◆本邦初の鉄道事故は?

 日本で一番最初の鉄道事故はどれか?

 まずは、その問いから始めてみた。近代鉄道事故の夜明け――例えるならば、火災史における白木屋火災のようなケースである。

 ところがどうも話が単純でなかった。ごく普通に事故の歴史を紐解いていけばそのような事例に突き当たるだろう、と最初は高を括っていたのだが、文献によって微妙にニュアンスが違っているのである。

 世界で最初の鉄道事故がなんだったのかは、これははっきりしている。1830年9月15日、英国ランカシャーのパークサイド駅で発生したのがそれだ。よりによってリヴァプール-マンチェスター鉄道の開業当日というめでたい日に、粗忽者の代議士が轢かれて死亡したのである。

 この代議士は、友人に挨拶をしようとして線路を横切ったのだった。どうやら汽車の接近が思いのほか速かったため轢かれてしまったらしい。乗り物といえばせいぜい馬車くらいしかなかった当時、汽車の速度がどれほどのものなのか、多くの人は想像もつかなかったのだろう。 

 では日本の場合はどうか。

 まず、鉄道事故マニア必読の書である『事故の鉄道史』を観てみると、1877年に発生した「東海道線西ノ宮列車正面衝突事故」が「大事故の事始め」だと記してある。

 しかしこれはどうも本邦初の「大事故」あるいは「死亡事故」であって、人が死なない鉄道事故ならその前にも起きていたようだ。それはウィキペディアをちょっと覗けば分かることで、たとえば1874年には「新橋駅構内列車脱線事故」なるものが発生している。ポイントの故障のせいで機関車と貨車が脱線したというもので、これは死者ゼロである。

 だがこれも「脱線事故」というカテゴリーで見れば確かに本邦初と言えるのだが、「鉄道事故」ということでは必ずしも最初のものではないようだ。

 さあそれで、ここで『鉄道・航空事故全史』(災害情報センター・日外アソシエーツ共編 2007年5月刊)を見てみよう。すると、ここでようやくそれらしいものに行き当たる。1872年9月12日、記念すべき鉄道開業式の当日に、線路に入り込んだ見物人が機関車に引かれて指を切断しているのである。なにしろ開業式当日というくらいだから、おそらくこれが本邦初の鉄道事故だろう。

 この時開通したのは横浜-新橋駅間の路線だった。新橋駅ではこの2年後に、上述の「日本発の脱線事故」が起きているわけだ。

 それにしても、死亡事故と傷害事故という違いはあれど、イギリスでも日本でも、開業式当日からいきなり事故が発生しているというのはおかしな符号である。この奇妙な偶然に、これ以降の鉄道史が辿る苦難の歴史がすでに暗示されていたような気すらするのだが、読者の皆様はどうお思いになるだろうか。

【参考資料】
◆佐々木冨泰・ 網谷りょういち『事故の鉄道史――疑問への挑戦』日本経済評論社 (1993)
◆ウィキペディア
◆災害情報センター・日外アソシエーツ編集『鉄道・航空機事故全史―シリーズ災害・事故史〈1〉』(日外選書Fontana シリーズ災害・事故史 1)

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