2012年9月21日金曜日

◆横浜歌謡ショー将棋倒し事故(1960年)

 1960(昭和35)年3月2日のことである。横浜市中区の横浜公園体育館とその周辺では、午前中から大勢の人々が集まっていた。

彼らの目当ては、夕方からこの体育館を会場に開催されるイベントである。開局1周年を迎えたラジオ関東(現アール・エフ・ラジオ日本)が、「開局1周年ゴールデンショー」なる歌謡ショーを催すことになったのだ。

このショーの出演者がまた豪華で、林家三平、島倉千代子、青木光一に若山彰と、現代でいえばさしずめEXILEとPerfumeがいっぺんにやってきたような――すいませんこの例えはテキトーです――絢爛たる顔ぶれだったのである。最高のショーだ。

ところが、このショーの豪華さそのものが仇となった。

問題は、主催者のラジオ局が前もって配布していた無料招待券の枚数である。ラジオ局側は「招待券を配っても実際には来ない人がたくさんいるだろう」と考えて、会場の定員のなんと2倍近い6,000~8,000人にこの無料招待券を配っていたのだ。

ところが主催者の予想は完全に外れた。ショーの出演者の顔触れがあまりにも素晴らしいため、欠席する者はほとんどいなかったのである。

さあ大変、横浜公園体育館の定員は3,500名である。立ち見を入れても4,000名がいいところだ。午前10時の段階でも、すでに島倉千代子や青木光一目当ての10代の少女たち2,000人近くが押し寄せていたともいい、会場にはすでに暗雲が立ち込めていた。

ついでに書き加えておくと、集まった観客は女性が6割、男が4割で、その大半は中学生や高校生だったという(どう統計を取ったのかは不明だが)。

それでも、最初は目立った混乱もなかった。会場の体育館には正面と北側にそれぞれひとつずつ入口があり、それぞれに2列ずつ並ばせることができたからだ。

そしていよいよ惨劇の時が近づいてくる。

17時30分に入場開始となり、最初は人々も整然と入場していた。しかしほどなく館内は満席となり、立ち見として無理やり詰め込んでもこれ以上の収容はもうアカン、という状態になってしまったのだ。

そこで主催者側がとった措置が、「それ以上の収容はあきらめる」というものだった。会場の入り口で、アルバイトの警備員などが呼びかける。

「館内はもう満席です。これ以上は中へ入れません」

これを聞いた人々の感想は「はぁ~~?」といったところだったろう。これでは、整然と並んで入場を待っていた招待客こそ好い面の皮である。当然納得して帰るはずもなく、一部の人たちが警備員相手に騒ぎ立てた。

「ふざけるな、こっちは入場券を持ってるんだぞ。中に入れろ!」

時刻は17時45分頃。3月のこの時刻というとほとんど夜のような暗さだったことだろう。体育館周辺に集まっていた顔の見えない群集が闇の中でわめき始め、警察官の制止を無視して突っ込んできた。

どうやら、最初は列に並んでいない人々が割り込んできた形だったらしい。しかしそれをきっかけに、整然と並んでいた人々も隊列を崩して我先にと入口へ殺到したのだった。

当時、会場でもぎりをしていた大学生のアルバイト学生たちによると、主に押し寄せてきたのは「早く入れろ」と叫ぶ10数人の若者だったという。

かくして惨劇は起きた。北側入口のドアの下に、縁石が段差になっている部分があったのである。おそらくそこに蹴躓いたのだろう、まず2、3名が転倒し、後続の者がさらに折り重なって倒れた。

将棋倒しは止まらない。ドドドドドッとそのまま100名ほどが巻き込まれ、うち女性や子供ばかり12名が圧死。加えて14名が重軽傷を負った。

こんな事態になっても、招待客たち数千人はまだ暴れ、わめいていたというから呆れる。現場はかなりの混乱状態だったようだ。

そんな中、横浜市内の中、南、磯子の各消防署から救急車が出動して、さらに現場は騒然とした。怪我人は警友病院、横浜中央病院、花園橋病院、国際親善病院、大仁病院などに搬送されたが、人出が足りず、警察車両や通りすがりのタクシーなども動員されたという。

この事故のため、歌謡ショーはもちろん中止。ラジオ関東はこの日の夜の番組放送もすべて取りやめた。

19時には神奈川県警による現場検証と関係者からの事情聴取も始まっている。群集の混乱や先述の縁石の存在ももちろんのこと、現場の北側入口のドアが狭いうえに当時は片側しか開いていなかったのも事故の原因と考えられた。

一応、当時の現場にはラジオ関東の社員10名、アルバイト学生25名、警官19名が招待客の誘導や現場の警備にあたっていた。だがそれでも数千人の群集には勝てず、事故は防ぎ切れなかったのである。

この事故のあと、警備にあたっていた加賀町警察署から、読売新聞に対してこのようなコメントが寄せられた。

「主催者(ラジオ関東)からの届出では来場者数は4千人程度との事でその数なら混乱は発生しないと判断し特に警備を通常より増員する事などしなかった」。

まあさすがに、警察も、よもや主催者側が定員の倍以上の人々に招待券を送っていたなんて想像だにしなかったことだろう。これは完全に主催者側の判断ミスによって引き起こされた事故だった。

当のラジオ関東は、先述したように事故直後には当日のイベントとラジオ放送をぜんぶ取りやめ、そして事故の詳細について報じた。さらに翌日には当時の社長が新聞にお詫びの広告も出している。

歌謡ショーに出演することになっていたという林家三平にちなみ、ここは最後に「もう大変なんすから」でシめようかと思ったが、なんか笑えないのでやめておこう。どうもすいません。

【参考資料】
◆ウィキペディア
◆事件事故まとめサイト(仮名)
http://16.xmbs.jp/ryuhpms78-164978-ch.php?guid=on
◆ウェブサイト『警備員の道』
http://keibi.pya.jp/saito.html