◆豊浜トンネル崩落事故(1996年)

 この事故が起きた時、筆者は中学生だった。

 当時、学校から帰ると、テレビで岩盤の爆破作業の生中継をやっていたのを覚えている。その時の記憶があまりに強烈で、いまだにトンネルを通過するさいに怖くなることがある。

 事故は1996年2月10日、午前8時10分頃に発生した。北海道後志(しりべし)管内の古平町(ふるびらちょう)の豊浜トンネルでのことだった。

 厳密に言えば、この豊浜トンネルは古平町と余市町(よいちちょう)を結ぶもので、事故は古平町側の出入り口付近で起きたのだった。トンネルの真上にあった巨大な岩盤が崩れ落ち、たまたま真下を通過していた路線バスと乗用車を直撃したのである。

 この岩盤のサイズは縦横斜めで70×50×13m、体積1万立方メートル、そして重さ2万7000トンという代物だった。

 とにもかくにも重さ2万7000トンである。この岩盤をどけないことには救出作業もへちまもない。要請を受けた業者がさっそく爆薬による撤去作業を行ったが、地形のせいで準備に手間取り、また生存者がいるかも知れないということで思い切った爆破もできず、この業者は相当難儀したようである。

 この業者は、当時の記録をネット上で書き記している。文中に登場する専門用語はチンプンカンプンであるものの、その時の苦労がじわじわと感じられる文章である。

 犠牲者の家族たちは、遅々として進まない救出作業に焦り、苛立ち、時として逆上したという。だが結局、トンネルに閉じ込められていた20人は全員が遺体で発見された。即死だった。

 この豊浜トンネルでは、事故以前から落盤の危険性が指摘されていたという。「以前から危険性が指摘されていた」というのはこういう事故を説明するさいの常套句だが、書類送検された北海道開発局の元幹部2名は不起訴処分とされた。

 さらに遺族は、国を相手取って民事訴訟を起こす。しかし、賠償金の支払いは命じられたものの、責任の所在についてはうやむやなままという判決になったようだ。

 この事故の裁判の結末を見て思い出すのは、世界屈指のバス事故である飛騨川バス転落事故である。どちらも自然災害によるバス事故であるにもかかわらず、判決は180度違っているのが興味深い。

 現在、この事故があった豊浜トンネルは完全に封印されている。道路が、途中からより安全なルートに接続されたことで、それ以前のルートは寸断され封鎖されたのだ。今では、現場には船を使わないと行けないそうで、おそらくこの事故現場はこのまま「封印」されていくことになるのだろう。

 筆者は冒頭に書いた通りの思い出があるので、たぶん誘われてもこの事故の現場に行く気にはならないだろう。ただ、新しいルートのトンネル出口付近には防災祈念公園なるものがあり、そこには慰霊碑や事故関係の展示コーナーもあるという。そちらなら、出向いて手くらいは合わせてみたい。

【参考資料】
◆ウィキペディア

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