歴史も古い。もともとこの地域は、明治時代から発電の適地として注目されていた。それで大正から昭和初期にかけて、天竜川を利用した発電所が作られたりしている。そうした開発の動きも戦争で一度は中断したものの、戦後には1954年(昭和29年)に「特定地域総合開発計画」が策定されて、また再開している。
こうした流れで、天竜川の中部ではまず佐久間ダムが建設された。これは当時のダムとしては日本一の規模を誇った。
秋葉ダムが作られたのは、その佐久間ダムからの放水量を調整するためだった。
現在、天竜川の本流には数多くのダムが建設されている。それらの中でも、秋葉山の麓に建設されたこの秋葉ダムは特に有名らしい。秋葉湖と呼ばれる人造湖は、国定公園にも指定されているとか。
そんな秋葉ダムで、凄惨な爆発事故が発生した。1955(昭和30)年2月4日のことである。
ただ厳密に言えば、この時点で秋葉ダムはまだ完成していない。事故は建設工事中に起きた。
場所は、秋葉ダム第一発電所用地の工事現場。磐田郡竜川村横山地内(後に天竜区に編入)、横山橋から500メートル下流の天竜川の右岸である。
その日は、ダイナマイトを使った小規模な発破作業が行なわれることになっていた。こうした爆破作業は1月15日に始まっており、今日で4回目。それで現場には1.2キロのダイナマイト2本が仕掛けられた。
この程度の量のダイナマイトなら、遠くへ避難する必要もない。というわけで午後1時40分、作業員が見守るなかエイヤッと爆破。
……。
実はこの時、現場の坑道34メートル奥には1.9トン(推定量)のダイナマイトが残されていた。これは去る1月20日、2回目の発破作業の時に埋設されたものだった。
単位をよく見て頂きたい。1.2キロと1.9トンである。まるきりケタ違いだ。たちまち誘爆が引き起こされ、発破は想像を絶する大爆発となってしまった。
どぼずばああああああん。
ある作業員は、一緒に吹き飛ばされて地面に叩きつけられ、上から降ってくる岩のかけらを浴びたという。また別の作業員は、1トン半もの重さの鉄杭が50個も次々に将棋倒しになるのを見たという。
結果、現場では約3,000立方メートルにわたり土砂が崩落。ダイナマイト技術者も、一般作業員も、たちまち生き埋めになった。
救助活動はすぐに始まった。電源開発会社と建設会社の作業員たちが、生き埋めになった人々を助け出す。だが3名は救助後に死亡、16名も遺体で発見された。
なんで1.9トンものダイナマイトが放置プレイされていたのか、その理由はググっても出てこないから知りようがないのだが、そもそも陣頭指揮を採っていた日本油脂の社員も2月4日の事故で死亡したため、真相は藪の中となってしまったようだ。(※)
(※資料によっては、日本化薬の社員が発破の責任者だったが彼も爆発の犠牲になった、という記述もある)
ただこうした「ダイナマイト置き忘れ事故」は、もしかすると当時結構あったのかも知れない。
実は、この現場から500メートルの上流で、5月13日にも全く同じような事故が起きたのだ。
これについては項を改めずに、ここでまとめて書いておくことにしよう。その現場では、ダムと発電所を結ぶ水路を掘るために横抗が掘られていた。そこに13時、50本のダイナマイトを仕掛けて爆発させたのはいいが不発の分があり、回収漏れがあったのである。これは18時半の爆発でまたしても誘爆を引き起こし、2人が即死した。
【参考資料】
◆ウィキペディア
◆何かのサイト
back