ひどい場合には1~2年で何回も発生していた大規模なバス事故が、昭和40年代からは1年に1回程度のペースに落ち着いている。
とはいえ、交通事故そのものが減ったわけでもなさそうだ。試しに、昭和46年版の犯罪白書を紐解いてみよう。それによると、自家用乗用車の普及によって、バスなどの事業用自動車の事故の割合が減った――のだそうな。
つまり、交通事故のパターンに変化が出てきたのである。それまで人々は、たびたび大型交通機関を利用して大人数で移動していた。だが家庭でもマイカー(この言葉が広まり始めるのも昭和40年代)を持つことができるようになり、個人や家族単位での小規模な移動が増えたのだ。
その結果、交通事故のパターンも変わったのだろう。マイカーでの事故が増えるかわりに、バスの事故は減った。そういうことだ。
昭和40年代、確かに当「事故災害研究室」で取り上げる程の規模の事故は減ったのだ。だが実際にはその裏で、マイカーによる事故が数え切れないくらい起きていたに違いない。
また、めったに事故が起きない交通機関がひとたび事故ると、その被害は大規模かつ悲惨なものになってしまうという事故災害の法則も存在する。
少し思い出してもらえば分かる。航空機や鉄道は、自家用車ほど事故発生率が高くない。だが一度事故れば大惨事になる。変な言い方になるが、小規模な事故が多発することにより、事故が「小出し」にされて、大規模な事故は抑えられているとも言えるかも知れない。
バス事故の発生件数は確かに減った。だがそれは同時に、ひとたび事故れば大惨事、ということで殿堂入りしたということも意味するのである。
実際、名神高速道路の開通によってハイウェイバスというものが開業したのが1964(昭和39)年で、東名高速道路の開通に合わせて夜行バスが誕生したのが1969(昭和44)年。
そして高速バスが事故ればどんなことになるか、我々は知らないわけではない。
今回ご紹介するのは、高速バスとは関係ない。とりあえず、そんな時代状況の中で発生したケースである。
1970(昭和45)年、8月29日のこと。
時刻は午後7時30分。徳島県勝浦郡、上勝町正木の県道を一台のバスが走っていた。小松市で出していた市営の貸切バスである。
乗っていたのは、勝浦農業改良普及所管内の農業団体のメンバーが17人。この日は、徳島市文化センターで「全国農業コンクール」とやらが開催されており、その帰り道だった。
もともと、このバスには運転手や車掌を含めて40人程が乗っていたという。各地で乗客を下ろしたため、この人数になったのだ。
時刻も時刻だし、あとは残りの乗客を下ろして店じまい――。きっとそういうタイミングだったに違いない。
ところがここで不幸が起きる。なんと、一匹の猫がバスの前を横切ったのだ。
「わっ、ぬこ!」
というわけで事故である。運転手は、これを避けようとしてハンドルを切った。それでバスは道路から外れてしまい、60メートル下の勝浦川に転落したのだった。
これにより5人が死亡した。
ハンドル操作をミスった運転手が無事だったかどうかは不明だが、やり切れない話だ。ぬことは言え、ひとつの命を救うための咄嗟の判断が、逆に複数の命を奪う結果になってしまったのだから。
これ、事故とは全然関係ない話で恐縮なのだが、「多数の命を救うために一人を殺すのは正義か?」という倫理学上の難問がある。
ひと頃話題になったサンデル教授も取り上げていたが、その例でよく出されるのが「トロッコ問題」だ。煩雑になるので詳細は省くが、この「トロッコ問題」はややこしすぎる。もっと、こういうバス事故のようなシンプルかつ身近な事例でいいと思う。
なんかまとまりのない文章になってしまったが、まあいいか。
【参考資料】
◆ウェブサイト『誰か昭和を想わざる』
◆ウェブサイト『高速バスの歴史』
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