1970(昭和45)年11月3日、午後5時35分のことである。
岐阜県の、大野郡高根村中洞の県道・高山木曽福島線(現在の高山市高根町中洞の361号線)を一台のマイクロバスが走っていた。
当時の新聞の記録では、このバスには「南組」という組織のメンバー9人(うち4人は女性)と運転手1名が乗っていたという。目的地は不明だが、砂防工事の手伝いのためだったとか。だから南組というのは建設会社か何かだろう。調べてみると今も㈱南組というのがあるようなので、おそらくそれではないか。
さてそれでこのバス、朝日ダム沿いに差しかかったところで別のバスとすれ違った。これは地元の濃飛バスという会社の定期便である。
で、どうした加減か、南組のマイクロバスの方がすれ違った拍子に10メートル下のダムへと転落してしまったのである。
転落と水没が重なると、バス事故は容易に大惨事になる。乗っていた10人は全員死亡した。
これ、資料を読んだ限りでは原因は不明である。それで朝日ダムのことをウィキペディアでちょっと調べてみると、かつてこのダム沿いの361号線というのは、もともと落石や転落の危険性が高い隘路であったという。だから今は秋神ダム沿いのバイパスが、交通の主流になっているようだ。事故が起きるのもむべなるかな、だったのかも知れない。
ここまで書いて気付いたが、バス事故の「転落+水没」というパターンも、どうも昭和40年代から増えてきている気がする。まず飛騨川の事故がそうだし、さらに時代が下るとスキーバス事故も起きている。
街中を走行するバスの場合は、こういうパターンはそう多くない。人里に、バスが水没するほどの湖や池はないからだ。
つまり、街中を通るバスが安全になっていった代わりに、観光地やレジャー施設を目指すバスが増えてきたのだろう。些細なことだが、このあたりにも当時の時代状況が少し感じられる。
【参考資料】
◆ウィキペディア
◆ウェブサイト『誰か昭和を想わざる』
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