで連載が始まった時も、妙な漫画だなあと思いながらなんとなく読んでいたのですが、気が付けばもう毎週目が離せなくなっていました。連載終了後も忘れられず、いつか大人買いしようとずっと考えていたのです。

 この作品は、「暗殺+教育」という、主題のトリッキーさが特徴として挙げられることが多かったと思います。僕も最初はそう感じていました。

 でも今、腰を据えて読んでみると、びっくりするほど「ジャンプの王道」であることに気付きます。

 考えてみれば「暗殺」というテーマは「戦闘」につながるわけで、ジャンプの漫画に欠かせないバトル要素はもともと備わっています。

 また「教育」というテーマは、「努力」や「少年少女の成長」にも直結しています。

 キーワードだけ拾ってみても、これは立派な王道少年漫画なわけです。物語のスタート地点はトリッキーでしたが、きっと作者や編集者も、ストーリーを展開させること自体は難しくなかったのではないかと想像します。とにかくテーマがジャンプの路線に従う形でしっかり整っているので、あとはキャラクターを動かしてみるだけで、スムーズに物語が生まれていきそう。

 一方、「教育」がテーマになっている時点で、「少年少女の成長」の描写が現実的というか、地に足が着いたものになっているのも特徴です。

 考えてみると、世の多くの少年少女は、学校という場所で、教師を含めた大人に導かれる形で成長していくわけです。激しいバトルよりも、テストや部活動などを通してみんな成長していくのです。

 学校というリアルな舞台と、それを一見かけ離れているように見える、殺し屋による暗殺という世界を、少年ジャンプの王道という空間で結びつける離れ業。すごいです。

2018年6月2日土曜日

◆仕事のお話

 久しぶりに、一人で落ち込んでました。

 別に何か嫌な出来事があったわけではないのですが、思うところがありまして。たぶん傍から見ると「考えすぎ」なのでしょう。

 どうすれば、仕事をうまくやることができるのか?

 現在のポジションに就いて6年目になりますが、未だに答えが見つかりません。

 僕のポジションは、完全に「一匹狼」です。

 一匹狼というとカッコイイですが、実際には「一人で全部やらなくちゃいけない」「手伝ってくれる上司・同僚・部下もいない」というものです。

 実を言えば、一匹狼というのは、僕の前任者が苦笑いしながら自分で自分のポジションにつけた名称です。まさかその時は、自分がそれを引き継ぐとは思っていませんでした。

 そして現在、僕などは、内心でやっぱり苦笑しながら、自分のことは「大臣」と呼んでいたりします。やりたいと思ったことは、周囲と相談すれば比較的なんでもやらせてもらえる。そういう意味では「力」はあるのかも知れません。だから大臣。しかし一方で、大臣とはたった一人でもあるわけで、そういう立場でいろいろこなさなくちゃいけないのです。

 ですので、時間や精神・体力的な問題から、限界もあります。

 今のポジションに就いたばかりの頃は、どこまでできるのか限界までやってみよう…という思いから、身体を壊すまでチャレンジしてみました。一度あそこで「上限」を見た気がします。

 もちろん、体を壊したとはいえ得たものも大きく、自分なりに実績のようなものも残したし、今までずっとグダグダになっていた部分も、かなり整備できたんじゃないかな~と密かに自負しています。

 先に書くのを忘れていましたが、今のポジションは、たぶん複数ある部署の中でも、一番自分の力を発揮できるところです。だから、やりたいことを、やりたいように、自分なりにどんどんやれる。そういう楽しさのようなものは確かにあります。だから、実績を残すことも、整備することもできたのです。

 とはいえ、異動というものがあります。退職するまで、ずっとこのポジションに居座ることはたぶんあり得ません。

 すると次の課題は、「異動になったら後継の人にいかにうまく引き継ぐか」です。

 これが意外と難しい。仕事の引継ぎの難しさというのは、勤め人なら多くの人が一度は感じたことがあるでしょう。

 まして、僕のように、自分独自の力を限界まで発揮してこなしていたのでは、「僕と同じようにやれ」と後継に言うわけにもいきません。

 理想かも知れませんが、仕事のレベルを、誰にでもできるくらいの丁度いいところまで引き下げて、なおかつ機械的にできるところは機械的に済ませられるように、ますます体制をきちんと整備しなくちゃなりません。

 んで、本題なのですが、そんな思いもあって、最近仕事のレベルをわざと引き下げていました。

 もともと、自分がやるにしても他人がやるにしても、時間・体力・精神的なものをかなり犠牲にしないとこなせない仕事…なんてのはおかしいと思っていたのもありまして。いかに楽して仕事ができるようにするか、をテーマとしていろいろ試みていました。

 しかしそれは、手抜きと紙一重。

 目に見えて仕事の質が落ちているのを見るのは、耐え難いものがあります。

 しかも、良いのか悪いのか、それでも「きうり君はきちんとやっている。今ももちろんそうだ。これからもできる。他にできる人はいない」と、未だに言ってくれる人もいます。

 リップサービスが入っているとしても、ありがたいことです。

 たぶん、傍から見ると、そうとしか言えない部分が多々あるんでしょう。

 リップサービスが入っているとしても、たぶん上記のように仰る人は、嘘を言っているつもりはないと思います。

 でも別に、僕は完璧じゃないですから。

 上記のような言葉をもらうと、至らない点のことが思われてしまうのです。

 先に書いたように、このポジションは、少しは無理をしないとこなせないのです。

 もともとの、与えられている仕事量そのものがおかしいとも言えるのですが。

 今はそれは置いておくとして、とにかく一度限界を見てしまった以上は、今後この仕事を自分がやるにしても自分以外の人がやるにしても、どこかを調整していくしかありません。

 だから、仕事のレベルを下げて「省エネ化」しているのです。

 まとめますと、頑張りすぎても人間には限界があるので続かないし、手を抜いてほどほどにすると、その手抜きぶりから自己嫌悪に陥るし、それでも何故かユルい期待がかけられ続けているので、限界があることにも手抜きをすることにも申し訳なさをおぼえてしまうし。そんな状況なのです。

 これは蛇足ですが、週刊モーニングで『疾風の勇人』が連載されていた頃は、毎週それを読んでやる気になっていたものです。

 主人公である池田勇人が、その能力に期待をかけられて、実力を発揮しつつも、人間的に至らない点などからトラブルを引き起こし、それでも使命感を持って、やるべきこと、やりたいことをどんどんこなしていく…。その姿は僕にとって毎週のカンフル剤でした。あの主人公の姿に、自分を重ね合わせて頑張ることができました。先に、自分のポジションについて「大臣」と表現していた理由も、これでもうお判りでしょう。

 しかし今はもう、『疾風の勇人』はない。

 ちょうど、毎月下旬あたりは仕事の忙しさもピークで、今週は精神的に不安定な状態にありました。今もそうです。珍しく、昨夜は酒飲んで漫画読んでダラダラしてあえて現実逃避していました。やはりこういう時間も必要だなと感じました。

2018年5月29日火曜日

◆肌を焼く(虫刺され、脱毛)

 ブログ、下らないことでもいいから毎日書こうと思っているんですが、だんだん息切れしてきました。2日に一度の更新がせいぜいかも知れない。

 それでも、書く習慣だけは失わないようにしよう…と考えています。

 さて、ちょっと暑い日が続いておりました。

 そのせいか、久しぶりに屋外で虫に刺されてしまいました。

 今年初です。かゆいかゆい。

 でも大丈夫。虫刺されでかゆくなった時は、患部を熱湯で温めてやるとすぐに治まります。

 熱いお湯で、ほんの一瞬ジュッと温めてやる感じ。

 例えば、マグカップに熱湯を注いで、そのカップをジュッとかゆい場所に当ててやるだけでいいです。

 2~3秒で十分。

 知らない人にこの方法を教えてあげても、なかなか信じてくれないのが悲しいのですが…。

 そういえば「熱いもので肌に刺激を与える」といえば、少し前に書きましたワキの下の脱毛の件。

 まだ一度焼いただけですが、明らかに毛の生え方が遅くなりました。

 あと、これは例のクリームのおかげもあるかも知れませんが、臭いも全くと言っていいほどしません。

 本当に、最初の脱毛処理をして以降の約2週間、あの嫌な臭いが鼻に届くことはありませんでした。

 大したものです。

2018年5月27日日曜日

◆「一カ月で三十冊の本を読む方法」

 一カ月で三十冊の本を読む方法…というテーマがツイッターで話題になっていたみたいです。

 せっかくなので、僕なりの方法論をご紹介しましょう。

 僕もこうしたテーマはだいぶこだわってきました。やり方もいろんな変遷があって、今のものに落ち着いています。だからこれからも変わっていくかも知れませんが、とりあえず現時点での方法論です。

 まあ方法論というよりも「心構え」みたいなものですが。

①「一冊通読」=「一冊読了」と考えない。
②漫画の単行本や、雑誌の立ち読みも立派な読書。
③読書記録は「日付」+「タイトル」+「一行感想」で十分。

 まず①について。

 「一カ月で三十冊読むにはどうすればいいか」というテーマには、「一日一冊、しかも毎回新しい本を読むにはどうすればいいか」いう気持が含まれていると思います。

 ところで「読む」という行為は具体的にどんな行為で、どんな結果を示しているのか。

 これは人によって違うでしょうが、たぶん欲張りな人は「一冊の本を通読して、知識を得て、内容を理解して、その本を自らの血肉として、一冊の本の感想だけでブログ記事のひとつくらい書けるようになる」ことを求めているでしょう。

 これはかなり難しいので、もともとこれができていない人は、高望みをやめましょう。

 一日一冊を通読して、その本の内容をしっかり勉強して覚えることは、一日か二日くらいなら続くかも知れません。でもたぶん、普通の人には、毎日続けるのは無理です。

 とはいえ、やり方がないわけではありません。それは以下の3つです。

(1)毎日同じ本を読む。
(2)同じ作者の、似たような内容の本を毎日読む。
(3)できるだけ薄い本を読む。
(4)最初から最後まで通読するのをあきらめる。

 で、この4つのやり方を見て「またまたご冗談を」「それじゃ手抜きじゃないか」と思った方は、固定観念を捨てて下さい。

 どうせ一日一冊ガッツリ読んで学ぶのが不可能なのですから、ハードルを下げましょう。諦めましょう。

 実は(1)(2)は、一冊の本の内容や、一人の作者の考えや、あるいは物語の流れなどを把握するのに一番いい方法です。一冊の本、一人の作者にしつこくしつこくあたるのはすばらしいことです。

 (3)は、どんなに薄い本、薄い冊子でも、差別しないで「本」として読みましょう…ということです。漫画も、同人誌も、雑誌も、漫画雑誌の特定の作品だけの立ち読みも、立派な読書です。どんなものからでも、知識や知恵は得られます。

 (4)は、もともと一冊の本の内容を一気に暗記するなんて不可能なのですから、まずはテキトーでいいだろう、ということです。一行や二行読んだだけでも、それは「読んだ」のであって、全然ウソではありません。

 まえがき、あとがき、目次、まずはこれだけ読んでおけばいいのです。それで、詳細が知りたくなったら、本文を拾い読み・ななめ読みすればいい。

 次に②についてですが、先に書いた通りです。漫画でも雑誌でも、ちょっとした記事でも、立派な読書。「それを読んで何かを得た」つもりになってしまいましょう。この「つもり」が意外と大事。知ったかぶりはよくないけど、「自分はこの一行を読んで、少なくとも昨日よりも成長した」つもりになりましょう。誰に気兼ねする必要もありません。

 最後に③について。読書記録や読書ノートは、書き方について難しく考えると長続きしません。とりあえず「日付」+「タイトル」+「一行感想」だけにしましょう。

 僕の場合、エクセルのカレンダーに日記を書いていますが、その枠外に「1セル1冊」のルールで読書記録をつけています。

 セルの頭にタイトルを書く。
 その下に日付を書く。
 その下に一行以上の感想を書く。

 で、その本をまた読み進めたら、

 さらにその下に日付を書く。
 またその下に一行以上の感想を書く。

 この繰り返し。

 この「1セル1冊」のデータがたまってくると、眺めているだけで楽しくなります。なんか、「読書カード」が整然と拡げられている感覚。ときどき読み返したりして、自由に並べ方を変えたりしていると、いろいろ気付いたりしますよ。

 ちなみに「一行以上の感想」は、別にその本の内容と無関係でも構いません。僕は平気で「電車の中で読んだ」「昼休みに読んだ」「お茶を飲みながら読んだ」とだけ書いたりもしています。

 感想を書く気が起きない場合というのは、自分の中で印象に残る部分がなかったということ。それよりも、どんなシチュエーションでこの本を読んだのか?ということを記録しておいた方が、あとで内容を思い出すのに有効だったりします。

 あと、一行だけでいいと考えた方が、長続きします。

 もっと長い感想は、気が向いた時に書けばいいじゃないですか。

 一行だけでも、とにかく書く習慣があれば、いざというときにしっかりした感想を書くのもハードルが低くて済みますよ。

 最後に、まとめ。

 「読書」は、別に「その本を通読して最初から最後まで暗記して勉強して自分の血肉にする」ことではありません。

 ある本や文章について「読み取る」こと、これが「読書」です。

 読み取る、という言葉もまた小難しげですので、もっと簡単に言えば、ある本や文章と「関わる」ことが読書なのです。

 本や文章というのは、他者です。自分以外の人です。

 自分以外の人と「関わる」とき…つまり、遊んだり話したり交流したりするときに、いちいち相手のことを頭のてっぺんからつま先まで理解する必要はないでしょう。

 大事なのは、その人はどういう性格の人なのか、どういう言動の人なのか、それに対して自分はどういう印象を受けたか、そして今後はどんなふうに付き合っていこうか…ということでしょう。

 それはまた、今までの自分や、これからの自分について考えるきっかけにもなります。

 読書とはそういうものだし、それでいいのです。

 「本を読む」ことのハードルがどうしても高く感じられる人は、まずは書店で背表紙を眺めるだけでもいい。世の中にはこういう本があると知る、興味があるならその本のレビューをネットで読んでみる。そこから始まる(あるいは、そこで終わる)関係でも、その本をまったく読んでいない、その本と関わっていない、交流していない、ということにはならないのです。

 本と関わることは、最も気軽に広げられる人間関係です。遠慮は一切いりません。読書に関して言えば、誰でも「遊び人」になれるのです。一方的に親友を気取っても構いませんし、一夜限りの関係で終わりにして、すげなくフッてしまったって構わない。誰にも気兼ねや遠慮はいりません。どんな本でも、自分の好きなように付き合ってみればいいのです。

 「一カ月に三十冊の本を読む」ではなく、「一カ月に三十冊の本と関わってみる」へ。

 こう考えれば、たぶん読書はもっと気楽に、そして楽しくなります。

※ちなみに、この考え方についての参考文献は2冊。松岡正剛の『多読術』と、ピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』です。