1985(昭和60)年3月9日、大分県玖珠郡の九重町で起きた事故である。
時刻は17時40~45分頃。一台の観光バスが、同町の県道40号を走っていた。通称、飯田高原中村線と呼ばれる道路である。
このバスは長崎県交通局の貸切バスだった。乗っていたのは、「うたせ湯の筋湯温泉と田楽の里を訪ねて」というツアーの参加者34名と、ガイド1名と運転手1名の計36名だった。
この日、一行は朝に長崎市を出発していた。そして熊本を経由して九重町に至り、宿泊先である「筋湯観光ホテル」には間もなく到着する予定だった。
ところが、バスが上り坂のカーブに差しかかった時のことだ――より具体的に書くと「八丁原発電所から500メートルの地点」だったらしい――そこは道幅7メートルのヘアピンカーブだったのだが、対向車線を下ってきた大型クレーン車が、曲がり切れずにバスに衝突してしまったのだ。
「衝突」と書いたが、実際には車体同士がぶつかったというよりも、クレーンのアームが「突き刺さった」感じだったようだ。
バスが横転してもおかしくない大事故である。だが車体がガードレールに押し付けられたことで、横転だけはまぬがれた。
当時の新聞を見ると、乗客の2名が死亡し32名が重軽傷を負ったとある。だがネットの情報では、死者3名・負傷者31名となっているので、後日1名が亡くなったのだろう。
衝突したクレーン車は、大分市内の運輸会社のものだった。運転手も怪我を負ったが、彼は事故から数時間が経って日付が変わった頃、業務上過失致死傷の疑いで玖珠署に逮捕された。
【参考資料】
◆毎日新聞
◆ウィキペディア
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