谷川岳宙吊り事故(1960年)

  事故そのものよりも、遺体の収容作業そのものが伝説級となってしまったケースである。今だったら、SNSで炎上必至のいわゆる「迷惑遭難」の最たるもの、とも捉えられるかも知れない。

 とはいえ、いろんな意味で時代を感じさせるとのと同時に、微妙な分かりにくさも気になる事例だ。

 まずは経緯を追っていこう。

 

「宙吊り」発見の経緯

 1960(昭和35)年919日、午前8時半頃のことである。

 新潟県と群馬県の県境にある谷川岳を、東京地下鉄山岳会のメンバーの男性が登っていた。彼は「一ノ倉沢五ルンゼ」という、溝状の地形をなす箇所に足を踏み入れようとしていたところだった。

 そこで、落石の音とともに人の叫び声が聞こえた。しかし、いわゆる山ガスのせいで見通しは聞かない。

「どうした?」

 男性が呼びかけると、

「横浜のカタツムリだ。二人のうち一人が落ちて死んだ。救助を頼む」

 と返事が返ってきた。カタツムリというのは、山岳会の名称である。どうやら当時は、こういう場合に山岳会の名前を名乗るのが一般的だったらしい。

 さて、救助を頼むと言われても、ガスのせいでどこで何が起きているのかも分からない。男性は、「場所はどこだ」とさらに問いかけたものの返事はなかった。

 なんだよ、せっかく登ろうとしてたところだったのに。と男性が思ったかどうかは知らないが、彼は仕方なく下山することにした。しかし途中で転んだ際、山岳会の名前がなぜか頭の中で「ドングリ」に置き換わってしまった。

 やがて彼はマチガ沢に差しかかった。そこは険しい岩肌が特徴的で、一ノ倉沢と並ぶロッククライミングやバックカントリスキーの難所である。と同時に初心者でも安心して利用できるハイキングコースでもあり、当時はそこに群馬県営の救護舎があった(ちなみにマチガ沢は群馬県みなかみ市にあたる)。男性はここで通報した。

「……というわけで、遭難した人がいるみたいです。所属山岳会は、ええと、ドングリと言っていたような」

「はいドングリね」

 この勘違いが、後に遭難者の身元確認で混乱をもたらすことになった。

 二人の谷川岳警備隊員がやってきて、男性と合流して現場へと向かう。で、声が聞こえたあたりに戻って何度か呼びかけたものの返事はなかった。

 正午ごろ、谷川岳警備隊の青山成孝がふと「衝立岩」を見上げた。

 衝立岩は、一ノ倉沢の右岸にある高さ250メートルの岩壁である。現在は「衝立岩正面壁雲稜第一ルート」と呼ばれており、当時は国内最難関とも呼ばれていたという。その途中に第一オーバーハングがあり、さらにその上に第二オーバーハングというのがあるのだが、第二から第一にかけて垂れ下がっている一本の赤いザイルがあった。

 

※オーバーハング…下部よりも上部が張り出している構造。『もーれつア太郎』に出てくるデコッ八のオデコの形状や、『魁!!男塾』で田沢と松尾が落下した地形を想像すると分かりやすい。

※ザイル…登山用の頑丈なロープ。現代では「クライミングロープ」と呼ぶ。

 

 青山は我が目を疑った。ザイルの先っちょに人間がぶら下がっている。

「おいあれ、人間じゃないか」

「あっ、人間だ!」

 三人は近づいて、声を張り上げて呼びかける。しかし返事はなかった。

 遭難者はザイルに片足が絡みついており、振り子のように揺れている。しかも宙吊りになっているのは一人だけではなく、別のクライマーの姿も見えた。こちらも、いくら呼びかけても返事がない。

 位置的には、衝立岩の第一オーバーハングの下に一人、さらに第一と第二の間のあたりに一人、という感じだったようだ。

 参考資料でざっと高さを計算してみると、地上から第一オーバーハングまでは少なくともおよそ40メートル、第一と第二オーバーハングの間は50メートルくらいとみられる(あまり正確な計算ではない、念のため)。

 その間で二人の人間が、一本のザイルの両端に、いわばアメリカン・クラッカーのような形でぶら下がっていたわけだ。遭難者が風に吹かれて揺れ、回転しているのを見ていると、どうしてもまだ生きているような気がしたという。

 遭難者を発見した三人はそこで昼食を採り、改めて何度も呼びかけたがやっぱり返事はなかった。

 当時は遠隔地の通信手段に伝書鳩が使われていた。それで泰一発見者の青山が連絡し、午後一時には沼田警察署に事故の一報が届いている。

 そして、土合の警察隊本部が登山者カードをチェック。先述のカタツムリとドングリの取り違えで少し混乱があったものの、遭難したのは横浜蝸牛山岳会のNとHであることがはっきりした。

 NとHは腕利きのクライマーで、山岳会の中でも将来を嘱望された存在だったようだ。事故前日の18日の朝7時には、二人が衝立岩に取り付いているのが他のパーティに目撃されている。

 次なる問題は、いかに二人を救助するか――以下に遺体を収容するか――だった。

 

(つづく)

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