◆山形大火(1894年・1911年)

  自分の住んでいる地域で起きた事故災害となるとがぜん興味が湧く。というわけで、筆者の地元・山形県で明治時代に起きた大火である。しかも2回も、である。

 以下の内容はまだ暫定的なものである。今後、調べながら書き足していきたい。

【1894(明治27)年の大火】

 実は、明治時代に「山形大火」は二度起きている。そのうち1894(明治27)年に起きた方は、山形市の南部を焼き尽くして「市南の大火」と呼ばれることになった。

 時は1894(明治27)年5月26日、午後1時15分頃のことである。市内にあった「蝋燭町」という地域の、横町32番地2に空き家があったのだが、そこが放火された。下手人は発話障害(いわゆる唖者)を持つ有喜という人物だったらしい。

 蝋燭町というのも妙な地名だが、山形市にはこの他にも鉄砲町や銅町など、ちょっと変わった地名が多い。

 実は、江戸時代初期に山形県を統治したかの最上義光は、城の外側に町人や職人の町を設けて市の日を決めるなどし、伝統工芸職人の優遇と手業の向上をはかった。それで、住んでいる職人によって塗師町、桶町、銀町、材木町などという地域名がつき、つまり蝋燭町もそうした職人町のひとつだったのだ。

 出火した当時、市内は乾燥し切っていた上に風も強かった。もともとこのあたりの地域は、現在でもそうだが4~5月頃というのは雨が少なく強風が吹きやすい。

 近隣の町が火の見櫓の半鐘を鳴らすなか、炎は強風にあおられて燃え広がり、蝋燭町はあっという間に全焼したという。

 さらに四方に燃え広がった炎は、一部の町では土蔵が崩落するほどの火勢となり、諏訪町、地蔵町、桧物町、材木町を焦土と化したのに続いて三日町へ。続けて二日町、八日町、鉄砲町へ燃え広がった。

 また、別方向へ広がっていった火炎は銀町から桶町、横町へと延びて、七日町から香澄町の一部も焼いた。

 最終的にこの炎は17の地域を焼き尽くし、家屋1,284戸、棟数にして1,608棟が焼失している。鎮火したのは23時40分頃なので、10時間以上も燃え続けたことになる。

 死者は15名、負傷者は69名に及んだ。また家屋以外にも土蔵374棟、小屋924棟が焼けたので、被害を受けたのは合計2,906棟。さらに言えば諏訪町の諏訪神社など神社5か所、七日町の光明寺など寺17か所、堂宇3か所が焼失している。

【1911(明治44)年の大火】

 そして、上記の大火から17年後に、もうひとつの「山形大火」は発生した。1911(明治44)年5月8日のことである。

 しかもこの日は折悪しく、薬師祭というイベントが開かれていた。現在も「薬師祭植木市」という名前で毎年5月8日から10日にかけて開催されている大イベントで、熊本市や大阪市の植木市とあわせて「日本三大植木市」のひとつとされるものの原型である。

 皮肉なことに、このお祭りはもともと4月8日に行われていたのだが、新暦に変わった関係で5月8日に行われるようになり、それで火災のタイミングと重なってしまったのだった。

 さらにもうひとつ皮肉なことに、実はこの薬師祭、先述した最上義光が、当時大火で焼失した城下町に活気を取り戻させるために開催を呼びかけたのが始まりと言われている。400年以上続く由緒正しいこのお祭りが、まさか大火とかち合うことになるとは……。

 時刻は16時半頃、山形市内中心部の七日町のそば屋から出火し、隣の山形自由新聞社(現在の山形新聞社)の建物に燃え移った。

 さらに炎は大通りで延焼し、両羽銀行(現在の山形銀行)まで焼いた上に、祭りが行われていた薬師町まで到達。イベントの中心だった薬師堂も炎にのまれ、数千人の参詣客が逃げ惑ったという。

 ところで、二度目の大火に関しては、山形県民ならお馴染みであろう「文翔館」もちょっと関係している。

 少し話がずれるが、知らない人のために説明しておくと、文翔館は国の重要文化財である「山形県旧県庁舎及び県会議事堂」を修復・利活用している施設の愛称で、正式名称は「山形県郷土館」という。

 まあ山形市のシンボルと言ってもいいのだろう。石造りのモダンな建物で、映画『るろうに剣心』『賭ケグルイ』のロケでも使われている。

 さてこの文翔館、その正式名称からも分かる通り、もともとその場所には県庁舎と県会議事堂が建っていた。山形県が「県」として成立したのは1876(明治9)年のことだが、翌1877年(明治10)年、初代山形県令である三島通庸によって県庁舎が、そして1883(明治16)年に県会議事堂が建設されたのだ。

 が、二度目の「山形大火」によって、いずれも焼失。その後、復興計画に基づいて1913(大正2)年4月に建築が始まり、3年後の1916(大正5)年6月に完成したのが現在の「文翔館」である。

 話を戻すと、つまり山形市を襲った二度目の大火は、県庁舎や県会議事堂が固まっていた、行政の心臓部とも言うべき地区も焼き払ってしまったということだ。これによって市役所、警察署、裁判所などが焼失している。

 今も、文翔館の周辺には山形市役所や地裁などの重要施設が建っている。あとついでに言えば、筆者も大好きな、どら焼きで有名な「榮玉堂(えいぎょくどう)」やパン屋の「フィンズ」も近くにあるので、あの辺りは愛着がある。少し歩けば県立図書館もすぐだ。子供の頃は、松坂屋や梅月堂にもよく行ったものである。うんごめん、大火の話と全然関係ないね。

 そんなこんなで、二度目の大火は銀行や図書館や中学校などの重要施設を灰にして、延べ10時間もその猛威を振るった。1,340戸が全焼という結果になったという。

【参考資料】
やまがたへの旅
防災情報新聞無料版
山形商工会議所

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