香港の蘭桂坊(ランカイフォン)で起きた群集事故である。
と言われても、蘭桂坊って一体なんだ、という話である。それでちょっと調べてみたら、どうやら一言で言えば「観光スポットにもなっているお洒落な飲み屋街」らしい。まずはその来歴を少しだけ説明しておこう。
香港島の中心に、ビジネスと小売りの中心地である「中環」という地域がある。そこには高層ビルやモールや高級ホテルが並び、さらにその中に『徳己立街(ダギラー・ストリート)』という有名な街並みがあるそうな。蘭桂坊は、その徳己立街とコの字型に交差する形で存在しているらしい。
その由来はちょっとユニークだ。蘭桂坊ができる最初のきっかけを作ったのは、後に『蘭桂坊の父』と呼ばれることになる盛智文(Allan Zeman)という人物である。彼が1980年代当初にビジネスで香港を訪れた時、西洋人向けのバーやカフェがなかったので、ビルに投資して複数の飲み屋をオープンさせたのだった。
すると、それが呼び水になり人が集まるようになった。西洋人が飲みに来る、地元の人たちも飲みに来る、仕事帰りのビジネスマンも飲みに来る、観光客まで飲みに来る。店や街に投資する人も増えて、たちまち蘭桂坊は賑わうようになった。
道路に面して立ち並ぶのは、オープンな形式のカフェやバー。さらに枝分かれした小さい路地にもレストランやバーが入っており、夜の10時ともなれば道には人があふれる。週末だったらなおさらだ。
ある者はお酒を片手にスポーツをを観戦し、ある者は音楽を聴き、ある者は友人と歓談する。こうして、欧米式ナイトライフを演出する飲み屋街の草分け的存在となった蘭桂坊は、お洒落な観光メッカへと成長していった。
と、資料のこういう説明を読んで、そして自分で書いてみると、なんだか面白そうだな、一度行ってみたいなという気分になってくる。だが忘れてはいけない、ここは事故災害研究室である。そんなお洒落な蘭桂坊で群集事故が発生したのは、1993(平成5)年1月1日の午前0時頃のことだった。
その日その時、蘭桂坊一帯はなんと一万人以上の人たちで大賑わいだった。事故が起きた日付と時刻を見れば大体想像が付くと思うが、皆、新年を祝うべく集まっていたのだ。日本で言えば、いわゆる新年カウントダウンみたいな感じになっていたのだろう。
で、時刻が0時になり新年を迎えた瞬間、群集の中で押し合いへし合いが生じた。具体的な場所は徳己立街と蘭桂坊のちょうど境目あたりだったそうで、これでもみ合いになってたくさんの人が転倒。下敷きになる人も続出した。
結果、21名が死亡し62名が重軽傷を負う事態になった。死者は15歳から30歳の若者ばかりで、うち一名は病院で5日間にわたり治療を受けたものの助からなかったという。
死者の中には日本人一名も含まれていたほか、多くの外国人が死傷している。そのため、事故発生直後は多くの国際メディアにも報道された。
ここからは個人的な印象だが、資料を読んでいると、蘭桂坊というのは道幅があまり広くないように感じられる。またメインの通りは坂道になっているそうで、そんな場所で一万人以上がひしめき合ったのだから、こうした事故が起きたこと自体は不思議ではなかったのかも知れない。
【参考資料】
◆ウィキペディア「1993年の香港」
◆Weblio辞書
◆岡田光正『群集安全工学』鹿島出版会、2011年
◆HONGKONG NAVI「蘭桂坊(ランカイフォン)」