◆京都亀岡・山陰本線バス衝突事故(1958年)

 1958(昭和33)年6月10日のことである。

 場所は京都府亀岡市千代川町。国鉄山陰本線の八木~千代川間にある川関踏切で事故は起きた。

 時刻は15時28分。この川関踏切を京都交通の三台のバスが次々に通過しようとしていた。八木町なだけに『三匹のやぎのがらがらどん』を思い出す。

 この三台のバスには、八木町新庄発電所ダムを見学してきた亀岡市立亀岡小学校の五年生269人が分乗しており、当時は帰り道。最初の二台は無事に踏切を通過したが、最後の三台目がタイミングが悪く、渡ろうとした時には警笛が鳴っていたという。

 おそらく先の二台に遅れまいと焦ったのだろう、バスは警笛を無視して無理やり踏切を突っ切ろうとした。

 そこにやってきたのは園部発・京都行きの普通列車である。両者は衝突し、バスは20メートルの距離をズルズルと引きずられて田んぼ(麦畑とも)に転落し大破した。また列車も機関車と炭水車が脱線転覆、さらに客車二両も脱線している。目も当てられない。

 この事故で、バスに乗っていた児童のうち男子1名と女子3名が死亡。38名が重傷を負い、50名以上が軽傷を負った。

 裁判でどのように処理されたのかは不明だが、おそらくバスの運転手がなんらかの形で処分されたのは間違いないだろう。この事故、ウィキペディアでは鉄道事故の項目で紹介されており、そこでは「事故原因はバス運転手の不注意」とあった。そこまで言い切るからには何か根拠があるのだと思う。

 それにしてもバス事故なのか鉄道事故なのか、分類に迷うケースである。

【参考資料】
ウェブサイト『誰か昭和を想わざる』
◆ウィキペディア

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