プードルBによって起きた事故である。
プードルはかわいい |
と、いきなり言われて「プードルBってなんじゃらほい、犬?」と、きょとんとしている読者諸君の顔が目に浮かぶ。実際、ただ単に「プードルB」と検索しても犬しか出てこない。まさか、この可愛い名前のブツが非常に危険な火薬のことだとは想像もつくまい。
プードルBが発明されたのは1886(明治19)年のことである。作ったのはポール・ヴィエイユというフランス人化学者で、彼はこれによって当時の新型火薬だったニトロセルロースを安定化することに成功。歴史上初の無煙火薬の誕生で、それまでの火薬よりも強力だったことから軍事的にも重宝された。
ちなみにプードルBのプードル(Poudre)はフランス語で「粉」のこと。またBはやはりフランス語で「白」を意味するブランシェ(Blanche)で、つまりプードルBは白い粉のことである。B火薬とか、発明者の名前をとってヴィエイユ火薬と呼ばれることもあるとか。
ところがこのプードルBには欠点があった。貯蔵すると劣化し不安定になり、自然発火するのだ。これは時間が経つと、揮発性の高いアミルアルコールが放出されて窒素と混ざり合うためらしい。そうすると、低温でも引火しやすい亜硝酸アミルが生じるのだ。
……と、したり顔で説明しているが、お気付きの通り参考資料の受け売りである。だから間違った説明になっているかも知れない。とりあえずここでは、プードルBという火薬は自然発火することがある、とだけ覚えておけば十分である。
1902(明治35)年に竣工したフランス海軍の戦艦「イエナ」が、このプードルBの発火によって爆発事故を起こしたのは1907年3月12日のことである。
まず3月4日、イエナはトゥーロンという港町のドックに入渠した(ドックとは大型船が入る施設のこと)。目的は船体の整備と舵軸の調査のためである。
トゥーロンの港町 |
どぼずばああああああん。
この爆発は午前1時35分から2時45分の間まで続いた。爆発によって破壊されたのはイエナだけではなく、その周辺もだいぶやられたようだ。隣のドックに入っていた戦艦シュフランは、爆風にあおられて転覆寸前のところまでいっている。
周辺に水があればよかったのだが、悪いことにそこは「ドライドック」で水がなく、火元の弾薬庫に注水できない。
「やばい、なんとかしろ!」
そこで鎮火を試みたのが、近くに停泊していた戦艦「パトリエ」である。
「よし、俺に任せろ。ゲートをこじ開けてドックに水を流し込んでやる」
「一体どうやって?」
「砲撃に決まってるだろ」
なかなかのびっくり大作戦である。パトリエはドックの門を砲撃し、そこから注水して浸水させようとしたのだ。しかしパトリエの砲弾ははじき返されて失敗した。みんな、さぞガッカリしたことだろう。
その後、どうやったのかは不明だが、注水はド・ヴェソ・ルー(de Vaisseau
Roux)少尉によって行われている。だが少尉は飛んできた船の破片に当たり殉職している。おそらく命がけの注水作戦だったのだろう。
こうしてイエナは破壊された。この事故では民間人2名を含む120名が死亡した。
イエナの艦歴はなかなかのものだったようだ。フランス領北アメリカの港を訪問したり、フランス大統領がイタリア国王を訪問する際に観艦式に参加したり、ベスビオ火山の噴火時にはナポリ救援のために派遣されたりしている。
しかし、さすがにこの爆発事故で使い物にならなくなったのか、1908年には「標的艦」として砲撃訓練などの標的に用いられている。そして1912年にはスクラップとして売却された。
それもこれも、弾薬で使用されていたプードルBのせいである。このイエナの一件は火薬スキャンダル(l'affaire des poudres)と呼ばれ、当時の海軍大臣は辞任する羽目になった。
プードルBによる戦艦爆発事故はこれだけではなく、1911年にも「リベルテ」が砕け散っている。これについては稿を改めて説明したい。
【参考資料】
◆ジェームズ・R・チャイルズ/高橋健次〔訳〕『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』草思社・2006年
◆ウィキペディア