◆山梨県韮崎バイパスバス・トラック衝突事故(1968年)

 1968(昭和43)年5月15日のことである。

 時刻は午前3時30分。山梨交通観光のバス一台が、国道20号線韮崎バイパスを走行していた。もう少し詳しく書くと、これは山梨県韮崎市韮崎町の高河原という地域だったらしい。

 参考資料によると、このバスに乗っていたのは「東山梨郡大和村立大和中」という学校の生徒30名と教師3名だった。あともちろん、運転手2名と添乗員1名も乗車していた。

 彼らは、修学旅行として午前2時30分に出発したばかりだった。実を言えば具体的な出発地点は分からないのだが、とにかく一時間は走行していたことになる。時刻が時刻なので、ほとんどの者が寝ていたのではないだろうか。

 そこへ、三郷運送という運送会社のトラックが突っ込んできた。衝突を受けたのは、バスの前部右側である。かなりの衝撃で、車体の壁面がはぎ取られるほどだったという。

 この衝突によって、バス内の6つの椅子が外に投げ出された。この椅子についていた人たちだろうか、以下の6名が亡くなった。

 3年A組担任の女性教師(51)
 男性の教頭(45)
 男子生徒3人(14)
 バスの交代運転手(33)

 ぶつかってきたトラックは、愛知から町田に向けて走行中だった。引っ越し荷物を運んでいたのだ。

 トラックを運転していたのは19歳の男性である。彼は、事故現場よりも2キロ手前で運転を交代したばかりだったのだが、不幸にも事故を起こしてしまったのだった。

 やはり、時刻が時刻なので眠かったのかも知れないな…と同情できなくもないのだが、彼は無免許だったという。これでは弁護のしようがない。

 ところで、この事故についてはかなり前に一度書いた。その後いくつか分かったことがあったので、今回こうしてかるく書き直している。

 分かったことというのは、事故に遭遇した中学校のことである。先の文章では校名を「」付きで記したが、わざわざそうしたのは、最初にこの原稿を書いた時、地図上でこの学校名が見つからなかったからだ。

 おそらく合併などがあったのだろうが、その経緯も、ネット上ではすんなり見つからなかった。だから「」付きで表記したのだ。

 だがその後、読者の方から情報を頂いた。町村合併の経過から推定すると、これは現在の「甲州市大和中学校」ではないかとのことだった。

 甲州市は、2005(平成17)年に塩山市・東山梨郡勝沼町・大和村が合併してできた市である。

 ネットで検索してみると、確かに甲州市大和中学校から国道20号線を東へ向かえば韮崎市である。また、愛知方面から国道20号線を町田市へ向かえば、両者は20号線上ですれ違うことになる。

 おそらく、東へ向かうバスと、西へ向かうトラックが対向車線上で正面衝突した形だったのだろう。バスが衝突を受けたのも前部右側だったし、なるほど辻褄が合う。

【参考資料】
ウェブサイト『誰か昭和を想わざる』

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