1968(昭和43)年7月14日のことである。
場所は兵庫県姫路市広畑区の東新町という地区の踏切(正式名称は山陽電鉄富士鉄中門踏切)で、そこへ午前7時20分頃に一台のマイクロバスがに進入。通過するために突き進んでいた。
このバスに乗っていたのは土木作業員たちである。おそらく出勤しようとしていたのだろう。
問題は、この踏切では当時、警報機が鳴っていたという点である。そこへ網干行き普通電車が走ってきて衝突、マイクロバスに乗っていた運転手1名と乗員6名の計7名が死亡した。
死亡したバス運転手というのは33歳の男性だった。彼はなぜ、警報が鳴っている踏切に進入しようとしたのだろう?
当人が亡くなってしまったのでもちろん真相は分からないが、手掛かりになる事実はあった。彼は過去に交通事故を6件起こした経歴を持っており、しかも今回の死亡事故を起こす直前にも信号無視の交通違反をしていたのだ。
このことを手掛かりにして単純に推測すれば、亡くなった運転手はもともとこういう違反行為を起こしやすい人だったのかも知れない。また、事故を起こした日の朝は、出勤ということで運転を急いでいたのではないだろうか。それで赤信号を突っ切り、踏切も待ち切れずに突っ切ろうとしたが間に合わなかった、ということなのかも知れない。もちろんこれは想像である。
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