◆玄倉川水難事故(1999年)

 1999(平成11年)8月14日。お盆休みのこの時期、神奈川県山北町の玄倉川で発生した事故である。

 神奈川県西部の丹沢山系には、深く削られた谷が多い。そこを流れる玄倉川は普段は流れも緩やか、かつ穏やかなものである。よってアウトドア大好きのキャンパーたちにも人気のスポットなのだが、しかしこの川には、知る人ぞ知るもうひとつの人格があった。ひとたび大雨になれば、たちまち増水し鬼のような激流に変わるのだ。

 その日の朝、神奈川県は豪雨に見舞われていた。前夜から接近してきていた低気圧の影響である。午前5時35分には、大雨・洪水注意報もいよいよ警報に切り替わった。

 そんな中、消防署に救助要請が入ったのが、午前8時4分のことである。内容はこのようなものだった。

「山北町、玄倉第一発電所先約100メートルの中州に、大人12人、子ども6人が取り残されています。孤立していて、徒歩では出られない状態です。お願いします」

 そら、来たよ! 消防隊員たちはさっそく準備を整え始めた。彼らは今日、こういう要請が必ずあるだろうと予測していた。レジャーブームの影響で、毎年この季節になると、やれ山から下りられなくなっただの、やれ川や海から脱出できなくなっただのとという事故が多発するのである。

 実際、昨夜の時点でも、すでに一件そうした救助事案があった。そしてその帰り道に、隊員たちは、キャンプ指定区域から外れた河川敷にいくつものテントが張られているのを目撃している。キャンピングカーもあった。いつ事故が起きてもおかしくない状況だったのだ。

 さあ出動である。大人12人に子供6人とは、また大所帯だ。やれやれこいつは面倒そうだな――などと思いながら救助工作車を走らせ、消防隊員たちは現場に向かった。

 外はとんでもない豪雨だった。今朝はいったん穏やかになったとみえた天候が、またしても荒れてきたのだ。途中で通りかかった橋などは冠水していたという。

 やがて隊員たちは現場に到着したのだが、そこで彼らは想像を絶する光景を目撃することになった。目の前にあったのは、見たことも聞いたこともないような状況だった。

 増水した玄倉川では、水が音を立てて流れていた。濁流、激流、奔流といった言葉が似合いそうな凄まじい勢いだ。そしてなんと、そのド真ん中で、総勢18人が水に流されまいと必死に踏ん張っていたのだった。大人の男女、子供、それに幼児もいる。

 どうやら、彼らは川の中州でテントを張ってキャンプをしていたらしい。そこで水かさが増し、身動きが取れなくなってしまったのだ。

 昔のギャグでいえば「じょ~だんじゃないよ~」である。シンプルではあるが最悪の事態だ。こんな濁流の中に飛び込んで救助を行うなんて無茶に決まっている。しかし、遭難者がなまじ手の届きそうな距離にいるだけに、「火勢がすごくて救助は突入は無理です」とも言っていられない。

 さあ、それではどうやって助けるか?

 のび太だったらきっとここで「ドラえもんヘリコプターで吊り上げてよ~」と泣きつくところかも知れない。だがそれは論外である。こんな大雨と雨雲と強風の中でヘリを出したら、たちまち二次災害だよのび太くん。だから、当時のテレビの報道映像でも上空から撮ったものは残っていないんだよのび太くん。

 では天候が回復するまで待つか? いやいや、そんな悠長なことも言っていられない。そこで次に出たアイデアは「梯子車を使う」というものだった。

 ただ、どうも筆者には想像がつかないのだが、この状況で梯子車でどう救助するのだろう? 吊り上げるのか、それとも梯子を水平に伸ばすという意味だったのだろうか? だがどのみち、それも却下された。現場周辺は路肩が弱く、救助用の車両が乗り入れるのは極めて困難だった。

 残る手段は、川の対岸へロープを張るというものだった。「救命索発射銃」という、これまたひみつ道具みたいな名前の器具で、救助用のリードロープを撃ち出すのだ。

 だがそのためには、隊員があらかじめ対岸へ回り込まねばならない。これが時間を食った。対岸へ回り込むための道はなく、隊員たちは豪雨の山の中、道なき道を探してさまよい歩く羽目になった。

 待っている隊員にとっては、これが非常に辛い時間となった。

「おいこら消防、なにやってんだ! 早く助けてやれよ!」

 心ない人たちもいるものだ。現場を見守っていた他のキャンパーたちは、黙って見てりゃいいのに、隊員たちに罵声を浴びせ始めたのだ。

 もっとも実際には、消防もこの間、完全に手をこまねいていたわけではない。隊員が対岸に到着するまでの間に、川に飛び込んでの直接救助を試みてもいる。だが激流には勝てず、転倒につぐ転倒を繰り返してあえなく断念したのだった。

 この様子を見て、見物人たちもさすがに黙りこんだという。

 その間に、ようやく対岸に隊員が到着した。

「よし準備万端整った、リードロープ発射!」

 しかし、一発目は対岸の樹木に引っかかって失敗。

「たいちょ~、なにやってんすか~」
「う、うむ今のは練習だ練習! 次、本番いくぞ!」

 だが残念ながら、二発目は一発目のロープにからまってしまった。それでも一応、張ることはできたようなのだが、これは水圧のために遭難者たちには届かなかったという(※注1)。

 さて、結論を先取りして言ってしまうと、ここから悲劇の瞬間までほとんど秒読み段階となるのだが、実はそこに至るまでの間がよく分からない。

 リードロープの発射は10時30分に開始されたという。だが、遭難者全員が力尽きて濁流に飲まれたのが11時38分のことである。ずいぶん時間が空いている。ロープの発射作業でそこまで時間がかかったのだろうか。

 『なぜ、人のために命を賭けるのか』という本によると――当研究室で「ザ・誤字脱字」と呼んでいる資料文献なのだが――最後に三発目のロープ発射があったことになっている。それが本当ならば時間がかかるのもむべなるかなだが、ただこの文献はたまにウソが書かれているので油断がならないのである。

 まあ細かいことはいいや。とにかく、結果は前述の通りである。11時38分、18人は力尽きて流された。

 当時、現場にはマスコミも押しかけていた。そのため、流される瞬間はテレビで全国中継された。

 だがまだ終わりではない。ちゃんと一命を取り留めた者もいる。まず、1歳の幼児が、流された直後に救助されている。さらに他にも大人3人と子供1人が奇蹟的に対岸に流れ着き、後に救助されたのだった。生存者はこの5人にとどまった。

 残りの13人はそのまま行方不明に。やっと全員分の遺体が見つかったのは、事故発生からほぼ2週間後の8月29日のことだった。

(※注1 ウィキペディアによると、この二本目のロープは「水圧と流木に妨げられて届かなかった」とある。だが参考文献『なぜ、人のために命を賭けるのか』によると、純粋に水圧でロープが切れたとされている。この本には、二本目のロープが一本目のロープに絡まったという失敗談は書かれていない)

   ☆

 この事故、誰が一番悪いのかというと、まあやっぱり犠牲となった当人たちであろう。死者を鞭打つつもりはないが、だがやはり事故発生までの経過を見ると、彼らが死なずに済むチャンスがいくらでもあったことが分かるのである。

 8月13日の午後から、現場付近には低気圧が近づいてきていた。さらに夕方には注意報が発令され、夜には土砂降りの大雨となった。

 犠牲になったキャンパーたちは、この時、もう玄倉川の中州でテントを張っていたのである。もともと、川の中州でキャンプをするというのはその道の人間にとっては禁忌行為だ。その上この夜は、上流のダム管理事務所の職員や警察官などが、水かさが増したら危険だぞと3回ほど警告をしていたのである。にもかかわらず、彼らは判断を誤りそこに留まった。

 現場の中州には、他にもキャンパーたちがいたようだ。だがこの時の警告によって、ほとんどが退避したし、また犠牲者グループの中でも、賢明な3名がそこで避難している。彼らは近くの車の中で一夜を過ごした。

 上流の玄倉ダムに貯水機能はない。よって、降雨量があまりに増せば放水しなければならない。だから管理事務所でも夕方以降に「水を流すぞ~」とサイレンを何度も鳴らし、実際に放流したのだが、それでも中州のキャンパーたちはどこ吹く風。水かさが少し増した程度なら平気の平左、であった。

 そして運命の8月14日。

 この日も、早朝の段階では問題がなかったようだ。

 7時30分頃までの間には、水かさも膝下くらいだったらしい。先に避難したメンバーや警察官が、それぞれ川に入ってテントの様子を確認に来ている。

 だがこの後、状況は一変した。上流の玄倉ダムではまた放流を始めていたし、天候も見る間に本格的な豪雨へと変わっていったのだ。水位はどんどん上がり、ついに8時には移動不可能となった。119番通報したのは、先に避難していたメンバーの男性だった。

   ☆

 ちなみに、この事故で救出活動を行った消防の面々は、当初は凄まじいバッシングを受けたという。電話での非難のみならず、テレビの評論家が余計なことを言ったせいですっかり悪者扱い。13人もの人々を見殺しにした役立たず、と罵られた。

 ところが、ある時を境にそれが180度変わった。

 事故が起きる前、警告に応じて避難した男性がいたのは先述の通りだ。その男性が、テレビでキャンパー側の非を認める証言をしたのである。そして同時に、消防や警官たちの当時の動きについても説明したため、消防の面々は今度はあちこちから称賛されたのだった。

 当時の消防関係者の一人は、この状況について「マスコミの威力を知り、マスコミの力で助かった」と述べたという。

 で、一方でこの事故の記録をネット上で調べていると、今度は犠牲になったキャンパーたちを「DQN」扱いする言説にけっこう行き当たる。DQNとはネット用語で「社会常識のない人たち」を指すそうな(テレビ番組『目撃ドキュン!』にそういう若者がよく出ていたため、ドキュン、をDQNともじって使うようになったらしい)。

 まあ、この辺りのエピソードは余談と考えて頂いて結構である。

 とりあえず余談ついでに筆者が思うのは、匿名性と感情に任せてあれこれ言うのは控えようよ……ということである。事故はいつだって、テレビの画面やネット上で起きているのではない。現場で起きているのだ。

【参考資料】
◆ウィキペディア
◆中澤昭『なぜ、人のために命を賭けるのか』近代消防社(2004)

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