1950年(昭和25年)2月11日のことである。
事故が起きたのは、熊本県飽託郡松江村要江の梅洞堤という場所だった。
この「梅洞堤」というのは、かつて熊本に存在した古い地名らしい。今では飽託郡そのものが熊本市に編入されたので完全に埋もれた形だが、とにかく当時は確かにそういう地区があったようだ。
時刻は9時20分。この梅洞堤のカーブを、1台のバスが通過しようとしていた。
このバスは九州産業交通というところで出しているもので、同県の玉名郡高瀬町を出発して熊本へ向かっているところだった。
ただ実を言うと、このバス会社名も新聞によって諸説あるという。ある新聞では「熊本交通バス」とされているらしい。ただ「九州産業交通」と書いてある共同通信では転落したバスの写真が添付されるほど詳細な記事だったし、朝日でも同様の記述があることから、参考資料ではそちらが採用されている。よって当研究室もそれに準ずることにする。
このバスの定員は35名。ところが当時は60名も乗車していた。詳しい資料がないので不明だが、なんだろう? 通勤ラッシュの時間帯でもないのにこんなにぎゅうぎゅう詰めだったというのは、何か理由がありそうだ。まあ今から見ると驚くほど交通が不便だった時代である。本数の希少なバスに大勢が乗り込むこともあったかも知れない。
だがとにかく、このぎゅうぎゅう詰めが仇になった。定員をオーバーしまくっていたためバスは動揺し、ゆらゆらり。おいおいなんか危ないぞ、このバス大丈夫か?
大丈夫ではなかった。乗客のものだろうか、当時のバス内には荷物が積まれていたらしく、これが運転手の腕に当たりハンドル操作を誤ってしまったのだ。
そしてその場所が最初に述べたカーブだった上に、前夜の雨で地盤が緩んでいたから「ワッチャ~♪」である。13メートル下にあった養魚池へ転落、どつぼにはまってさあ大変。運転手や車掌ら22人が死亡、4人が重傷、27人が軽傷を負うという大惨事になったのだった。
【参考資料】
◆ウェブサイト『誰か昭和を想わざる』
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