◆物部川バス転落事故(1950年)

 1950年(昭和25年)11月7日のことだ。

 時刻は午後6時50分。場所は高知県香美郡美良布町、橋川野という地域である。国道195号線を走っていた国鉄バスが64メートル下の物部川に転落したのである。

 64メートルとは、また物凄い高さだ。

 これでタダで済むわけがない。33人が死亡、25人が重傷を負い、4人が軽傷を負う大惨事となった。遺体の引き上げや救助の作業もロープを用いざるを得ず、大変難航した模様である。

 事故原因はなんだったのかというと、これがまたトンでもない話で、よりにもよって「酒酔い運転」だったのである。事故当日は現場から西にある山田町で秋祭りが行われており、それで21歳の運転手も酒をかっくらっており、直前にはジグザグ運転を繰り返していたというから恐ろしい。乗客の中には、身の危険を感じて途中下車した者もいた。

「なんて運転手だ! いくら祭りでも飲酒運転するなんて!」

 とまあ、多くの人が思われるだろうが、どうも悪いのはこの若い運転手ばかりではないらしい。この事故が起きた大栃線というバス路線では、祭りに限らず飲酒運転が常態化していたようなのだ。

 事故当日も例外ではなかった。事故を起こした土佐山田駅~在所村間の路線の運転手は、全員もれなくアルコールが入っていたのである。「11月は秋祭り~で酒が飲めるぞ~♪」というわけだ。

 いつ誰が事故を起こしてもおかしくない状況だったのである。現に、運転手の酩酊ぶりがあまりにひどかったため1本遅らせてバスに乗ったところ、この度の転落事故に遭遇してしまった――という不運な乗客もいた。

 さらに、当時のバス内も尋常な状況ではなかった。このバスは高知市の官公庁や通勤者も多く利用しており、それに加えて当時は祭りの客もいたものだから車内は超満員、乗客数も限界の2倍を超えていたというからまるで買出し列車である。ちょっとでもバランスを崩せば一巻の終わりという状態だったのだ。

 こうやって当時の状況を見てみると、事故を起こした21歳の運転手は「ババを引いた」形だったということが分かる。

 事故後、彼は「発車の少し前にコップ1杯ほどの酒を呑んだだけで、日ごろ腕に自信があったので運転したが、こんな結果になって申し訳ない」と謝罪したという。これだけ読むと若気の至りという印象を受けるが、真相が分かってみると哀れと言うほかはない。

 地図を見ると、祭りが行われていた山田町からバスの終着点である大栃までは、物部川と国道はぴったりと並行している。乗車率200パーセントのバスが飲酒運転でこんな道路を走っていたのだから、これはまったく恐ろしいお祭りである。

 さてバスが走った国道195号線の脇の山腹には宝珠寺という寺があり、事故後にここの住職が現場付近に供養塔を建てている。ちょっとネットで検索すると写真を見ることができるが、地蔵菩薩と一緒に並んだなかなか立派なものだ。

 記録上は「忘れられた事故」ではあるが、限られた地域内でも、こうして地道に事故の記憶が受け継がれているのは喜ばしいことである。

【参考資料】
◆ウィキペディア
◆個人ブログ記事『重大バス事故の歴史』
◆ウェブサイト『誰か昭和を想わざる』
◆高知県香美市『広報かみ』平成22年12月号
◆個人サイト『高知県香美市香北町お宮、お寺、お堂をめぐる』

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