1957(昭和32)年5月18日のこと。
秋田県秋田市川尻にある、市営の山王体育館で起きた事故である。
その日は、この体育館で人気歌手のショーが開催されることになっていた(この歌手が誰なのかは不明)。
てゆうか、事故が起きた午後の時刻には、もう1回目の公演が終わったところだったらしい。それが午後1時20分頃のこと。
問題は第2回目の公演である。
この日の人の入りについて、主催者と警察は前もって打ち合わせをしていた。おそらく2回目の公演には6,000人ほどの人が来るだろう。事故を起こしてはならぬ――。
資料を読んでいると、主催者と警察は、群集事故の防止のためにできうる限りの手を打ったようだ。
まず、会場の体育館の正面入口8箇所のうち、左側の4箇所を閉鎖。そして右側だけを開放し、それぞれの入口の前に入場者を並ばせた。
そうして、入場の際には警察官が誘導し、4列を2列に変える。その時に割り込みする不届き者がいないようにと、入口の両脇には長机を置いてガードした。
さらにその長机の傍らには係員を配置。この人が、入場者から半券を受け取るわけである。
体制は万全。もう、正午頃にはさっそく人が集まってきていたようだ。打ち合わせに基づき、4箇所の入口の前で4列に並ばせる。さらに列の随所に、警察官と整備員を配備。
第1回の公演が終わる30分も前から、係員たちは群集に拡声器でこう呼びかけた。
「いいですか皆さん、割り込みした人は入場を拒否します。また、切符は一人一枚、各人で持つようにしてください。出入り口には敷居があるので、足元にはくれぐれも気をつけて下さい」
ここまでやれば大丈夫だろう、事故なんて起きないだろう、って普通思うよね。
だがしかし、それでも事故は起きる。考えてみれば、起きるまいと思っていても起きるから事故なのだと言えばそれまでなのだが、その原因が群集心理に取り付かれた脳たりんのせいなのだから実にやり切れない。
てなわけで、残念ながら事故は起きた。
午後2時に入場が開始。最初、人々の流れは順調で、最も前部の20人くらいまでは問題なく入場できたようだ。
午後2時20分。ここで、後ろに並んでいた一部の人間がご乱心あそばした。係員の制止を振り切り、列を乱して入口に殺到したのである。
あーあ。6,000人のうち、たったの20人が入場したばっかりなのに早速これだよ。
場は混乱に陥った。そしてそのさ中、入口を通ろうとしていた一部の人が、長机の足や敷居につまずいて転倒。そこへ人々が折り重なり、7~8人が肋骨亀裂等の負傷を負ったのだった。
【参考資料】
◆岡田光正『群集安全工学』鹿島出版会、2011年
◆『第32回明石市民夏まつりにおける花火大会事故調査報告書』29章「国内で発生した主な群衆事故」
◆災害医学・抄読会 2003/12/12
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