◆信楽高原鐵道正面衝突事故(1991年)

   まえがき

 筆者が11歳くらいの頃に起きた事故である。長崎屋火災と並んで、今でも妙に印象に残っている事例だ。

 で、今になって事故の記録を読んでいると、印象に残るのも当然だなと思う。これほどの正面衝突事故でカラーの記録写真が残っているのは、おそらく戦後の事例では他にないだろう。「お父さん、電車って正面衝突したらどうなるの?」と聞かれたらこの事故の写真を出すしかないという唯一の事例なのだ。

 しかしこの事故、発生するまでの経過がどうもややこしい。八高線の事故もそうだったが、正面衝突というのは経緯が複雑になりがちらしい。

 よってルポを書くに際しても、「事故が起きるまで」の記述だけが妙に長ったらしくなってしまった。まあそのかわり、可能な限り分かりやすくまとめたつもりである。よろしければお付き合い頂きたい。

   1・事故以前

 まずは、この図を見て頂きたい。



 貴生川(きぶかわ)駅と信楽(しがらき)駅という2つの駅の間に、1本の線路が走っている。

 そして途中には、小野谷信号場というものがある。

 この線路で電車がすれ違うことができるのは、小野谷信号場だけである。

 貴生川駅から信楽駅に向かって下り方向に進む電車と、逆に信楽駅から貴生川駅に向かう上り電車は、この小野谷信号場ですれ違う。そうすることによって安全が確保できるという寸法である。でなけりゃ正面衝突だ。

「そんなにうまくいくもんかね?」と一瞬思われるかも知れないが、これがうまくいくのである。何しろこの信号場は全てが機械仕掛けだった。片方の駅から電車が出発すると、信号場でそれを感知して、次にもう片方の駅から出た電車を停めてくれるのである。

 つまり後から出発した電車は、機械の采配によって信号場の待避線(図で言うと、横に膨らんだほうの線路)に寄せられて、先に出発したほうの電車が通過するのを待つことになるのだ。なるほど、これならスムーズにすれ違うことができる。

 ところが、このシステムを癪に思っていたのがJR西日本(以下JR西)である。このシステムに従っていては、後から出たほうの電車は小野谷信号場でずっと待っていなければならない。この待ち時間がJA西にとっては面白くなかった。

 JR西がそう考えるのには理由があった。

 この、貴生川駅から信楽駅までの間の路線「信楽高原鐵道」は、もともとは廃止になった旧国鉄信楽線を自治体が買い上げたものだった。第3セクター鉄道というやつである。

 JR西にしてみれば、自分とこは旧国鉄の直系であり押しも押されぬ大企業。一方あっちは、国鉄再建法のおこぼれに預かっただけの、田舎の「鉄道屋」に過ぎない。そんなポッと出の鉄道屋が、我々を差し置いて線路を走行するとは何事だッ! というわけだ。

 また、列車運行上の問題もあった。信楽駅は他の線路と交わっておらず、1本の線路しか通っていない。しかし貴生川駅は、信楽高原鐵道のみならずJR草津線も通っている。ヘタに電車が貴生川で足止めを食らうと、他の列車のダイヤにも遅れが出てしまう。これはますます面白くない話だった。

 そこでJR西は、信楽高原鐵道と、信号屋さんとの三社での会議の際にこう提案した。

「仮に、貴生川から信楽に向かう電車に遅れが出たとします。その場合、先に信楽駅から出発した電車は、必ず小野谷信号場で待っててくれるようにできませんか?」

 要するに、「俺のほうが遅くても、俺に道を譲れ」というわけである。

 さらに、JR西は驚くべき提案をしてきた。上記のような列車の行き来ができるように、JR西のほうで信号機をいじれるような仕組みを取り入れたいというのだ。

 つまりアレだ。貴生川駅からの電車の出発が遅くなりそうな時は、信楽駅から出発した電車が必ず小野谷信号場で停止するようにしたい。そのため、小野谷信号場の信号機を俺のほうで自由に操作できるようにさせろ、というのである。

 この提案に驚いたのは、信号屋さんである。

「ちょ、ちょっと待てアンタ。そんなことしていいわけないだろ!」

 先述したように、JRの路線と信楽高原鐵道は別のものである。いくらJRでも、よその線路の信号機を勝手にいじっていいわけがない。

「ふ~ん、それじゃ仕方ありませんね」

 ここでJRはごり押しをせず、信楽高原鐵道と話し合った。そして、最終的には以下のような仕組みにすることで話がついた。

 その仕組みとは、こうである。

 例えば、まず信楽駅を出発した電車があり、その後で貴生川駅を出発する電車があるとする。

 するとまず、JR西と信楽駅が電話で連絡を取り合う。そして問題がなければ、信楽駅のほうで、先に出発した電車が小野谷信号場で停まるように機械を操作するのである。

 まずJR西としては「俺のほうが遅くても、俺に道を譲れ」という主張は通した形である。また、信楽高原鐵道の信号はあくまでも信楽駅の側でいじることになるので、先ほど信号屋さんがビビッたような掟破りになることもない。

 こうして信楽駅には、小野谷信号場の信号を操作できる「抑止ボタン」が設置された。これによって、JR西から要請があった場合は、自分とこから先に出発させた電車を小野谷信号場に停めておけるという寸法だ。

 なんだかおかしな話ではあるが、とりあえずこれでめでたしめでたし――のはずだった。

 しかし、JR西はもっとおかしなことを企んでいたのである。先の会議が終わったあとで業者に直接電話をかけ、信楽駅の「抑止ボタン」をとっぱらわせたのだ。そして、小野谷信号場の信号を自由に操作できる装置を取りつけさせたのである。要するにJR西は、最初から信号屋さんはおろか、信楽鐵道の言うことを聞くつもりはなかったのだ。

 この時にJR西が取りつけさせた装置が、悪名高い「方向優先テコ」である。これを操作するとJR西の進行方向だけが常に優先されるという、実におめでたいテコだ。

 せっかくなので、以下ではこれを「オレ様優先テコ」と呼ばせてもらおう。

 いやはや、実におかしな話である。まあでも、これで本当にめでたしめでたし……ではないから問題なのだ。まだこの先があるのである。変なことを企んでいたのはJR西だけではなかった。信楽高原鐵道がわでも、これまたヘンテコな掟破り計画が進行中だったのである。

 その計画とは、「小野谷信号場の信号と、信楽駅の信号を連動させちまおう」というものだった。

 これは、どうやらJR西のオレ様優先計画のような陰湿なものではなく、2つの信号が赤なら赤、青なら青と同時に変わることで、電車の進行をスムーズにしようとしたものらしい。

 さあ、ここまでが前段である。こうして信楽高原鐵道には、不穏な空気が立ち込め始めたのであった――。

   2・事故当日

 1991年5月14日。周辺の山々には山ツツジが咲く、新緑の季節である。

 この日の午前9時30分、JR西の臨時快速列車501D「世界陶芸祭しがらき号」は信楽駅に向かって京都駅を出発した。この日の始発である。

 車両には、信楽で行われている「世界陶芸祭セラミックワールド‘91」に足を運ぶべく716名の乗客が乗り込んでいた。乗車率は約2.5倍で超満員の状態である。

 この「しがらき号」は50分ほどで貴生川駅に到着する。そして、そこから信楽高原鐵道に入り込んで信楽駅に行くという予定である。

 しかしちょっとした問題があった。おそらく乗客が多すぎるためだろう、9時30分の発車というのが、そもそも定刻の5分遅れだったのだ。

 こういう時にどうするかは、JRでちゃ~んと取り決めてある。「オレ様優先テコ」の出番である。

 このテコさえあれば、貴生川駅の出発時刻が定刻より遅れても、信楽駅からの上り列車は小野田信号場で待っていてくれる。こうしてオレ様は優先的にスムーズに進行できる、というわけだ。

 このような次第で、優先テコが作動した。

   ☆

「あれ? なんで赤信号のままなんだ」

 混乱したのは信楽駅である。上り534D列車の発車時刻になったというのに、なぜか駅の中の信号が赤のままだ。青にならないと出発できないやんけ。

 しかしこれは故なきことではなかった。

 思い出してほしいのだが、信楽駅は、小野田信号場と信楽駅構内の信号が連動するように改造しているのである。

 そしてこの日は、前述のように、JR西が「オレ様優先テコ」で信号を操作していた。そうして、信楽駅を出発した電車が小野田信号場で足止めされるようにしているのだ。

 JR西としては、信楽駅を発車した電車が小野田信号場で停まっていてくれればそれで良かった。そうすれば、信楽駅発の電車に道を譲ってもらう形ですれ違えるからだ。

 だが今の状況では、小野田信号場が赤になっていることで、信楽駅の信号も連動して赤になってしまう。JR西の思惑とは裏腹に、信楽駅発の電車は、小野田信号場で待つどころか駅からの出発すらもできなくなっていたのである。

 もちろん「オレ様優先テコ」の存在など知る由もない信楽駅の駅員たちは、首をかしげるしかない。今は電車を出発させるべき時刻なのだ。とすると駅の中の信号は青になるはずだし、それと連動して小野田信号場も青になっているはず。ただそれだけのはずだった。

「どうしましょう? 赤のまんまじゃ出発できませんよ」

 駅員たちは困り果てた。当時、信楽でイベントが開催されていたことは既に述べたが、信楽駅も大量の観光客たちを輸送するのに大わらわ。こんな時に信号の異常なんて冗談じゃない! という空気だった。

「ええい面倒臭い、どうせ故障か何かだ。青に変えちまって発車させろ!」

 結果、そのような判断が下された。

 これがいかに危険なやり方であるかは、当研究室にお馴染みの方はお分かりのことと思う。こういう、一本の線路で上りと下りが交互に行き来している場合、異常時には「人間タブレット」による「指導方式」で安全を確認してから発車するのが鉄道業界のルールである。

 しかし、こういう言い方は若干アレだが、信楽高原鐵道は第三セクターであるため、生粋の鉄道員に比べると従業員の安全意識が低かった。彼らは上司の判断通りに駅構内の信号を手動で青に変えると、534D上り列車を発進させてしまったのだった。

「大丈夫ですかね? もし貴生川駅から電車が来てたら正面衝突ですよ」
「なあに大丈夫さ。前にも同じことがあったけど、小野谷信号場の誤出発検知装置のおかげで問題なかったじゃないか」
「なるほど、そうですね」

 そう、以前にも似たようなことがあったのだ。具体的な日付を言えば4月8日と12日、それに5月3日もである。それらの日にも、信楽駅では駅構内の信号が赤だったのを無理やり青にして電車を出発させた経緯があった。この時もやはり「オレ様優先テコ」の影響があったのだろう。

 で、その時はなぜ大丈夫だったのかというと、今のエア会話にもあった通り「誤出発検知装置」というものがあったからだ。

 この装置は、まあ要するに安全装置である。例えば、信楽駅から赤信号で無理やり電車を発車させるとこれが作動する。そして、反対側から来ている貴生川駅発の電車を、小野谷信号場の待避線に寄せさせて、赤信号にも関わらず「誤出発」した電車をかわりに通すというものだ。

 つまり「信号無視の電車が来るぞ! 危ないからよけろ!」というわけである。これがあるから、信楽駅の駅員たちは「赤信号でテキトーに発進させても問題ないよ」と考えたのだ。

 状況を少しまとめてみよう。

 まずJR西はこう考えていた――「オレ様優先テコ」のおかげで、信楽駅から出発した電車は小野田信号場で停まっていてくれるだろう、と。

 いっぽう信楽高原鐵道はこう考えていた――「誤出発検知装置」のおかげで、JR西の電車は小野田信号場で停まっていてくれるだろう、と。

 しかしこの日、「オレ様優先テコ」はかえって現場の判断を誤らせてしまい、さらに言えば、よりにもよって「誤出発検知装置」は故障中だったのだ。というわけで、あっちが停まってくれるだろう、という両者の期待は完全に裏切られたのだった。

 ついでに言えば、小野田信号場という、この機械仕掛けのすれ違いシステムが導入されたのが3月のことだった。実に皮肉なことだ。安全確保のために導入されたシステムが、人為的にあれこれいじり回されたせいで、設置後たったの2か月あまりで大事故を誘発してしまったのだから。

 こうして事故は起きた。貴生川駅を出発した「世界陶芸祭しがらき号」と、信楽駅を出発した電車はものの見事に正面衝突。時刻は午前10時40分、場所は小野谷信号場よりもちょっと信楽寄りのあたりだった。

 現場は修羅場だった。

 どのくらいひどかったのか、ご存じでない方はちょっと検索して写真で確認してみるといい。あんな風にめちゃくちゃになった車両に観光客が鮨詰め状態だったというのだから、その凄惨さは推して知るべしである。

 死者は42名、負傷者は614名に上った。

   3・捜査と裁判

 さっそく滋賀県警は捜査を開始した。当時の新聞などを見ると、とりあえず信楽高原鐵道がわが追及されているようである。

 まあそれも当然だろう。とにかく、赤信号なのをろくに確認もせず青に切り替えているのだ。電車の運行システムに明るくない素人でも、信号無理は絶対駄目だろう、ぐらいは考える。

 JR西も、最初は「いやあ悪いのは赤信号で電車を出発させた信楽高原鐵道ですよ、当たり前じゃないですか~」という態度だったらしい。

 ところがここで、例の「オレ様優先テコ」の存在に気付いた人物がいた。ノンフィクション作家の佐野眞一である。

 おいおい、なんだこの「優先テコ」。事故当日の信楽駅の混乱はこいつが原因じゃないのか――!?

 というわけで、佐野はこの「優先テコ」の存在を即座に報じた。運輸省にも信楽高原鐵道にも届け出を出さずに設置されたこのテコは、JR西の安全管理無視の動かぬ証拠である、と。

 これで、責任追及の流れが変わった。最初は信楽高原鐵道の過失責任だけに向けられていたマスコミと警察の目が、JR西にも向かっていったのだ。

 もともと、JR西は「オレ様優先テコ」の存在を完全に隠蔽するつもりだった。ところがこの報道のせいで隠し切れなくなり、一気に責められる立場になったのである。

 しかし、JR西はそんなことではくじけない。どうやらどこまでも「オレ様優先」なのがこの企業の体質らしく、取り調べや裁判においても徹底して戦った。

 例えば、県警の取り調べに対しては、あらかじめJR内部の打ち合わせに沿った供述のみを行う。また全ての担当者はセクト主義を前面に押し出して、責任転嫁と責任逃れに終始。あげく「JRも被害者である」という意識に基づき、徹底的な証拠隠滅を行う。と、こういう塩梅である。下手な犯罪組織よりたちが悪い。

 だが、裁判ではJR西はお咎めなし。信楽高原鐵道の運行管理者2名と、信号設備会社の技師1人が、執行猶予付きの有罪判決を言い渡されるにとどまった。

 世間には、「JR西もこの時に有罪判決を受けるべきだった。そうすれば少しは企業体質も変わって、後の福知山線事故だって防げたかも知れない」という意見もある。しかし後述するが、刑事裁判について言えば、この判決は妥当だったのではないかと筆者は思う。

 ただ民事裁判では、さすがのJR西も責任なしというわけにはいかなかった。1999年の一審と2002年の控訴審を経て、信楽高原鐵道と一緒に過失が認定されている。

 それでもJR西の「戦い」は続いた。遺族への補償のために支出した費用のうち、9割を信楽高原鐵道等々が負担するよう求めてきたのだ(これが2008年のこと)。なんか、先の民事で上告できなかった鬱憤を晴らそうとするかのような変な裁判である。

 これについては、結局ついこの間の2011年に決着がついている。だが、ウィキペディアで読んでみても、何がどうなったのかよく分からなかった。とりあえず、JR西に若干のゴネ得があったようだ。

   4・筆者の感想

 ここからは、この事故に対する筆者の感想を述べたい。「きうりがまた何か語ろうとしてるよ」と思われた方は、ここで読むのを切り上げても結構である。

 この信楽高原鐵道の事故を調べるにあたり、若干の書籍とインターネットの情報にあたってみた。だがそれでどうも奇妙に感じたのは、どこでも判で押したように「JR西の無罪はおかしい」「JR西にも責任はある」「JR西はあの時刑事罰を受けるべきだった」……と書かれていることだった。

 例の「オレ様優先テコ」の存在を暴露したノンフィクション作家・佐野眞一もその著書の中で、自分はJR西を有罪に追い込めるよな証拠を見つけた――というような趣旨の文章を書いている。

 筆者が奇妙に感じたのは、事故の経過があれほどややこしいのに、どうして皆はっきり「JR西は有罪!」と声高に主張できるのかということだった。

 それでさらに調べてみた。これだけ声高に叫ばれているのだから、きっとどこかに因果関係の立証がきちんとなされた文章があるに違いない、それは筆者のような素人にはよく分からない専門的なことなのだろう――そう考えて。

 しかし、そうした文章はどこにもなかった。佐野眞一にしても、例の「優先テコ」の存在がなぜ刑事裁判での有罪の証拠になるのか、その点は詳しく説明していない。

 試しに、読者の皆さんにも聞いてみたい。この事故の経過については、必要な点を大まかに書いたつもりだ。だがそれを読んで「この正面衝突は誰それのせいで引き起こされたのだ」とはっきり理解できただろうか。

 できないと思う。

 たとえばJR西の「優先テコ」は、それ自体は不正な代物ではあったが、それによって必ず事故が起きるわけでもない。むしろあのテコは、事故を起こさずに、なおかつオレ様優先で行けるように、というコンセプトで作られたとも言えるのである。

 では信楽高原鐵道による信号機の改造が原因だったのだろうか。だがこれも、それ自体で事故が起きるわけではない。誤出発検知装置もあった。

 ならば、誤出発検知装置が壊れてしまったのが事故原因だったのだろうか。

 確かにこれは、この事故の中で一番不幸な要素だったかも知れない。とはいえこれも、JR西と信楽高原鐵道が信号の違法改造を行わず、なおかつ信楽高原鐵道の赤信号による出発がなければ問題はなく、誤出発検知装置が壊れたから必ず事故が起きるというもんでもない。

 となるとやはり、列車運行上のルールを破った信楽高原鐵道が一番悪い、とするのが妥当かも知れない。結論を出すとすればやはりこの程度であろう。だからまあ、裁判の判決自体は妥当だったのではないかと思う。詳しい判決文までは読んでいないが。

 誰も、起こしたくて事故を起こすわけじゃない。大抵の事故災害で責任主体が完全に明確なのはまれで、この事故だって、単体では大きな問題にならないはずの過失が不幸にも積み重なり、それで発生したのである。

 ではなぜ巷であそこまで「JR西は有罪!」と言われているのかというと、これは要するにバッシングなのだと思う。筆者が横井秀樹現象と呼んでいるアレである。JR西はあくどい企業だから、いっそ有罪扱いしてしまおう、という考え方だ。

 確かにJR西の、事故に対する対応はひどい。この信楽高原鐵道事故でも福知山線の事故でも、どうしてこの企業はここまで世間の要請が読めないのだろう、人の神経を逆撫ですることばかりするのだろうと不思議になる。

 そしてこの事故の経緯を見れば、なるほど信楽駅で混乱が生じたのはナントカ優先テコなんぞを無許可で設置したせいだし、しかもそのテコの設置は内緒だったし、挙句バレそうになって隠蔽までしようとしている。これでは、JR西許すまじ、と言われるのも無理はないだろう。

 だがやはり「それはそれ、これはこれ」である。先述したが、JR西の行った行為が、具体的に事故発生の原因になったという証拠はどこにもない。ちょっとあくどい奴だからといって、やってもいない事件の犯人に仕立て上げるのはいかがなものか(民事になると話は別だが)。

 「オレ様優先」のいい加減な大企業をただそうとするなら、まずその人は自分自身のいい加減さをただすべきだろう。――と述べる筆者もまた、櫂より始めよ、なのであるが。

 もちろん、JR西のような企業を刑事罰に問えないからといって、完全に無罪放免、あとは一切責めることができない、などということは決してない。刑事責任を問えないからといって、社会的責任の一切を免れるわけではないからだ。

 要は、個々の主体に対して適切に責任を負わせるのが大事なのである。特定の主体に対して、適切な場で、適切な形で、責任を取らせたり責任を果たさせたりすべきなのだ。そのために必要なのは、ある責任主体の責任の範囲を明確に示すような「責任マップ」なのではないかと思う。

 我々が心の中でそうした「責任マップ」を持っていれば、気に入らない奴は刑事裁判で有罪にしちまえ! と無茶苦茶なことを叫ぶこともなくなるだろう。そして事件事故が発生しても、適切な主体に、適切な形で、責任を取らせることができるようになるのではないだろうか。そうした営みの果てに、調和の取れた秩序ある人間社会が出来上がるのだと思う。子供じみたユートピアかも知れないが……。

 そんなことを考えさせられた、信楽高原鐵道事故であった。

【参考資料】
◆ウィキペディア
◆JSI失敗知識データベース
◆佐野眞一『クラッシュ 風景が倒れる、人が砕ける』新潮文庫(2008年)
◆山形新聞

back

スポンサー