だが今度は奇妙なことに、確認できる限り、この年のバス事故の記録は今回の1件きりなのだ。これはどういうことなのだろう? みんなバスの運転に気をつけるようになったのか、それともバス事故が当たり前になりすぎて誰も記録しなくなったのか……。
とにかく、1961(昭和36)年11月5日に発生した事故である。現場は京都府乙訓郡向日町、阪急電鉄京都線の東向日町駅から南へ500mの地点。梅ノ木踏切という場所だった。
時刻は午前12時55分。なんと、バスがエンジントラブルのため、踏切を渡り切らないうちに立ち往生してしまったのだ。
このバスは、国鉄向日町駅発・向日町競輪場行きの臨時バスで、京阪電鉄のものだった。
大変だ、下りろや下りろ。乗客たちはバスからの脱出を始めた。総勢60人ほどである。
しかし彼らが避難し終えないうちに、京都行きの急行列車が走行してきて衝突してしまった。バスは後ろ半分を踏切の中に残した形だったのだが、これにぶつかったのである。7人の乗客が死亡した。
これ、列車を止める手立てはなかったのだろうか? 当時は、車や踏切に発煙筒は設置されていなかったのかと思う。最初の小さなトラブルが大事故を引き起こしたというのは、翌年に発生した三河島事故を連想させる。あれも、後から来た列車を停止させる措置を取っていれば防げた、そんなケースだった。
【参考資料】
◆ウェブサイト『誰か昭和を想わざる』
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