◆和歌山県中辺路バス転落事故(1947年)

 事故の内容はとても単純である。

 1947年(昭和22年)6月28日、朝の7時10分。1台のバスが走行していたところ、道路で山崩れが起きていたのだ。前日は雨が降っており、それで山の地盤が緩んだものらしい。

 で、それを避けようとハンドルを切ったところ、滑って50メートル下の川へドボーン。5人が死亡した。

 面倒臭いのはここからである。一体この事故の発生地点がどこなのか、正確なところが不明なのだ。

 事故を起こしたバスは、和歌山県西牟婁郡(むろのこおり、とか、むるぐん、と読むらしい)近野村を出発した省営バスだった。そして当時の新聞では、事故が起きたのは「二川村高原の川合」とあるのだが、これは現在の「田辺市中辺路町高原」か「田辺市中辺路町川合」のどちらかを指すらしい。

 で、どっちなんだよ、という話である。

 どうも新聞記事を書いた人物は、高原と川合がごっちゃになっていたようだ。昔の新聞は、記者同士の電話による伝言ゲームや伝書鳩でもって情報をやり取りするしか手段がなく、このように地方ニュースに関しては情報がめちゃくちゃになることが珍しくなかったのである。

 手掛かりになりそうなのは、バスが出発した「近野村」と、それからバスが落下した「富田川」という名前の川である。近野村は現在の「田辺市中辺路町近露」であり、そこからとにかく富田川に隣接するような道路を走っていて転落したわけだから、地図を見るとその道路は国道311号線である可能性が高い。そしてこの311号線が通っているのは川合の方である。

 というわけでこの事故が起きたのは、「田辺市中辺路町川合」の国道と思われる。しかし慰霊碑があるという情報も特に見つからず、これ以上の詳細は不明である(※)。

 ちなみに事故が起きた道路はこの1週間前に開通したばかりで、しかもやはり昭和20年代には別のバス事故も起きており死傷者も出ているのである。どんだけ道路状況悪かったんだよと言いたくなる。どこに行っても当たり前のように舗装道路を走行できる今の時代がいかにありがたいものか、考えさせられる事例であろう。

 バス事故の歴史をざっと眺めていると、「道路状況の劣悪さ」「定員オーバー」「可燃物の出火」「運転手の疲労」などいくつかのパターンに分類することが可能なように思われる。

【参考資料】
◆ウェブサイト『誰か昭和を想わざる』

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