日本一の大河・信濃川に架かる萬代橋。今回ご紹介する事故はここで起きた。
まずは、橋の歴史を少しだけおさらいしておこう。
もともと萬代橋は1886(明治19)年に造られ、最初は「ヨロズバシ」「バンダイバシ」の二通りの名称が用いられていた。1890(明治23)年の地図で「バンダイバシ」が採用されて今に至っている。
最初は、通行にあたり一銭を徴収される「有料」の橋だったという。「お金取るの!?」という感じだが、それも仕方なかった。木造だったので補修費がかさんでいたのだ。
で、結局、建築後十年以上たった頃には管理が難しくなり、1900(明治33)年には新潟県が15,900円で買収して通行も無料になった。当時は、鉄道の開通によって橋の重要性も増していた。
ところが1908(明治41)年に火災で半分が焼失し、翌1909(明治42)年に二代目として修理(架け替え?)が行われている。
1927(昭和2)年には、また修理(架け替え?)が行われた。この、いわば三代目にあたる橋で惨劇が起きたのだった。
その日は1948(昭和23)年8月23日、信濃川の花火大会が開催されていた。現在の「新潟まつり」の前身にあたる「川開き」というイベントの二日目に行われたものだった。
戦後すぐということで、人々はこのような催し物に飢えていたのだろう。萬代橋周辺も大いににぎわったという。
時刻は午後8時55分頃、スターマインが打ち上がり始めたあたりだった。観衆が、下流のほうの欄干に殺到したのだ。たぶんその場所が一番よく見えたのだろう。
で、この欄干が曲者だった。木製だったため強度がなく、殺到した群集の重みに耐え切れずに崩壊してしまったのだ。
もしも、これが戦前だったら事故は起きなかったかも知れない。というのは、この崩壊した欄干は戦前までは鉄製だったのだ。ところが戦時中の金属供出のために撤去され、木製のものに付け替えられていたのである。
欄干の崩壊によって、約100名の観衆が40メートル下の信濃川へ次々に落下した。これにより11名が死亡し、29名が重軽傷を負った。
現在、新潟まつりでの花火大会では、信濃川にかかる橋梁で立ち止まって花火を見物することは禁止されているという。そのための警備員も配置されているとか。
そんな萬代橋のその後の歴史だが、やはり特筆すべきは1964(昭和39)年に起きた新潟地震だろう。
この地震では、昭和大橋や八千代橋など、新潟県内の名だたる橋梁が軒並み損傷したり落橋したりした。ところが萬代橋は基礎がしっかりしていたので、三代目としてデビューしてから約40年が経っていたにも関わらず無事で済んだという。
2004(平成16)年には重要文化財に指定された。
【参考資料】
◆岡田光正『群集安全工学』鹿島出版会、2011年
◆ウィキペディア
◆ブログ『ただのデブのブログ』「花火大会で客が殺到、萬代橋の欄干が崩落 1948年8月23日 (24)」
◆毎日が記念日 TIME-az.com「1948年08月23日 新潟市の信濃川に架かる萬代橋で欄干が崩落。死者11人。」
◆新潟ミル「萬代橋の歴史」
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