2020年9月1日火曜日

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 ここは、小説家を目指してはや幾年の文弱の徒、きうりのホームページ(的ブログ)です。
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群雛文庫『超能力カメラマン内木』1巻の表紙です
(画・バカエルさん

2018年12月9日日曜日

◆引っ越しと新生活は疲れる(新居日記13)

 この「新居日記」シリーズを読まれている方は、「きうりの奴、新生活が楽しそうだな~」と思っているのではないだろうか。

 実際、自分でも楽しく過ごしていると思う。

 しかしやはり、引っ越しから新しい環境での生活に慣れるまでの間というのは、体力的にも精神的にもこたえるようだ。当人や周囲が思う以上に。

 現在、引っ越しで運び込んだ荷物も、まだ整理が完全には終わっていない。

 それに、東北で「新しい場所での生活に慣れる」というのは、越冬してから初めて言えることなのではないかと思う。

 今朝などは、かなりしっかり雪が降ったが、こういう雪の季節を乗り越えてこそ「新しい環境に慣れた」と言えるだろう。

 だから、見方を変えれば、まだ引っ越しも終わっていないし、新生活に慣れてもいないのである。現在も、新しい環境に翻弄されているのだ。

 さらに、である。

 僕の場合、毎月後半になると仕事が忙しくなり、かなりのストレスがかかる。いつもこのタイミングになると体調を崩すのだ。

 今回、本格的に引っ越しを始めた10月後半というのは、まさにそのタイミングだった。

 その忙しい時期を乗り越えて11月になれば、少しは安定するかと思った。しかし今年は特別で、ちょっと余計な仕事が加わり、11月も激務になってしまった。

 そして12月だ。一年で最も大変な思いをする時期である。僕は、今の業務を任されるようになってから、いつもこの月の仕事を「年末地獄めぐり」と呼んでいる。

 まともに休めていないのだ!

 というわけで、もう一カ月ほど、体調が優れない状態が続いている。

 11月上旬に、いきなり9度の高熱が出た。

 その熱はたった一日で急激に下がったので良かったのだが、それで著しく体力を消耗した。

 やっと体力が戻ったかな~と思ったら、今度はひどい咳が出て、止まらくなった。僕はもともと咳喘息持ちなのだ。

 そこへ来て、膝の筋肉も痛くなってきた。引っ越しの労働が、膝の筋肉に来たらしい。

 整形外科で痛み止めをもらったら、おそらくその副作用なのだろう、咳がますますひどくなった。どうも僕の場合、ピリン系の薬で咳喘息が悪化するタチらしい(実際にはピリン系の薬は今ほどんど?出回っていないそうだが、僕のもらった薬はそういう体質の人に反応するものだった)。

 で、膝の痛みもなくなったので痛み止めの服用を止めて、咳がやっと落ち着いてきたかな~と思ったら、今度は鼻風邪だ。

 ここ数日、鼻汁が止まらない。一日にポケットティッシュをいくつも使い切っている。もう面倒臭いので、マスクの下では鼻の穴にティッシュを突っ込んでいる。ついでに言えば鼻詰まりもひどい。鼻炎スプレーは必須アイテムだ。

 たぶん、この鼻風邪が終着点で、これさえ治ればあとは健康体に戻れるのではないか……と思いたいのだが。

 短期間で、こんなに何回もお医者さんにお世話になったのはかなり珍しいと思う。

 皆さんも、季節柄、体調にはお気をつけて。

2018年12月8日土曜日

◆いろいろと「人生の一区切り」になった出来事(新居日記12)

 平成30年の10月に新居に引っ越そう、と決めた理由は単純である。新居が完成したのが、10月だったからだ。

 前に住んでいたアパートも、同じ月にさっさと引き払うことにした。引っ越しにモタモタしていると、結局アパートの家賃も払い続けなければならないからだ。

 だから、「10月引っ越し」というタイミングになったことに特に深い理由はない。

 それなのに、不思議なことに、なぜかそのタイミングの前後に「人生の一区切り」を感じさせるような出来事が相次いだ。

 つまり、今まで一人暮らしで好き勝手にやってきた人生に対して、神様が「そろそろ人生の進路を変えろ。そのために、お前の周辺の環境をちょっと変えてやる」と忠告しているような……そんな出来事だ。

 いくつか挙げてみよう。

 ①借金を完済した(これのおかげで、新居を建てる際のローンも問題なく借りられたのだと思う)。

 ②通っていたトレーニングジムで、指導のやり方が自分にぴったり合っていたトレーナーが退職した(引っ越した後も、このジムに通い続けるかどうか迷っていたけど、これでジムを退会する踏ん切りがついた)。

 ③グダグダになって別れた元彼女と某所で偶然再会して、いい感じに素っ気ない態度を取られたので、自分の中で区切りがついた(グダグダで終わってしまった不誠実さと、彼女の美人っぷりが何となく心の中でわだかまっていたのだ)。

 ④つりビットの解散(前のアパートでの生活で、つりビットの音楽はけっこう僕の気持ちを支えてくれていたのだけれど、新居に引っ越して間もなく解散が決まった)。

 と、こんな感じ。

 他にもあった気がする。

2018年12月7日金曜日

◆運動をどうするか(新居日記11)

 新居に引っ越してから、今後どうしようかと真剣に悩んでいることがある。

 それは「トレーニングジム通いをどうするか」ということ。

 前に天童に住んでいた時は、アパートからわりと近いトレーニングジムに通っていた。

 そこは、仕事帰りにも寄れる場所にあったので、ちょうどよかった。

 だが別の町に引っ越すことになって、仕事帰りに気軽に寄れるような位置関係ではなくなったので、そのジムは退会した。

 新しい町にもジムはあるので、最初はそこに通おうかと思っていた。

 しかし、仕事帰りにジムに行ってしっかり運動すると、どうしても家に帰るのは夜九時頃になる。

 一人暮らしの時は別にそれでもよかったのだが、妻がいて、共同生活を始めたばかりで、夜九時に帰るのが当たり前みたいな状況になるのもどうかな~と思わなくもない。

 もちろん、仕事が遅くなって夜九時になるというのなら仕方ないと思う。

 ただ、ジムに通うというのは健康のためとはいえ、自分にとっては「趣味」のひとつだ。毎晩、そういう「趣味」で帰りが遅くなるというのもいかがなものかと思うのだ。

 妻と新居生活を始めたばっかりだよ? いろいろと、新しい生活のリズムを構築していくべきじゃん? それを、そっちのけでジム通いにうつつを抜かすって、どうよ? というわけだ。

 だから、今後は「土日だけジムに通う」という感じにしてもいいかな~と思っている。

 僕の休日は変則的とはいえ、基本的には土日が休みなので時間を作りやすい。

 それに、土日なら、天童の実家に遊びに行ったりもできるし、それなら天童に行くついでにジムに行ってもいい。今まで通っていたジムに、土日限定の会員として復帰してもいいような気がする。

 案外、土日限定とすることで、メリハリもできるかも知れない。

 平日、毎日ジムに通うと決めると、結構それが強迫観念みたいになって「毎日行かなきゃ!」という変な焦りが出てくるのだ。

 でも、土日以外は行かなくていいと決めてしまえば、気が楽である。

 我ながらいいアイデアだと思う。もうちょっとだけ生活リズムの様子を見て、問題ないようならこのプランで行こう。

 とはいえ、平日はジムに行かないとしても、運動を全くしないというのもつまらない。家で軽く運動ができるような器具を買おうかな、とも考えている。

 ブルワーカーとか、スクワットマジックとか……。

2018年12月6日木曜日

◆引っ越しは「濾過」作業でもある(新居日記10)

 いわゆる「引っ越し魔」の人の心理というのは、よく知らない。

 たとえば、ベートーベンとか色川武大などは引っ越し魔だったそうで、なるほど創作者というのは一カ所に止まり続けないものなんだな……と勝手なイメージを抱いたりはしている。が、本当にどういう心理が彼らの中で働いているのかは、とにかく知らない。

 でも、引っ越しの魅力、利点、長所は分かった。

 それは「断捨離が進む」ということ。

 なぜか、引っ越しをすると、前の生活で「必要」だと思っていたものが急に「不要」になってしまうことが多い。

 例えば、それまでは存在していて当たり前だった必需品や小物を、段ボール箱に詰めて新居に移動したとする。

 でも、その段ボール箱が、引っ越し後すぐに開封されるとは限らない。新しい生活が始まると、なんとなくバタバタしているもの。最低限の生活必需品さえそろえば、他の荷物は「そのうち片付けよう」と思って放っておくことも多い。

 そしてしばらくしてからその段ボール箱を開けると、「あれっ、前の暮らしでは必需品だと思ってたけど、これいらないかも? 捨てちゃおうかな……」という気持ちになったりする。

 あるいは、新しい生活で、全体のモノの配置がちょっと変わったりするだけで、それまで必需品だったものが途端に不要になってしまうこともある。

 たぶん、引っ越しを経験したことがある人にとっては、こういった現象はお馴染みのものだろう。僕も今回の新居への引っ越しで、この現象を久しぶりに体験した。

 こうして、断捨離が進んでいく。

 僕は断捨離というよりも、生活というフィルターを通して、不要物が「濾過」されていくというイメージなんだけれども。

 この「濾過」されていく感覚を逆手に取って、しばらくの間、不用品の処分を積極的に進めていきたい。

 どういうことかというと、引っ越ししたばかりの新鮮な気持ちを失わずにいれば、前の生活で必需品だと思っていたものも、割り切ってどんどん処分できるのではないか……ということだ。

 まだ、段ボール箱がいくつか残っているもので。

2018年12月3日月曜日

◆家庭生活は政治である(新居日記9)

 もし今の僕が「家庭生活をスムーズなものにするには、どんな本を読めばいいか?」と問われたら、こう答えると思う。

 「政治家の伝記や、活動記録の本を読みなさい」。

 家庭生活と政治の世界なんて、無関係に思えるかも知れない。

 だけど、考えてみると、家庭にだって家計という名の経済がある。子育てや介護という名の福祉がある。ご近所や隣人、はたまた家族内でのお付き合いという外交がある。家事という労働がある。習慣や約束というルールがある。ゴミ処理や片付けという環境問題がある…。

 政治に、国民の生活を守る役割があるのなら、国民の生活は政治のセクションや役割の分担の相似形であり「縮図」なのだ。

 そう考えると、反対に、政治の世界は僕らの家庭生活の「拡大図」であるとも言えるのではないか?

 家計を司るあなたは、家庭内の財務省。子育て、介護、家事に奮闘するあなたは厚生労働省。近所づきあいをこまめにするあなたは外務省……。そんな風に考えてみたらどうだろう(もちろん、家族一人ひとりに、縦割りに役割を割り振れるわけではないけれど)。

 だから、官僚や大臣たちの動きというのは、ふだん家事労働にいそしむ僕ら家族の動きと、共通するものがあると思うのだ。

 政治家の伝記や活動記録の本をパラパラと眺めていると、政策というのも結局、一番の土台は「政治家の人間関係」に尽きるのだと分かる。よく言われることだが、意外なほどに……というか、極端な程に人間臭い世界なのだ。

 ならば僕ら国民の家庭はどうだろう? 家庭生活というのも、結局のところ、家族との人間関係が土台にあって、それによって成り立っているものではないだろうか。狭い建物の中で展開される、閉鎖的な人間関係。人間臭さの極みをそこに感じるのではないか。

 家庭と政治は、よく似ている。

 だから政治家の伝記や活動記録は、意外なほどに、スムーズな家庭生活を構築するのに役に立つと思う(たぶんそれは、仕事でも役に立つだろう)。

 ちなみにこれは、独り暮らしでも同じことである。全ての家事を一人でこなしているとしても、家事には掃除、炊事、洗濯などさまざまなジャンルがある。それらを一人で請け負っているあなたは、いわば「兼務」をしている政治家なのだ。

2018年12月2日日曜日

◆「男性の服は大きくて重い」(新居日記8)

 妻曰く「男の人の服は、こんなに大きくて重いのかとびっくりした」とのこと。

 新居での生活で、洗濯は妻がぜんぶやっている。

 一応断っておくと、押し付けているわけではない。

 ただ、独り暮らしが長かった僕の場合、洗濯のやり方は適当だ。柔軟剤とか、使ったこともない。

 一方、妻は、洗濯をするのなら洗剤とか柔軟剤とかをバランスよく使って、きちんとこなしたい派なのだそうだ。だから「きうりさんには任せておけない」ということなのである(ついでに言うと、ワイシャツとハンカチもアイロンをかけないと我慢できないそうだ……)。

 で、そんな感じなので、僕の服の洗濯もぜんぶ妻に任せている。

 たぶん、妻も、そうやって男性の服の洗濯を一手に引き受けるのは初めてなのだろう。

 「男性の服」というものは、全体的に布地が大きく、広げるのも、干すのも、持ち上げるのも、女性の服と比べると力が必要になるのだそうだ。

 何をそんな、たかが布切れの大きさくらいで大げさな……と思わなくもない。

 だが確かに、そう言われてから、干してある服を観察してみると気付くことがある。

 女性ものの服というのは布地が薄く、サイズも小さめに作られているような気がするのだ(もっとも女性用でも、あえて「大きいサイズ」と呼ばれる服は存在するようだが)。

 そして、さらに考えてみると、洗濯というのは服を水で洗う行為である。

 男性の服が水を吸ったら、確かに、薄い布と軽い重量の服に慣れている女性にとっては、とても重く感じられるかも知れない。

 なんてことのない話だ。

 「男性の服は、女性の服よりも大きくて重い」。僕はその事実に驚いたのだった。

 だから妻も、「重くて大変」なのであれば、もうちょっと僕に任せてくれてもいいのにね。