◆蔵王温泉観光ホテル火災(1983年)

 筆者は山形県出身・在住なのだが、まさか蔵王温泉でこんな火災があったとは。ごく普通に驚いた。

 しかもこれが発生したのが3歳の時である。地理的にも時間的にも身近過ぎだ。

 ブログに事故災害関連の記事を掲載していると、「自分の地元でこんな出来事があったなんて知らなかった」というコメントを頂くことが何度かあった。だがこの火災に関しては、逆に筆者がそれを口にする立場である。

   ☆

 時は1983(昭和58)年2月21日のこと。

 山形県蔵王温泉2番地にある「蔵王温泉観光ホテル」には、当時86人のスキー客などが宿泊していた。

 雪国・山形県の2月と言えば最も積雪が多い時期である。スキー場に程近い温泉街にとっては、その冬最後の書き入れ時だったことだろう。

 さて深夜、午前3時30分のことである。

 2階の「はぎ」の間で寝ていた客は、奇妙な音で目が覚めた。パチパチと何かが爆ぜる音である。

 言うまでもなく火事である。ほとんど間をおかず、床の間の天井部分が膨らみ出して炎と煙が噴き出してきたからさあ大変、このお客は廊下に逃げ出した。

 すると今度は部屋の隣にあった便所までもが燃えている。紛う方なき火事である。この客は消火器で消火を試みたが、これは失敗した。

 一方、「すみれ」の間に泊まっていたお客も物音で目を覚まし、廊下に出たところで「はぎ」が燃えているのを見ている。このお客は慌てて1階フロントへ駆け下り、通報した。

 そんなこんなで、従業員も急いで消火活動を開始。屋内消火栓ホースで、中央階段から2階へ向けて放水を行った。

 だがそれも効き目がなく、むしろ火勢は増すばかり。従業員は1階玄関から外に出て、2階へ向けて改めて放水するという「撤退戦」を余儀なくされた。 

 で、言うまでもないと思うが、ここまでの消火活動で簡単に火が消えていれば、当『事故災害研究室』でネタにされるわけがない。残念なことである。

 そもそも最初から大惨事のお膳立ては揃っていたのである。読者諸賢は、ここまでの時点で、火災の時に当然あるべき決定的な「何か」が欠けていることに気付かれなかっただろうか?

 火災報知機である。

 誤報を防ぐためにスイッチが切られており、鳴らなかったのだ。

 オチを先に言ってしまえば、これは当火災で死亡した女性従業員によるもので、この事実により、裁判では経営者兼防火管理者であった代表取締役に禁固2年、執行猶予3年という判決が下されている。

 よって、火災の覚知や避難誘導は、全て人海戦術で行われることになった。ただしこれも統率の取れたものではなく、従業員が各自勝手に分担して、お客を部分的に避難させただけだった。多くの宿泊客は自力で避難している。

 初期消火も、避難誘導も、消防計画の中で定められたやり方からは程遠いものだった。

 延焼は強烈だった。この蔵王温泉観光ホテルは昭和4年に建てられた木造の建物で、ちょこちょこと改築は行われていたものの基本的な部分は建築当初のままだった。さらに強風という悪条件も重なり、あっという間に火炎に呑まれて行ったのである。

 こうなったら消防隊だけが頼りだ――。

 だがしかし、ここからの消火活動がまたえらく難航した。

 まず天候の問題があった。当時の蔵王温泉の積雪量は凄まじいものだった。4輪駆動車以外での現場への到着は不可能な上に、たとえ無事に到着しても今度は腰までの積雪のせいで身動きが取れないという状況だったのだ。

 その上、天候は雪と強風である。要するに吹雪で、気温そのものもマイナス10度まで落ち込んでいた。せっかく放水しても風で水は飛び散ってしまい、また建物にかかってもあっという間に凍結してしまったという。

 あげく、いったん放水を止めればポンプの方が凍る。これはいちいち湯で解凍しなければいけなかったそうで、消防隊の面々もきっと泣きたい気持ちだったろう。

 とどめに現場は平地ではなかった。

 積雪が踏み固められて凍結した状態を「圧雪」と呼ぶが、この圧雪が、傾斜地である地面を覆っていたから最悪である。あろうことか、消火活動の最中に転倒する隊員が続出したのだ。

 これが雪国での消火活動というものなのである。

 先に筆者は磐光ホテル火災の項目で「ここまで悪条件が揃った事例はちょっと珍しい」と書いたことがあるが、どうしてどうして、この蔵王温泉火災もそれにひけを取らない。

 しかし消防も諦めるわけにはいかない。まともな消火活動が駄目でも、とにかく被害は最小限に留めなければ――。隊員たちは火勢に押されつつも、近隣の建物への延焼の阻止に努めた。

 救助活動も難航した。

 そもそも、人命検索のために突入しようにも洒落にならない火勢のためそれも出来ない。また外で宿泊客の避難状況を確認しようにも、避難者と野次馬が吹雪の中でごちゃごちゃしておりそれも無理だったという。

 こうした混乱の中で、蔵王温泉観光ホテルはおよそ4時間半に渡って焼け続けた。山腹で発生したこの火災の様子は、50キロ離れた山形県西川町からも目視できたという。

 鎮火したのは翌朝で、最後の犠牲者の遺体が発見されたのは翌々日のことだったという。

 焼死者11名、怪我人2名。死者のうち1人は、ホテル経営者の家族だった。

 また火災の原因だが、2階のトイレにあった電気ストーブが発火したと見られている。コンセントが加熱したのだ。

 他の火災事例と同様に、蔵王温泉観光ホテルも防災設備の管理ミス、増築を繰り返したことによる迷路化、避難誘導などの不徹底が被害を大きくした原因だった。

 また「適」マークが与えられていたにも関わらず大火事になってしまった点などは、後の長崎屋火災や大東館火災などとも似通っている。

 裁判の結果は先述したが、損害賠償については事故後に迅速に交渉が進められたようだ。被告である経営者の態度は誠実なものだったらしく、会社所有の不動産や個人所有の財産を処分するなどして賠償のための資金を捻出している。そうして一部被害者の遺族から宥恕(ゆうじょ)を受けたこと等も考慮して、刑事裁判では執行猶予の判決が下されたのである。

 火災を起こした蔵王温泉観光ホテルは、今はもう存在しない。筆者も当時の新聞記事を参考に一度現場に足を運んでみた。温泉街の大通りから少し外れた高台に細長い敷地があって、コンクリ製の建物の土台らしきものだけが残っていた。

 温泉街は今もスキー客や温泉客で賑わっている。また、当時延焼の憂き目に遭った旅館などは今でも存続しているようだ。

【参考資料】
◆『火災教訓が風化している!①』近代消防ブックレット
◆『蔵王温泉火災概要』
◆ウィキペディア
◆消防防災博物館-特異火災事例
◆サンコー防災株式会社ホームページ

back