◆千葉県船橋市バス・列車衝突事故(1951年)

 先に書いた「埼玉県 大宮市原市町バス・列車衝突事故(1950年)」の項目にて、踏切番という職業をご紹介したが、今回もこの職業にまつわる事故である。

 1951(昭和26)年11月3日の出来事だ。

 場所は千葉県千葉郡二宮町(現在の船橋市)前原。総武線の津田沼~船橋間の東金街道踏切である。

 時刻は午前9時50分。ここを一台のバスが通過しようとしていた時に悲劇は起きた。ちょうどそこに御茶ノ水発、津田沼行き下り国電9100C電車が差しかかり、バスに激突したのである。

 衝突したのは船橋発千葉行きの京成バス(東京のバス会社)で、当時は運転手と車掌を合わせて30人が乗っていたという。この日は休日で天気もよく、子連れの乗客も多くいた。

 この激突の衝撃によりバスは80メートルほど引きずられた。そして10メートルの高さの土堤から転落し、乗客のうち6人が死亡したのだった。

 原因は実に単純な人為的ミスである。当時、この踏切を担当していた32歳の男性が、列車が来るのを完全に失念していたのだ。それで遮断機が上がっていたものだから、バスも安心して通過しようとしたのである。

 参考資料を読んでいると、この男性は「踏切警手」という名称で記述されている。少し調べてみたが、どうも「踏切番」と「踏切警手」は同じものらしいが、しかし踏切番は保線の仕事を引退した人がやっていたはずである(前掲記事参照)。この男性の32歳という若さはどういうことなのだろう。おそらくそれまで「底辺の仕事」だった踏切番の仕事を、若い国鉄の職員あたりが行うことになったのではないかと思うのだがどうか。

 もしこの想像が多少なりとも当たっているとすれば、やはりこのような遮断機操作システムは、当時からすでに無理があったということなのだろう。

 事故災害の記事を書いていると、短期間に類似の事故が集中して起きる「シンクロ事故」現象に出くわすことが多い。今回の事故もその一例である。そしてのようなシンクロ事故が発生する時というのは、社会のなんらかのシステムが、すでに耐用年数を過ぎていることを示している場合がほとんどなのである。

 ちなみに、これはそうしたシンクロ現象とは関係ないと思うが、この事故の起きた日付は既述の愛媛県宇和島バス火災事故と同じである。時刻まで接近しているから驚いてしまう。この日は日本の東と西で、それぞれ凄惨なバス事故が起きていたのだ。

【参考資料】
ウェブサイト『誰か昭和を想わざる』

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