◆品川勝島・寶組倉庫爆発事故(1964年)

  1964(昭和39)年714日の夜、2155分頃のことである。

 東京都品川区勝島一丁目の倉庫地帯で、火災が発生した。そこは東京~横浜間の交通の大動脈である首都高羽田線と、建設中のモノレールに挟まれた海岸埋め立て地の一角。当時そこらへんは危険物倉庫が並ぶ地域だった。

 最初に炎が上がったのは、倉庫会社の寶組(現・株式会社寶組)が管理する勝島倉庫の空地である。野積みされていたドラム缶入りのニトロセルロースが自然発火したのだ。

 危険物の知識がある人なら、これだけでも「あ~あ」という感じだろう。静電気や摩擦、直射日光による熱で自然発火や爆発を起こすあのニトロセルロースである。硝化綿とも呼ばれ、昔から自然発火の例も多い。

 この倉庫ではニトロセルロースが許可量を大幅に超えて野積みされていた。実は火災の四日前にも消防署が撤去を指導していたのだが、それでも寶組は無視し、むしろ保管量を増やしていたフシがあったのだ。

 おそらく直射日光で缶内部が高温になったのだろう。火は、周辺で無許可で保管されていた他のニトロセルロース、アセトン、アルコール類に燃え移り、小爆発を繰り返しながら倉庫全体へ広がっていった。

 この時、付近にあったらしい寶組の社宅にいた従業員は、手動ポンプで初期消火を試みている。しかしとても対応しきれなかった。とにかく危険物という危険物が連鎖反応的に燃え上がるのだから、どう考えても素人では消火は無理である。

 そうこうしているうちに望楼(火の見櫓)勤務の消防署員が火災を発見し、東京消防庁は第2出動をした。

 しかし消防隊は、出動してから13分後にはイカンこれは危険物火災だと気付いて、第4出動へと一気に動員規模を拡大。ポンプ車102台、化学消防車22台、消防艇7隻などの計173台の車両、消防職員1,195名、消防団員381名という当時最大級の体制が組まれた。

 つまり消防も「これは大火事になる」と見込んでいたのである。

 しかし事態は予想の遥か上をいくことになる。原因は、寶組が、倉庫の保管物についていい加減な申告をしていたことだった。以下はいつものエア会話である。

 従業員「なんてこった、倉庫が焼ける~」
消防「それぞれの倉庫には何が入ってるんですか? 危険物じゃないでしょうね」
従業員「え~と、あっちの倉庫は紙とタバコ、雑品、それからこっちの第12倉庫は缶詰だったはずです(私もよく知らないけど)」
消防「ふむふむ……缶詰ね(それなら延焼しても爆発の危険はないか)」
従業員「ただ、敷地内にはニトロセルロースとアセトンとアルコールが野積みになっている場所があるんです」
消防「そんなヤバイ物が野積みになってたのかよ!」
従業員「そうなんです。ですので、そこは延焼すると危ないので、どうか守って下さい」

  という状況下で、火災はどんどん拡大する。倉庫内には石油缶やラッカーの容器などがあり、コイツらがポンポン小爆発を起こすものだから消火活動はなかなか進まなかった。

 それでも火災発生から一時間が経った225556分頃には、現場の消防隊員たちも火勢の落ち着きを感じていた。よしよし、これなら鎮火までもう少しだぞ――。

 ところがそう思われた矢先、延焼していた12号倉庫が突然大爆発を起こした。

  どぼずばああああああん。

  100メートル級の火柱が夜空に立ち上がり、屋根が吹き飛んで巨大なきのこ雲が上がる。隣接する倉庫の外壁が崩れ落ち、爆心地には深さ1メートル以上の漏斗孔ができた。

 おいおい、倉庫内はただの缶詰じゃなかったのかよ。なんで大爆発するんだ?

 答えは簡単で、実際には、12号倉庫に貯蔵されていたのはメチルエチルケトンペルオキシド(methyl ethyl ketone peroxide、略してMEKPO)という危険物だったのである。プラスチック硬化剤として使われる自己反応性物質で、ちょっとした衝撃や摩擦、あるいは熱によって大爆発する代物だ。

 そんなものが2.2トンも保管されていたのだ。もう、危険物の知識がある嘉門達夫なら「ワッチャ~」であろう。

 この、危険物の連鎖反応の帰結としての大爆発で、結果として倉庫三棟が吹っ飛んだ。近くで消火活動をしていた消防士18名と消防団員1名の合計19名が巻き込まれて殉職している。

 また近くにあった指揮本部も吹き飛ばされ、指揮官を含む他の消防関係者や警察、報道関係者も、飛散物や降り注ぐ火の粉などで100名以上が負傷した。首都高羽田線直近の大火災ということで、報道陣も大勢駆けつけていたのだ。

 大惨事である。そして消防関係者が大量に殉職するという異常事態だ。それでも、爆発による火の粉や飛散物の飛来が一段落すると、消防活動が再開されて負傷者も助け出された。

 翌15日の午前1時38分には鎮火している。最終的には、敷地内にあった20棟の倉庫のうち15棟が全焼し、2棟が半焼、8棟が部分的な被害をこうむった。面積で言うと、被害は7,500平方メートルに及んだという。

 損害額は55億円。ちなみに当時の大卒初任給は平均21,190円で、地方公務員の平均給与は31,329円だったという。

 鎮火後には、大爆発を起こした12号倉庫にくだんのメチルエチルケトンペルオキシドが保管されていたことが発覚。さらに、敷地内のいたるところに危険物を無許可で貯蔵し、管理体制もデタラメ、ついでに言えば消防に提出されていた資料も実態と異なる古いものだったことが判明した。

 そんなこんなでその後、関係者が逮捕されたり書類送検されたりしている。起訴から判決までの経過は細かく書くと煩雑になるので、とりあえず最高裁判所での結論は以下の通りとなった。

・副社長…懲役8月、執行猶予3
・専務…懲役7月、執行猶予3
・業務課長・業務課長代理・倉庫係の3名…消防法違反と業務上過失致死傷で禁固12月、執行猶予3年。

  ちなみに、事故が発生してから6日後の720日には、倉庫の守衛長を務めていた男性が自殺している。彼は実際にはこの火災について責任を負う立場ではなかったらしいが、ある意味ではこの人もこの事故の被害者と言えるだろう。

 なお裁判では、一番最初のニトロセルロースの発火について、自然発火ではなかった可能性も示唆されている。ただそれは自然発火であることを示す証拠が見つからないというだけの話で、保管されていたニトロセルロースがいつ発火してもおかしくない状態だったのは間違いないようだ。

 この事故がきっかけで、以下の通りに消防関係法令が改正された。

 ・消防の立ち入り調査の権限の拡大
・措置命令権の付与
・危険物の仮貯蔵の承認権限
・火災現場での必要事項の情報提供を求める権限 etc

 個人的に、この「〇〇の事故災害がきっかけで改正された法令」の歴史というのも、調べてみたらかなり面白いのではないかと思う。しかしネットで調べた程度では、そういう形の情報はなかなか出てこない。

 この事故は、そういう観点でみればおそらくかなりの重大事例である。格好よくいえば危険物行政のターニングポイントとかパラダイムシフトの転換点とかそんな感じになるのではないか。

 さすがに60年以上も前のケースなので(本稿を執筆している時点で2026年)、まあ危険物に対する認識が甘かった時代だからこその事故なのだろうとは思う。とはいえおそらく、この事故が残した教訓は今も変わらないのである。恐ろしいのは危険物そのものではなく、人間側の杜撰な管理の方なのだ。

 当時の現場のあたりには、慰霊堂もあるという。ただ一般人は立ち入りできないようである。

【参考資料】
『特別企画_宝組勝島倉庫爆発火災から50年』
失敗知識データベース - 失敗百選
勝島検討ブログ
takumi296's diary
◆ウィキペディア

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