――ないのだが、やはり「楽しいはずの○○が一転して惨劇に」というのはより痛ましく聞こえる。だから遊園地の事故などは当研究室でもあまり扱う気になれないのだが(要するにマスコミがどんな文脈で報道するかという問題なのだけれど)、このバス事故もそういう痛ましい事故である。
時は1951年(昭和26)年10月13日のこと。一台の観光バスが日光へと向かっていた。
これに乗り込んでいたのは、群馬県碓氷郡秋間村下秋間――現在で言えば群馬県安中市に属する地域――の、婦人会の人々である。ちょうど稲刈りも終わった時期で、収穫祝いのイベントとして旅行中であった。
これが、栃木県佐野市内に入り、両毛線の佐野-富田間の踏切にさしかかった時に惨劇は起きた。時刻は午前5時45分。走行してきた小山方面行の66列車と衝突し、7名が死亡したのである。
当時、事故のあったバス車両の中では、乗客の女性たちが歌を歌って旅行を楽しんでいたという。痛ましい限りだ。
それにしても分からないのは、そもそもなぜバスが踏切に進入したのか、ということだ。早朝だったため運転手が居眠りしていたのか、「列車は来るまい」といういい加減な判断があったのか、あるいは一緒に歌でも歌っていてうっかりしていたのか……。
【参考資料】
◆ウェブサイト『誰か昭和を想わざる』
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