◆池之坊満月城火災(1968年)

 伝統ある有馬温泉に1968(昭和43)年当時存在していた池之坊満月城は、古くから経営されていた「池之坊」に由来する由緒正しい旅館であった(※資料によっては「池の坊」の表記のものもある)。

 しかしこの池之坊満月城、正しいのが「由緒」だけだったからかなわない。その実態は法令違反しまくりの恐るべき建物で、ツギハギだらけの増築と度重なる消防署からの指導の無視を繰り返していたとんでもない代物だった。これが火事になったのだからさあ大変、というお話である。

 時は1968(昭和43)年11月2日、午前2時40分。

 居室で休んでいた従業員の一人が、異様な煙たさで目を覚ました。

「むにゃむにゃ。まさか火事じゃあるまいな」

 この従業員は、妻と共に様子を見に行った。どうもサービスルーム付近がおかしい。それで覗いてみると、なんとサービスルーム周辺が燃え、煙が出ているではないか。火事だ!

「大変だ。火事だ火事だ避難して下さい!」

 この従業員夫婦は、館内を駆け回りそう連呼した。

 それで、館内に分散して休んでいた従業員もびっくり仰天。試しにバケツで水を2、3杯かけてみたが効果はなかった。

 ちなみにサービスルームとは、宴会などの際に料理や飲み物を準備するための部屋であるという。出火原因は最後まで不明のままだったが、この部屋、出火後ほとんど間をおかず、フラッシュオーバーのため爆発的に火炎が拡大していたことが判明している。

「火事だ火事だ避難して下さ~い!」

 その間にも火事ぶれを行っていたこの従業員、玄関ロビーに出たところで夜間警備員と出くわした。

従業員「消防はそろそろ来るのかな?」
警備員「間もなく来るでしょう。すぐに通報したんですよね?」
従業員「いや誰かしてくれたんじゃないの?」
警備員「してないと思いますよ」

 従業員は真っ青になり、慌てて電話機に取り付く。この時、既に最初の火災発見から25分以上が経過していた。

「なんということだ、私がすぐ通報していれば良かった! お客さんの身に何かあったらどうすればいいんだ……」

 口惜しがりながらダイヤルを回す従業員。その目の前に一人の男が現れた。宿泊客の一人である。

宿泊客「大丈夫です。あなたに責任はありませんよ」
従業員「いえそんな、気を使って頂かなくても」
宿泊客「だって私はもっと先に火災を発見していたんです」
従業員「だったら通報しろよ!」

 言うまでもないと思うが、以上の会話部分は全てフィクションである。だが発見者の宿泊客も従業員も当初まったく通報を行わなかったことや、屋内消火栓も使わず初期消火に失敗してしまったのは本当のことだ。

 さてサービスルームから発した火炎は、廊下を伝って上方へと燃え広がっていった。そのため、上階にいた宿泊客たちは、かなり早い段階で火炎と煙に逃げ道を塞がれる形になった。

 しかも従業員が火事だ火事だと知らせて回ったのと相前後して、館内は完全に停電。さらに煙と、建材の材質の問題で有毒ガスまで立ち込めて、これでなんとか脱出しろという方が無理な話である。

 最初に述べた通り、この旅館は増築に増築を重ねて無駄に膨れ上がったマンモス旅館だった。アミダくじのような廊下はあるわ、隙間はあるわ段差はあるわで気分は風雲たけし城。そのうえ異常なまでに延焼のスピードも速く、逃げ惑っている内に、あるいはなす術もなく死亡した者が大勢いた。

 燃えるのもそりゃ当たり前で、この建物、棟同士の接合部はガラス戸一枚で区画されており、防火扉は木製(!)だった。しかも延焼しそうな部分には普通のガラス窓が嵌め込まれているという有様だったのだ。まったくイイ時代があったものである。

 辛うじて脱出できた宿泊客達も、避難すべき方向の判断さえまともに出来ない状況の中、必死に火の粉をかいくぐったという。雨樋を利用したり、投げ下ろした布団に飛び降りるという方策で一命を取り止めた者もいた。

 こんな旅館で防災設備の充実を期待できるわけもない。防火扉は火災当時どれもこれも開けっぱなしで、火災報知機や屋内消火栓も結局全然利用されずに終わった(もっとも報知器も消火栓も充分な数がなかったという)。

 こうして、由緒正しき池之坊満月城は燃えるに任せて焼け落ちた。焼失面積6,630平方メートル。246名の宿泊客のうち30名が死亡、44名が負傷する大惨事である。

 犠牲者の多くは、富山から来ていた会社従業員達だったという。また、他にも新婚旅行でここを訪れていた2組の夫婦も命を落としたというから悲惨にも程がある。もう40年以上も前の火災ではあるが、今からでも冥福を祈りたくなる。

 さて、こんな調子の満月城なので、経営者は責任問題を免れない。消防署の指導を受けていたにも関わらず形だけ誓約書を提出してその場逃れを行っていたことなども暴露され、結局有罪判決が下されている。ただし消防でも指導が甘かった部分があり、執行猶予がついた。

 残った池之坊満月城は、無事だった建物でしばらく営業を続けていたようだ。

 だがそれも間もなく取り止め、跡地は駐車場になった。当時を偲ぶ唯一の手掛かりは、有馬温泉に残る慰霊碑のみであるという。

 ところで、あからさまな法令違反によって大火災が起き、管理者が裁かれたといえばホテルニュージャパン火災であろう。満月城火災から12年後の事故である。

 筆者は長らく、ホテルニュージャパン火災というのは余りに特異で例外的な事例だと思っていた。しかしこうして火災の歴史に目を向けてみると、今回ご紹介した満月城火災とニュージャパン火災は実によく似ていることに気付く。

 ニュージャパン火災は、あのオーナーの特異なキャラクターばかりに焦点が合わせられがちだった。だがあの火災の特殊性はもっと別の部分にあったのである。80年代になって建造物の防災レベルが向上したにも関わらず、12年前と同じような火災がまた繰り返されてしまった。本来ならばこれが一番の問題だったのだ。その問題に気付くには、こうした歴史的背景をまず把握しておくことが必要だったわけである。

【参考資料】
◆第一法規『判例体系』
◆ウィキペディア他
◆消防防災博物館-特異火災事例

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