◆ささやかなる被災・燃料の不足のこと

 何をさしおいても、まずは燃料の話であろう。

 山形県の3月といえば、まだやはり「冬」である。来月にはもう春が来るということが分かっているとはいえ、まだまだ冷たい風が吹き、一度くらいは冬の最後っ屁とでも言えるようなドカ雪が降ってもおかしくないような、そういう季節なのだ。

 よってまず恐ろしいのは、灯油の不足であったと思う。

 それからガソリン。

 東北では自動車が必須、とはよく言われるがまさにその通りである。そして今回ガソリンが不足してよく分かったが、東北地方の冬というのはとりあえず「食料品よりも燃料」なのではないかと思う。ガソリンがなければ出勤にも買い物にも支障を来たす。ガソリンがあってこそ生活が成り立つのだ。

 ともあれ、この灯油もガソリンも不足した。

 地震直後に皆が寄ってたかって詰めたり買いだめをしたりしたため、ガソリンスタンドのタンクは軒並み空っぽ。だけど製油工場や製油所が被災した上に、陸路も航路も地震直後からガタガタになったので輸送がままならず、定期的な補充もなかなかなされない。

 また仮になされたとしても、「今朝○○のスタンドにタンクローリーが停まっていたぞ」という情報でも流れるのか、そのスタンドには皆が朝から車で行列を作るようになる。また、行列ができれば「この行列に並べばガソリンが詰められるらしい」と、他の車もどんどん列に加わる。結果、数キロに至るほどの行列が出来上がるようになるのだ。

 この「行列並び」の習慣は、地震が起きてから、燃料の供給ペースがやっと平常に戻る3週間後くらいまでの間にほぼ完全に定着した。

 スタンドには、ガソリンが確実に供給されるところと、そうでないところがある。簡単に言えば大手であればあるほど供給されやすいし、個人経営の小さいスタンドはそうはいかない。よって消費者の中には、「ここなら明日はガソリンが入るだろう」とあたりをつけて、前日の夜からスタンドの入り口前に並ぶ者も出てきた。そこに車を置いていったん帰宅し、翌朝、スタンドの営業が始まる頃に再び車に戻って来るのである。要するに「場所取り」である。

 この、行列並びの習慣が定着する頃になると、それに伴っていくつかの事故も起きた。

 厳密に確認したわけではないが、筆者の地元の山形では4つくらいの事例があったと思う。たとえば、70代の男性が、前日の夜から軽トラックで「場所取り」をしていて、暖を取るために車内に持ち込んでいた火鉢により一酸化炭素中毒で死亡した。また、携行缶にガソリンを詰めて車に乗せていた状態で喫煙して引火、車が全焼したこともあった。その他、行列に並んでいた乗用車にトラックが突っ込んだとか、玉突き事故が起きたとも聞いている(最後の2例は同一の事例かも知れない)。

 それでも警察は、こうした行列や場所取りについては、あまりうるさく言わなかったようだ。ガソリンスタンドの前で連日行列が出来ているというニュースで、警察関係者が「できるだけ路肩に寄せて停めてほしい」と述べていると報じていたことがあった(もっとも、あまり目に余る状況の場合は見回りもしていたようだが、その辺りの基準はどこにあったのかは不明である)。

 またスタンドに並ぶ車も、基本的にマナーは良かったと思う。路肩にはきちんと寄せていたし、個人の家や商店の前に列が及ぶ時は、車の出入り口を塞がないように多くの車が気をつけていた。

 筆者も、一度だけこの行列に並んだことがある。

 なぜ一度だけで済んだかというと、筆者の勤めている会社で、定期的にガソリンや灯油を「配給」してくれたからだ。あれは大いに助かったが、一度だけガソリンが足りなくなったのである。朝6時20分頃から行列に並び、10時半にようやく詰め終えたのだった。待ち時間の間に読書もずいぶんはかどった。

 そんなガソリン・灯油情勢は、地震から3週間目でようやく平常通りに戻った。業界のことはよく分からないが、もしかすると3月中にはあらかた通常の供給量を確保できていたのかも知れない。4月という区切りの月から、ほとんどのガソリンスタンドが通常営業に戻ったというのは若干できすぎのような気もする。

 もはや「超・被災地」としか言いようのない岩手や宮城では、山形県よりもずっと燃料が不足していることは分かっている。そう考えれば、燃料の供給を需要に追い付かせるための努力はこれからもまだまだ必要で、その意味では戦いはまだ終わっていないのだと思う。だがとりあえずは、気の遠くなるような車の列の整理や誘導に奮闘していたガソリンスタンドの店員さんには、実にお疲れ様であったと言っておきたい。

back

スポンサー