1910年、すなわち日本では明治43年にあたる年に、アメリカで発生した鉄道事故である。
もっともこの事故、鉄道事故というべきか雪崩災害というべきか微妙なところだ。日本の事例との比較でいえば1922年の北陸線の事故と似ており、実際『事故の鉄道史』でもその絡みでこの事例を挙げている。
アメリカのグレート・ノーザン鉄道は、かつてこの国で売り上げナンバーワンを誇っていた第一級鉄道である。巨大な大陸横断鉄道で、開通は1893年だった。
実はこの1893年という年は、アメリカ史上でも有名な恐慌のひとつが発生した年でもある。南北戦争直後の産業化によって経済のバランスが崩れてしまったのだ。しかしそんな時代状況でも、このグレート・ノーザン鉄道は生き延びており、すげー生命力である。
とにかく、アメリカを代表する大鉄道で起きた大事故ということである。
1910年(明治43年)3月23日、ワシントン州は猛吹雪に見舞われた。
この日は、グレート・ノーザン鉄道の5両編成の旅客25列車と、それに27郵便列車が、スカポーン-シャトル間の約500キロの距離を走行する予定だった。だがこの大雪のためにまずスティーヴンス峠の手前で丸一日動けなくなってしまい、やっと動いたかと思えば、今度はその先でのウェリントンでも停止せざるを得なくなった。
「なんだこの先は除雪されてないのか! これじゃ進めないよ!」
というわけで、この2本の列車は、ウェリントン駅の西側の待避線に並んで停車した。
24日は丸一日スティーヴンス峠の手前で過ごしたが、ウェリントンの場合はもっとひどく、25日も26日も列車を動かすことは叶わなかった。小規模な雪崩もちょこちょこ発生しており、それによって除雪用のロータリー車も動けなくなってしまったのだ。
さらには電信も不通になり、列車は完全に「陸の孤島」状態。ウェリントンの当時の積雪は3・7メートルと電柱もほとんど埋まってしまうほどのもので、24日から除雪作業ばっかりしていた駅員も、もう体力的に限界だった。
また、いつ大雪崩が来るかも分からない。それを恐れた乗客の一人は、鉄道会社の監督にこう要請した。
「列車をトンネルに入れてくれよ。俺、怖くてさ」
だがトンネルはトンネルで水が流れており、中に入ればホテルから食事を届けてもらうことはできなくなる。またトンネル内は湿気はあるし、機関車の煤煙が溜まれば危険だ。要請は却下された。
「まあまあ、除雪車の救援も来るはずですから。もう少し我慢して下さい」
仕方ねえなあ、ブツブツ。だがこの判断が正しかったのかどうかは、この後で起きた結果を見れば微妙なところであろう。
2月27日は日曜日で、たまたま乗り合わせていた神父がミサを行ったという。この日、天候はまたしても大荒れになっていが、これで乗客も少しは落ち着いた。
状況が変わったのは28日からである。急に暖かくなって雪がみぞれになり、さらに雨になったのだ。寒波が去り、南風が吹いてきたことを乗客は素直に喜んだ。……が、これは大惨事の予兆だったのである。日付が変わったばかりの3月1日、ついに雪崩が発生した。
深夜の午前1時20分のことだった。雨で緩み切った積雪が幅470メートル、長さ700メートルの塊となって列車に襲いかかったのである。二本の列車、二両の蒸気機関車、4両の電気機関車、貨車とロータリー車、しまいには機関庫と給水塔までもがこれに押し流され、何もかもが50メートル下のタイ川に叩きこまれたのだった。
当時の乗客の証言。
「客車は手品師のボールのように、空中に放りあげられてグルグルと回転した。私達は天井と床の間を跳ねとばされて往復した。客車はまるで卵の殻のようにはじけてしまった」
「客車はフワッと空中に浮かび、えもいわれぬ音をたてて谷底へ落ちていった。私は前の方に飛ばされ、気がつくと、パジャマのままで雪の中に倒れていた」
「私はうつぶせに倒れ、背中には重いものがのって身動きができなかった。悪夢のような痛みにうめき、時々意識も薄らいだ。だが背中の割れるような重さだけは頭に残っている。何時間たったかはわからない。私は自分の耳を疑った。人の声でシャベルの音が聞こえたのだ。勇気をふるい起し、しかしかぼそく、助けてくれ、と叫んだ」
犠牲者96名、生存者22名。死者数こそ2ケタにとどまっているが、死亡者の割合は航空事故並みの高さだという。
『事故の鉄道史』によると、アメリカと日本では、雪崩というか雪そのものの質が違うのではないかということである。この事故の例を見る限りでは、日本ではさほど珍しくないような積雪量で、あちらでは雪崩が起きてしまっているからだ。
そのあたりのことは、筆者もいずれ確認することがあるかも知れない。山岳事故や雪崩事故の詳細を調べれば、きっとそういう話になると思うのである。とりあえず今回はこれで話を〆させて頂こう。
ところでこの記事は、例によって『事故の鉄道史』を参考にしている。まあ、まる写しプラスアルファと考えて頂いて差し支えない。巷には『雪崩・その遭難を防ぐために』という文献があり、それにも詳細が載っているらしいが筆者は未読である。
その文献に限らず、どこかで資料になりそうなものを見つけたら(無関係と思われた文献に、唐突に事故の話の詳細が載っていたりするのだ)また書き加えていきたい。雪の質の問題とあわせて、事故災害研究室は日々「成長」中である。
【参考資料】
◆佐々木冨泰・ 網谷りょういち『事故の鉄道史――疑問への挑戦』日本経済評論社 (1993)
◆ウィキペディア
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