核爆弾で意図的に大量殺戮の目標にされたのは、全世界中で今のところ日本人だけである。だが「核爆弾を落とされた」国が日本だけかというと実はそうではない。少なくとも1960年代には、スペインとグリーンランドにもボトボト落とされている。
落としたのは全部アメリカである。しかも、どれもこれも「間違い」で落としたというのだからたまったもんじゃない。今回ご紹介するのはそんな事例である。
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1966(昭和41)年1月17日。場所はスペイン、アンダルシア州アルメニア。地中海に面する田舎町パロマレスにて、この大失態は発生した。
発端は、一機の爆撃機の衝突事故だった。上空3万1千フィートで空中パトロールをしていた爆撃機が、空中給油に失敗して給油機に追突したのだ。
機体は墜落。爆撃機の乗員は全員が脱出したが、給油機のほうは全員が死亡した。
追突した爆撃機というのは、アメリカのB-52F爆撃機256号機である。そして驚くなかれ、このB-52Fにはマーク28RIという水爆4発が搭載されていた。
マジかよ、なんでそんなものが!? ――だが冷戦まっただ中の当時、これは不思議でもなんでもないことだった。この頃、米戦略空軍は24時間態勢で爆撃機を旋回させていたのだ。核戦争勃発ということになった場合、ただちにソ連の戦略目標目がけて攻撃できるように、である。
これを「クロムドーム作戦」と呼ぶ。現代の視点で見ればまるきり常軌を逸した作戦だが、アメリカが過敏になるのももっともな話だった。この頃、ソ連はアメリカに先んじてスプートニクの打ち上げに成功していた。アメリカはいつ上空から爆弾を落とされるかと気が気でなかったのだ。
さてそれで、パロマレス上空の衝突事故の結果、搭載されていた水爆のうち2発はまっすぐ地上へ落下。残り2発はパラシュートが開き、西風にのってふわふわり、どこかへ行ってしまった。
前代未聞の事態である。核爆弾が「どっかいっちゃった~♪」(by東京少年)のだ。
核兵器が関わるこのような事故を、アメリカは「折れた矢」Broken Arrow作戦と呼ぶらしい。
ヒロシマとナガサキには平気で爆弾を落とした米軍も、これにはさすがに真っ青。慌てて探して、行方不明になった2発のうち1発は海岸で、もう1発は海の底で発見された。特に海の底のやつは回収までに相当難儀したようだ。海軍の深海調査船までもが動員され、水深700メートルの海底から引き揚げられたのは約3カ月後のことだった。
だがしかし、陸上に落ちたほうの爆弾はもっと大変である。
爆発したのだ、落下の衝撃で。
とはいえヒロシマ・ナガサキのようにキノコ雲が上がるような大爆発ではなく、起爆剤が破裂したという程度だったらしい。少なくとも怪我人や死者が出たという規模ではなかったようだ。
だが、汚染物質を撒き散らすにはそれで充分だった。おかげさまで周辺はプルトニウムまみれ、辺り一帯の土地と海水はたちまち高濃度の放射線に汚染された。
アメリカは、汚染された土砂と農作物のトマト合計1,400トン(1,750トンという資料も)分を本国へ持ち帰る羽目になった。数にしてドラム缶4,810個。これらはサウスカロライナ州の核廃棄場で処理されたという。
またアメリカは、スペインの人々に対しても必死に取り繕った。引き揚げられた核爆弾の傍らで軍高官が笑顔で立っている写真を公開したり、アメリカ大使を海で泳がせて「汚染の心配はないですよ~」とアピールしたりと、実に涙ぐましい努力である。
スペイン政府も、アメリカに歩調を合わせてすぐ「安全宣言」を出した。間の悪いことに、当時のスペインには原子力発電を推進中だったのだ。原発利権が絡むと、どの国もやることは一緒である。
そしてこの事故には、しょうもない「続き」がある。それがグリーンランドの一件だ。2年後の1968(昭和43年)1月21日に、アメリカの爆撃機がチュール空軍基地に墜落、炎上したのである。
これが、スペインの時とおんなじB-52F爆撃機というだけでも「またお前か!」という感じなのだが、恐ろしいことにこの爆撃機、やっぱり同じ型式の核爆弾4発を搭載していた。冷戦の中の懲りない面々。またしてもクロムドーム作戦である。
墜落した爆撃機は炎上すること6時間。グリーンランドの氷を3メートルも溶かし、海底へ沈んでいった。
そしてここでも爆弾はしっかり爆発した。怪しい爆弾セシウムさんならぬプルトニウムさんに汚染された氷、雪、水およそ6,700リットル分を、アメリカは4カ月かけて本国へ持ち帰った。この回収作業を行った米兵はどうなったのか気になるところだが、ちなみに残骸の処理を行った地元のイヌイットたちはしっかり被爆したという。
たった2年の間でこのザマである。冷戦時代全体で見たらこの手の事故はもっと起きているのでは? 誰しもそう思うことだろう。
実際、噂は存在する。落下場所や落下後の経緯については極秘情報として不明であるものの、アメリカは他にも30件以上もの爆弾落下事故を起こしているとかいないとか。そんな風に言われている。
この2度の事故を受けて、さすがのアメリカ政府も「クロムドーム作戦はもうやめよう」という結論に達した。
しかしこの事故の話は、これで終わりではない。特にパロマレスでの一件は現代も尾を引いている。どうも新世紀になった頃から、パロマレスは急に危険地域と見なされるようになったらしいのだ。
それまでスペイン政府は「パロマレスの大気中の放射線値は基準値より低く、住民の健康にも影響はない」と述べていた。しかし環境団体はそれはウソだと主張しており、そんな中でパロマレスでは普通に農業が営まれていた。
ところが2004年、政府は突然パロマレスの土地2ヘクタールを買収。2006年には660ヘクタールの土地の調査を始め、地中5メートルの深きに渡り規制値以上のプルトニウム汚染が進行していることを確認した。そしてその中でも特に汚染のひどい41ヘクタールは、2007年までに柵で囲われ、立入禁止になっている。
現在も、パロマレスの土地にはプルトニウムが残留しているという。土地の回復を含め、事後処理をどうするかについてスペインとアメリカは協議中だそうな。
まあ、これについてはきっとオバマ大統領がなんとかしてくれるだろう。ノーベル平和賞もらってるしね。我々も応援しようではないか、「宿題やれよ! 歯ぁみがけよ! 責任とれよ!」てなもんである。
【参考資料】
◆西村直紀『世紀の失敗物語 兵器・乗物編―他人の失敗は蜜の味!』グリーンアロー出版社 1998年
◆ウィキペディア
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