前に札幌バス火災事故のことを書いたが、そこでは出火の原因は映画のフィルムであった。そして奇遇にも、今回お話しする事故はこれと同年に、しかも同じ原因で起きているのだ。事故史を眺めているとときどき見受けられる「シンクロ事故」である。
時は1951(昭和26)年11月3日。一台の国鉄バスが、午前8時5分に東宇和島郡野村町を出発した。このバスは喜多郡大洲町へ向かうものだった。
おそらく途中で乗りこんだ人もいたのだろう、20分後には乗客は62名に上っていた。このバスが具体的にどういう形態のものだったのかは不明だが、62名というのはやはり多すぎである。この事故の死者数が後述するようにべらぼうなものになったのは、そもそも分母が大きすぎたからだろう。
なぜそんな人数になったかというと、途中で通過する貝吹村という場所で、当時、秋祭りが行われていたのである。よって乗客の中には子供も多くいた。
まあこれは筆者の想像だが、親たちが「自分と子供を合わせて一人分」くらいの感覚で手を引いて乗りこんだのではないだろうか。これらの要素が、この事故では悲惨な結果を招くことになった。
さて時刻は午前8時25分頃。この時、バスの運転席のそばには補助バッテリーなるものがあったらしく、それの上に映画フィルム19巻が積まれていた。これが発火したのである。
発火の原因はなんだったのか、資料からだけだとよく分からない。ちょっと読むと「バッテリーの熱だろうか」とも思うが、補助バッテリーなら普段は使わないから発熱もするまい。もし本当にそうならフィルムは自然発火したことになり、なんかガソリンより危ないんじゃないか、これ。
この火災の結果、乗っていた62名のうち33名もの人々が死亡した。
33名という人数は、当研究室の読者ならばもはや大したものには思われないかも知れない。だがよく考えてみると、今だったら新聞の第一面に白抜き文字で掲載されるような大惨事である。しかも多くの子供が死亡し、2歳以下の幼児が6名もいたという。
なぜ映画フィルムなんぞがバス内にあったかというと、これはもともと貝吹村の秋祭りで上映される予定だったのだ。持ち込んだのは野村町の映画館の映写技師とその助手で、タイトルは「男の花道」10巻と「おどろき一家」8巻、そしてニュース映画が1巻というラインナップだったという。
まあラインナップはどうでもいいのだが、げにおそろしきはとにもかくにも映画のフィルムである。昔は映画を観るのも命がけだったのだ! 我々はテレビも映画もデジタル式のデータで観賞できるようになった現代社会をもっともっと喜ぶべきなのかも知れない。
【参考資料】
◆ウェブサイト『誰か昭和を想わざる』
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