2020年9月1日火曜日

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群雛文庫『超能力カメラマン内木』1巻の表紙です
(画・バカエルさん

2018年8月7日火曜日

◆『月刊?きうり』第3号できました

 『月刊?きうり』の第3号ができました。こちらからダウンロードして読むことができます。よかったらどうぞ。

 本当は先月出すつもりだったのですが、果たせずに8月の発行となりました。

 できれば今月、続けて4号を作って追いつきたいところです。

2018年6月30日土曜日

◆ラブパレード事故(2010年・ドイツ)

 かつて、ドイツではラブパレード(Love Parade)という野外音楽イベントが毎年開催されていた。なんでドイツなのに英語表記なのか、その理由は不明である。とにかく開催されていた。

 このイベントの歴史を簡単に辿っておこう。最初に行われたのは1989(平成元)年だった。東西ドイツの統一直後、壁が崩壊したばかりのベルリンで、約150人が平和運動の一環としてデモ行進をしたのだ。

 それが、なぜか音楽イベントへと発展していった。毎年開催するたびに参加者数も増えていき、1999(平成11)年には150万人を突破。大音響スピーカーを搭載した大型トレーラー「フロート」数十台と共に、参加者たちはブランデンブルク門から延びる大通りを歌って踊って練り歩く。いつしか、ラブパレードはドイツを代表する観光イベントとなっていた。

 しかし、大規模になればいろいろ問題も出てくる。当初の目的である「平和デモ」という性格が完全に忘れられたのは致し方ないとしても、開催するたびに、毎度毎度膨大な量のゴミを置き土産されるのはベルリン市にとってはたまらなかったようだ。ついに市から開催を拒否られ、スポンサーからの資金援助もストップし、初の開催中止へと追い込まれたのが2004(平成16)年のことだった。

 それでも2007(平成19)年にはまた復活。再開を求める声がよほど多くあったのだろう。今度は、ルール工業地帯のそれぞれの都市が持ち回りで行うことになった。おそらく開催地としては、観光イベントとしての集客効果をあてにしていたところもあったろう。

 だがしかし、またしても2009(平成21)年には中止となった。あまりの人の多さに、現場が対応し切れないということになったのだ。そしてまた復活した翌年の2010(平成22)年に、今回ご紹介する凄惨な事故が起きた。

 ここまでの経緯を、群集事故の観点から見てみると、既になんとなく事故の予兆みたいなものが散見されて興味深い。対応できないほどの参加者の多さ、コロコロ変わる会場、大量のゴミ問題から推測されるモラルの欠如…。これらの課題を完全に制御できないまま、無理を押して開催したことで事故は発生したのである。

   ☆

 さて、2010(平成22)年7月24日のことである。

 この年のラブパレードの会場は、ドイツ西部のデュースブルク市だった。デュッセルドルからほど近い都市で、人口は約50万人。ルール工業地帯の主要都市のひとつである。

 この町の貨物駅の跡地に、廃駅を改造した特設会場が設けられた。会場面積は23万平方メートル。約30万人の収容が可能だった。

 ここで、会場へのメインルートについて簡単に説明しておこう。このルートの構造が事故と深く関係してくるのだ。

 まず、長さ200メートル、幅20メートルのトンネルが東西に延びており、両側に出入口がある。そして、出入りはどちらからでも可能だった。このトンネルを含め、メインルートは完全に歩行者用である。そしてトンネルの中央あたりに、北向きの出口がある。そこから外に出ると「ランプ」と呼ばれる坂道が延びており、それを上ることで会場に出られるという造りだった。

 つまり、T字型の通路を想像してもらうといい。横棒がトンネル、縦棒がランプと呼ばれる坂道である。

 さらに、もうちょっとだけ三次元的に説明しておこう。

 東西に延びているトンネルというのは、実際には地面の下に掘られた「地下道」のようなものだった。よって、そこからランプに出るのは、いわば道路のアンダーパスをくぐって地上へ出るときのような感じである。想像できるだろうか。ポイントは、こうした地形ゆえに、ランプの周辺は壁に挟まれており「逃げ場がなかった」という点である。

 ついでにもうひとつだけ。この「トンネル+ランプ」のメインルートは、会場へ向かう「往路」であると同時に「復路」でもあった。イベントを楽しんだ人々は、もと来たルートを逆戻りして会場を出られるという造りだったのだ(このあたりの構造については、当時の動画で確認すればさらに分かりやすいと思う。検索するとすぐに見つかる)。

 祭典が始まると、さっそく大勢が訪れて出たり入ったりした。最終的な来場者数は、資料から推測するに、だいたい46万人前後だったようだ(※1)。

(※1・もともと主催者は70~80万人の来場を見込んでいたらしい。後日、140万人が来場したと発表されたが、実はそれは三倍に水増ししていたことが判明している。だから割る3で46万人かな、と。)

 最初は大きな混雑もなく、人の流れも順調だった。ところが会場ではフロートの動きが遅く、それに伴って人混みがスムーズに動かなくなってきた。これが16時頃のことである。

 そこで主催者側は一計を案じた。「ランプをいったん閉鎖しよう!」ランプの真ん中には仕切りのフェンスがある。現場で警備にあたっていた警察は、指示を受けてそのフェンスをバタンと閉じた。もう通れない。

 さらに、ランプの手前のトンネルも、東西それぞれの入口を封鎖した。参考資料では「主催者側の係員が閉鎖した」とあるが、当時の動画を観ると、警察か軍隊っぽい制服を着た人たちが通せんぼしている形である。

 つまり、トンネル内部と、ランプの半分ほどまでを完全に封鎖したのである。これにより、T字型のメインルートの中からは、ほとんど人がいなくなったという。

 ……と、ここまで書いておいてなんだが、実はこの「メインルートを封鎖する」ことによって、どうしてそこから人がいなくなるのか、資料を読んでも筆者にはよく分からなかった。出る人だけ出して、新たに人が入らないようにしたということだろうか。

 とりあえず、ここでの要点は「主催者側が勝手に通路を閉鎖して、混雑を解消しようとした」ということである。

 当研究室で、群集事故の項目をいくつか読んだ方は、ここでピンと来るかも知れない。群衆整理の際は、「途中で勝手にルールを変える」のは御法度である。会場が想像以上に混雑したからといって、急に出入り口を封鎖したり、並ぶ場所を変えたり、順路を変更したりすると、群衆というのは意外とあっさり暴徒化するのだ。これは歴史の法則である。

 そして、ラブパレード会場でもそれは起きた。「なんでメインルートを封鎖するんだ!通れないやんけ!」とばかりに、群集がトンネルの東西の入口を突破したのだ。

 資料の内容から察するに、だいたい16時45~50分頃だろうか。閉鎖していた反動で、トンネル内にドドッと人が押し寄せた。そしてトンネルからランプまでの範囲が、急に来場者で膨れ上がったのだ。言わんこっちゃない。

 それでも、この群集がスムーズにランプを通過してくれれば、特に問題は起きないはずだった。ところがこれがうまくいかなかったのだ。

 先述した通り、この時ランプはフェンスによって「閉鎖」されていた。トンネルにはフェンスはなかったので、警備の人を押しのければ通せんぼの突破も簡単だったろうが、ここではそうもいかない。群集はランプ内で立往生となった。

 さらに、ここで混乱に輪をかける出来事が起きた。会場があまりに混雑していたため、早めに帰ろうとする集団がランプに押し寄せたのだ。これについては、会場で早めの退出を呼びかけるようなアナウンスもあったとかなかったとか。

 弥彦神社事故のパターンである。群集の往路と復路が完全に分かたれていなかったため、来場者と退場者の集団が衝突したのだ。

 時刻は17時頃。ランプは、ここからがぎゅうぎゅう詰めの地獄絵図となった。結論を先に言うと、この混雑により21名が死亡、500名以上が負傷している。

 当時現場にいた人の証言。「あちこちに真っ青になった人たちがいました。私のボーイフレンドがあの人たちの体の上に私を引き上げてくれたんです。そうしてくれなければ私たちは2人ともあそこで死んでいたでしょう」

 他の群集事故と比べてちょっと興味深いのは、このラブパレード事故では「事故の瞬間」とも呼べるタイミングがないという点だ。他のケースでは、誰かが転倒したり将棋倒しが発生したりと「その時歴史が動いた」的な瞬間があるものだが、この事故ではそれはない。資料を読んでいると、逃げ場がない空間で群集がもみくちゃになっているうちに、そこここで続々と死人が出たような印象を受ける(※2)。

(※2・当時の日本でのニュース記事を読むと、将棋倒しという言葉が多く使われている。特に日本について言えば、ぎゅうぎゅう詰めの圧死でも群集雪崩でも、とにかく群集事故ならばぜんぶ「将棋倒し」と書くのだろう。)

 ただ、逃げ場が皆無だったわけではない。ランプの横には地上に通じる階段があった。しかしこれも幅が狭くフェンスで閉鎖されており、普通の脱出ルートとしては使えなかった。

 むしろ、この階段のせいで圧死者が増えたとも言える。ランプの混雑がひどくなったことで、多くの人が逃げ道を求めて階段を目指したのだ。このため群集の圧力が偏ったのである。中には電柱や鉄塔をよじ登ったり、地上から引き上げてもらったりした人もいたようだが、それは幸運な例だろう。

 また、現場には転倒を誘発しかねない凹凸もあったとか。将棋倒しのような派手な転倒は起きていないとはいえ、これも事故の発生の一因になったのかも知れない。

 それにしても、こんな状況になって、一体全体主催者や警備の人は何をしていたのだろう? それがよく分からない。たぶんランプのフェンスを開放して混雑を解消しようとか、来る人と帰る人を分けようとか、何か手を打とうとはしたと思うのだが……。

 この、現場の責任者たちが「一体何をしていたのか」は、2018(平成30)年6月現在で不明である。とにかく資料がない。また後述するが、この事故の裁判は最近始まったばかりで、公的な責任追及も端緒についたばかりなのだ。

 さて皮肉なことに、ラブパレードは、この事故が起きた年に初めてネット動画による生中継を実施していた。ライブストリーミングというやつだ。しかし、事件が発覚した18時頃には中継は全て切断され、公式サイトには以下のような文言が表示されたという。

“Our wish to arrange a happy togetherness was overshadowed by the tragic accidents today.”
(幸福な結束をもたらさんとする我々の願いは、今日の悲劇により絶たれた。)

 あわせて、公式サイトでは、参加者の安否を確認するためのホットラインの番号が掲載された。またツイッターでも安否確認の訴えが多く書き込まれたという。

 テレビでもイベントの模様を生中継していたが、事故の発生により、途中からはそのままニュース速報番組になってしまった。この当時の番組も、検索すれば動画で観ることができる。ドイツ語なので何を言っているかはさっぱり分からないが、途中からアナウンサーが神妙な面持ちになっており、事故の発生を報道しているのが何となく分かる。

 イベントそのものは23時まで続けられた。実際には午前0時きっかりに終了する予定だったというから、終了は1時間早まったわけだ。事故当時、すでに会場に入っていた観客には事故の情報は伏せられ、何も知らずに夜まで踊り続けていた人もいたとか。

 「死者が出たのにイベントを続けるとは何事だ!」と憤る向きもありそうだ。だがもしイベントを即座に中止していたら、現場はますます混乱したに違いない。

   ☆

 さて、事故の責任は誰にあるのか。さしあたり「容疑者」と言えるのは、イベントの主催者、警察、デュースブルク市の3者である。それぞれの主張は次の通りだ。

イベント主催者
「警察が悪い! トンネルとランプをちゃんと閉鎖して、混雑を止めるようにお願いしてたじゃないか!」

警察
「俺たちは1,900人を動員してきちんと警備にあたっていた。現場の警備責任は主催者にある。俺たちも、会場の安全については危険が伴うし不安があるっていろいろ意見を出してたじゃないか!」

デュースブルク市の市長
「私は確かにラブパレード開催にはこだわりを持っていた。イベントをキャンセルすべきだという意見があったのも事実だ。しかし私は悪くない! 辞めないぞ!」

 といったあんばいである。

 このままでは埒が開かないとみてか、9月30日には、事故で怪我をした人が訴訟を起こした。主催者に対して損害賠償を求める内容である。ただ実際には賠償そのものは目的ではなく、とにかく責任の所在を明確にせんがためのものだったらしい。

 この訴訟がどのような経緯を辿ったのかは不明である。ともあれ、イベント関係者4名と市の関係者6名が、過失致死と過失致傷で訴追されたのが2014(平成26)年2月のこと。そして、この10名について裁判が始まったのが2017(平成29)年の12月である。ついこの間だ! しかも時効が2020(平成32)年に迫っているというのに、被告は全員が無罪を主張しているというから悩ましい。戦後ドイツでは最大規模の裁判になるだろうとも言われている。

 つまりこのラブパレード事故は、いまだ「歴史」とはなっていないのである。それが、内容をまとめにくくしている一因になっている。実際、事態そのものがまとまっていないのだから仕方ない。

 とはいえ、もはや10年ほど前の、しかも海外での事故である。裁判の結果がどうなっても、それが日本で大きく報じられることはおそらくないだろう。今度も見落とすことなく情報をチェックしていきたい。

 ちなみに、ラブパレードは2011(平成23)年以降は永久に中止となった。主催者側の決定である。

 しかし、このイベントはよほど多くの人を魅了したらしい。ネット上で調べていたら、2012(平成24)年7月に「B-Parade」という名称で復活するとかしないとかいう情報を見つけた。おそらく主催者は別の人なのだろう。ただこれもやけに情報に乏しく、本当に開催されたのか、どれくらい盛り上がったのか、その後も続いているのかどうかは全く不明である。

 とりあえず、「ラブパレードの懲りない面々」くらいのことは言えそうだ。

【参考資料】
◆岡田光正『群集安全工学』鹿島出版会、2011年
◆サイト「ドイツと日本のまちづくり」
http://abej.sakura.ne.jp/index.htm
◆ドイツの音楽イベントで観客多数が転倒、死傷者多数
http://www.afpbb.com/articles/-/2742694
◆2010年のラヴパレード圧死事故をめぐって、関係者10名が訴追される
https://rockinon.com/news/detail/97144
◆21人の命を奪った”LOVE PARADE”の悲劇に関しての裁判が始まる
https://www.mixmag.jp/news/171209-love-parade.html
◆「ラブパレードの復活か?」と囁かれているベルリンの「B-Parade」とは一体何なのか
https://buzzap.jp/news/20120618-b-parade2012/
◆ウィキペディア

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2018年6月24日日曜日

◆『月刊?きうり』第2号できました

 先月から発行し始めた『月刊?きうり』の第2号ができました。こちらからダウンロードして読むことができるはずです。よかったらどうぞ。

 やっぱり、いつ出来上がるとも知れない文章をだらだら書いているのはいけませんね。期限とか文字数とかを、ある程度決めておいた方が、文章を書く作業というのはかえってはかどるし、まとめやすい。

 『月刊?きうり』の作成は、そうしたことを踏まえつつ、自分で自分を実験台にする試みです。今後は、これを踏まえて、もっとうまいやり方で文章をたくさん書いていきたい…。

 ブログも、しばらく更新を続けていましたが、またストップしちゃったし。これについては対策を考えています。

 Wixというのを使ってホームページ作成も試してみたのですが、これも結局は三日坊主。「自分にこれは合わない」ということが明確になっただけでした(「だけ」と言っても、それが分かっただけでも僕にとっては収穫でした)。

 模索は続きます。

 まずは、よかったら『月刊?きうり』の第2号をどうぞ。

2018年6月12日火曜日

◆コンビニはどうして流行るのか

 コンビニはどうして流行るのか。

 この疑問にはいろんな観点からの考え方があると思いますが、僕は主に「親しみやすさ」が理由だと考えています。

 まず、東北の田舎に住んでいて、スーパーとコンビニの大きな違いとして感じるのは「駐車場と店舗の距離」。

 スーパーは敷地が広いので、駐車場に車を停めてから、店舗まで歩いていく距離がちょっとあります。だけど、それに比べると、コンビニは両者の距離がとても近いです。

 もちろん距離としては大した差はないのですが、このちょっとした距離感が、「コンビニの身近さ」を生み出していると思います。

 また、コンビニは、店舗の狭さも特徴的です。

 その狭さ故、品物の数量は決して多くありません。

 でも、種類は豊富です。日用品はほぼ網羅されていると言ってもいい。

 この「狭さ」と「種類豊富さ」は、必要なものが手の届く範囲に揃っているという感覚をもたらします。

 しかも24時間営業。これもまた、「いつでも開店している」という身近さを生みます。

 コンビニの魅力は、これらの感覚がもたらす、漠然とした「親しみやすさ」にあると思います。

 考えてみると、狭い駐車場に狭い店内、品物の数量はあまりないけど種類は網羅されていて、しかも親しみがある……というのは、ひと昔前の田舎の雑貨屋などを連想させます。

 コンビニって、こういう、田舎の雑貨屋が一周して現代に復活したようなもんだと思うのです。

 もちろん、田舎のように、店主と客がみんな近所同士で顔見知り……みたいな、そういう密着度の高い親密さは、コンビニにはありません。

 ただそれは現代人向けのバランスで、あんまり親密なのもウザいことがあります。逆に、コンビニは、この親しさとよそよそしたのバランスが絶妙なのでしょう。

 造りは親しみやすく、システムは適度によそよそしく。

 これがコンビニの魅力なのです。

2018年6月7日木曜日

◆「次の一歩ノート」挫折と再生

 およそ一カ月くらい前に開発した「次の一歩ノート」ですが、気が付いたら挫折していました(笑)

 自分としてはとってもいいアイデアだと思ったのですが、実際にやってみるといろいろやりにくい部分がありまして。

 で、その「いろいろやりにくい部分」になんとなくつまずいているうちに、三日坊主になりました。厳密に言えば、一週間くらいは続いたので、いわば七日坊主といったところ。

 経験上、こうなった場合は、もう絶対に続かないので諦めることにしています。

 そして諦めがいいかわりに、すぐ新しいやり方を考えるようにしています。

 「次の一歩ノート」の長所とコンセプトを生かしつつ、欠点を補うにはどういうやり方がいいか…。

 それで辿り着いたのは、手書きではなく、エクセルシートを使うという手段です。

 僕はエクセルで、日記と読書記録などなどを書いていますが、それと一緒にしてしまえばいいのではないか?

 手書きの「次の一歩ノート」で挫折したのは、項目を並べ替えたり、付け加えたりするのが難しかったからです。

 それを無理にやろうとすると、ぐちゃぐちゃになってしまうもので。

 でもエクセルなら、並べ替えも簡単にできるはず。

 というわけで、手書きだった「次の一歩ノート」は、エクセルシートを使った「次の一手ノート」に生まれ変わりました。

 もちろん、これも3日坊主になったら、さっさと諦めて別の手を考えるつもりですが…。

 ただ、ときどき思うのですが、新しい習慣って、ゼロからやり始めるのって難しいんですよね。

 たぶん、ふだん自分が何気なくなっている習慣に、ちょこっとだけつけ加える程度。新しい習慣って、その程度から始めるのがいいのだと思います。

 だから、けっきょく自分が毎日つけている日記とワンセットにしてしまうというのは、一番いい選択肢かも知れません。

 「取ってつけたように」やるのは、これも経験上ですが、長続きしないのです。

2018年6月5日火曜日

◆暗殺教室

 『暗殺教室』の単行本を、通して読んでいます。

 もともと大好きな作品でした。ジャンプで連載が始まった時も、妙な漫画だなあと思いながらなんとなく読んでいたのですが、気が付けばもう毎週目が離せなくなっていました。連載終了後も忘れられず、いつか大人買いしようとずっと考えていたのです。

 この作品は、「暗殺+教育」という、主題のトリッキーさが特徴として挙げられることが多かったと思います。僕も最初はそう感じていました。

 でも今、腰を据えて読んでみると、びっくりするほど「ジャンプの王道」であることに気付きます。

 考えてみれば「暗殺」というテーマは「戦闘」につながるわけで、ジャンプの漫画に欠かせないバトル要素はもともと備わっています。

 また「教育」というテーマは、「努力」や「少年少女の成長」にも直結しています。

 キーワードだけ拾ってみても、これは立派な王道少年漫画なわけです。物語のスタート地点はトリッキーでしたが、きっと作者や編集者も、ストーリーを展開させること自体は難しくなかったのではないかと想像します。とにかくテーマがジャンプの路線に従う形でしっかり整っているので、あとはキャラクターを動かしてみるだけで、スムーズに物語が生まれていきそう。

 一方、「教育」がテーマになっている時点で、「少年少女の成長」の描写が現実的というか、地に足が着いたものになっているのも特徴です。

 考えてみると、世の多くの少年少女は、学校という場所で、教師を含めた大人に導かれる形で成長していくわけです。激しいバトルよりも、テストや部活動などを通してみんな成長していくのです。

 学校というリアルな舞台と、それを一見かけ離れているように見える、殺し屋による暗殺という世界を、少年ジャンプの王道という空間で結びつける離れ業。すごいです。