◆西武高槻ショッピングセンター火災(1973年)

 1973(昭和48)年9月25日のこと。

 大阪府高槻市の駅前では、「西武高槻ショッピングセンター」の建築が進められていた。

 開店予定日は4日後に迫っている。建物の外側はほぼ完成しており、市民はその日を心待ちにしていた。

 しかし、工事は予定よりも少しばかり遅れていた。急げや急げ。建物の中では、作業員や店の関係者、ガードマンなどが連日建物の中で寝泊りしていたという。

 そんな状況の中で出火した。朝の6時頃のことだった。

 火元は地下1階である。

 最初に気付いたのは宿直室の男性だった。6時27分、彼は警報装置が鳴っているのに気づいた。

「なんだ故障か? まさか火事じゃあるまいな」

 しかし様子を見に行ってびっくり仰天、廊下には煙が充満していた。彼は慌てて宿直室の他のメンバーを叩き起こした。

「おい火事だ起きろ! 逃げるんだ!」

 煙の勢いはすさまじく、消火や通報を行っている余裕はなかった。

 当時は、分かっているだけでも宿直室で8名、発電機室で2名、店舗の中央で2名が仮眠中だった。その他の人を合わせると、全部で40名ほどが建物の中にいたという(70名という資料もある)。

 実は、これに先立つ6時17分には、4階にいた作業員の1人が一度火災に気付いていた。「フロアに薄い煙が漂っている」と、1階の警備員室に連絡があったのだ。しかしこれは黙殺されたようである。

 造りかけの西武高槻ショッピングセンターは、たちまち上階まで煙が充満して煙突のような状態になった。火炎も立ち上っていく――。

 建物内にいた人々は、三々五々、避難を試みた。

 だが、この避難も統率の取れたものではなく、一瞬の判断がそれぞれの明暗を分けた。例えば、最初に火災に気付いた宿直の男性は、途中で煙のため道に迷い、かろうじて仲間に助けられている。

 消防への通報は、通行人の女性によって行われたという。

 しかし建物の燃え方は凄まじく、とても消防隊が突入できる状態ではなかった。また、西武高槻ショッピングセンターは工事中だったため、これまで防災関係の検査や調査は全く行われていなかったのだ。建物の内部構造もはっきりしていないのでは、迂闊に中にも入れない。消防泣かせの火災だった。

 建物の中からは、続々と避難者が飛び出してきた。その人数を以下に記そう。

 まず、1階の出入口からは11名。地下からは33名。さらに工事用の足場を使って6名が脱出している。ロープを用いて脱出したつわものもいたらしい。また、梯子車によって、4階と5階にいた逃げ遅れの人も救助された(やっぱり建物の中には70名くらいいたのだろうか?)。

 こうして、西武高槻ショッピングセンターは焼け落ちた。完全に鎮火するまでには、なんと20時間もの時間を要したという。建物も、開店の計画も全てがおじゃんである。

 この建物は鉄骨耐火造りの頑丈なものだった。だが、長時間高温にさらされたため、梁は曲がるわコンクリート床は崩壊するわで、鎮火する頃にはまるで爆弾でも落とされたような有様だったという。

 火災当時、建物内には段ボールが山と積まれていた。開店の際に陳列されるはずだった商品で、多くが可燃物だった。これが被害の拡大を招いたのだろう。

 死者は6名。多くは、煙と暗闇のために逃げ道を見失ったとみられ、その内訳は作業員が2名、ガードマンが2名、電気工事関係者が1名、西武百貨店の関係者が1名だった。負傷者は13名に及び、損害金額も55億円に上った。

 火災後、防火管理上の不備も次々に暴かれた。防火計画が消防に提出されていなかったとか、防災訓練が行われていなかったとか、例によってそんな内容だった。

 被害が大きくなったのは、先述の山積ダンボールのほか、防火シャッターが作動しなかったのもその一因だった。工事中のホコリによる誤作動を防ぐため、最初からスイッチが切られていたのだ。

 さらに言えば、火災報知機と放送設備もまだ「仮設置」の状態で、普通には使用できなかったという。スプリンクラーも屋内消火栓も火災報知設備も似たり寄ったりで、避難器具もなし。連結送水管は使えたそうだが、気づいた時にはフロアが煙で一杯だったため、結局使われることはなかった。防災設備は、ないも同然だったのだ。

 素人の目線では「工事中なんだしそのへんの不備は仕方ないんじゃないか」…という気もするのだが、しかしこの火災の直後には、あの太洋デパート火災も起きている。安易に「仕方ない」で片付けられる話ではない。

 工事中の高層建築物は、極めて危険なのである。できれば近づかない方がいいのだ。

 ちなみに気になる火災の原因だが、これは放火だった。11月5日に、綜合警備保障のガードマンの男性が逮捕されたのだ。

 彼は火災当時、建物内で勤務していた。だが体が弱く頭痛持ちで、長時間勤務が嫌で火をつけたのだという。開いた口がふさがらないとはこのことである。

【参考資料】
ウェブサイト『消防防災博物館』
ウェブサイト『誰か昭和を想わざる』
ウェブサイト『高槻のええとこブログ』

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