時は1959(昭和34年)12月2日。仙台駅前を出発し、山形寄りの芋沢という地区へ向かっていた一台のバスがあった。これは仙台市営のバスで、20人ほどが乗っていたという。
これが仙台市八幡町の作並街道を走行している時、悲劇は起きた。当時このバスは結構なスピードを出していたようだ。それが対向車とすれ違う際、ハンドルを切り損ねてしまったのだ。
そこは弘法山という山の山道で、はるか眼下には広瀬川が流れていた。皆さんもご存じ、青葉城恋唄でも登場するあの広瀬川である。しかしこれは痛ましいバス事故の話、情緒にひたってもいられない。「広瀬川~流れる崖下40メートル、転落バスはかえらず~♪(字余り)」である。ゴロゴロズザザザボチャーン! とバスは転落。27歳の男性運転手と、その他4人の男性客の計5人が死亡したのだった。合掌。
【参考資料】
◆ウェブサイト『誰か昭和を想わざる』
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