◆大邱市地下鉄火災(2003年・韓国)

 1・火災の発生

 この火災事故のこともいずれ書こうとずっと考えていたのだが、気が付けばもう発生から20年も経っていた。月日の流れの早さには改めて驚かされる。

 大韓民国の南東部にある大邱(テグ)市はソウルや釜山に次ぐ三本の指に入る大都市である。デパートや銀行支店などが集中しており、ワールドカップの会場になったこともある。

 2003(平成15)年2月18日、世界の火災史上にひとつの記録を刻み込むことになる大火災は、この都市の地下鉄で発生した。

 地下18メートル、つい六年前に開通したばかりの大邱市地下鉄一号線中央路駅でのことである。通勤ラッシュの時間帯が終わったばかりの午前9時53分頃、同駅のホームに列車が入ってきた。この列車は6両編成の1079号で、1両あたりの乗客数は30~50名だったとみられている。

 この列車の2両目の車両に、青いジャージを着た一人の男が乗っていた。彼は、列車がホームに停車しようとするタイミングで1.5リットルのペットボトル2本を取り出すと、中の液体を床にばら撒き始めた。

「おいあんた、何を撒いてるんだ!」

 近くにいた乗客が問いただす。しかしジャージ男は答えず、ライターで火をつけようとしている。

「やめろ、イタズラはよすんだ」

 隣にいた乗客は男を止めようとするが、間に合わなかった。男は液体へ炎を投げる――。

 ちょうどその瞬間というのが、列車がストップする頃だった。男が床に撒いたのは2~4リットルのガソリンで、これに引火すると、炎が一気に車内に広がった。

 実験によると、ガソリン3リットルが燃え上がった場合、火柱は一気に2メートルの高さになり、温度も800~900度に達するという。しかも列車の車両ともなれば熱の逃げ場がないので、車内は炉のようになってしまう。

 それだけを聞くと、犯人や周囲にいた人たちは到底逃げられないように思われるのだが、そもそも放火した当人が助かっている。ガソリンに引火した段階で彼の着衣にも火が付いているのだが、ちゃっかりその場から逃走して助け出されているのだ。

 もちろんこのジャージ男が放火した列車からも死者は出ているのだが、それでも全ての人が絶対に脱出不可能というほどではなかったのである。脱出不可能の状況に陥って大量の死者が出ることになったのは、巻き添えを食ったもうひとつの列車の方だった。

 1079号列車が出火した直後の状況までは、駅の防犯カメラにも映像が残っている。そこには、出火した車両から大勢の乗客が逃げ出し、ついでに放火犯も一緒になって逃げる姿も映っていた。しかしそれから約1分後に電源が切れ、カメラの映像は途切れる。


 2・1080号列車への延焼

 さて、火災発生から3分が経った9時56分、反対線ホームに対向列車の下り1080号列車が入ってきた。

 え? 火災が起きているのに、なんでのんびり入線してきたの? 不思議に思われるかも知れないが、この列車は、運転停止の指令を受けていなかったのだ。

 普通、火災が起きたら、対向車線の列車は入線させないか、あるいは入線してもいいが一気に駅を通過させるのが鉄則である。とにかく火災現場からは遠ざけておくということだ。

 しかし、こうした場合に管制を行うはずの大邱広域市地下鉄公社の総合指令チームは、現場の状況を把握していなかった。

 なぜかというと、出火した1079号列車の運転士が連絡を怠っていたのだ。資料には「迅速な火災報告を怠っていた」と書いてあるので、報告は行ったもののその時にはすでに遅かった、ということだったのかも知れない。

 実を言えば、火災発生と同時に、機械設備司令室では「火災発生」とモニターに表示され、ベルも鳴動している。しかしよくある話で、この警報装置は過去に何度も誤作動を起こしていた(前年は一年間で90回誤作動していたという)ため無視された。おそらく、ベルは鳴ったし火災発生の知らせも入ったけれど、現場からは連絡がないので、今回も誤報だと思い込んだのだろう。

 よって、総合指令チームは付近の列車への運転停止命令を行わず1080号列車の入線を許してしまったのだった。こんな調子なので、当然消防署への通報も行われていない。

 さらに、ミスにミスが重なって被害が拡大することになる。

 後から入ってきた1080号列車の運転士は、先に入線していた1079列車が火災を起こしていることにはもちろんすぐ気付いた。だが(資料を読んでもここの経緯が曖昧なので、少し想像が入るが)おそらく、こういう場合は管制の指示に従わなければならず、勝手にストップしたり通過するわけにはいかなかったのだろう。指示が何もないので、運転士はとにかく停車するしかなかったのだ――火災を起こして煙を噴いている列車の、その隣へ。

 この地下鉄では駅到着と同時に自動的に開扉する仕組みになっていたので、この時1080号のドアも開いた。当時の乗客は「ドアが開いた瞬間、煙が入ってきた。アナウンスが流れて、事故は大したことはありませんと言っていた」と証言している。

 だが、1080号の運転士は思うところがあったらしく(この時点で管制から何らかの指示があったのかは不明)、彼はやっぱり火事を避けるために列車を動かすことにした。で、一度は自動的に開いたドアを手動で閉めて、改めて発車することにした。

 ところが、である。1080号列車が停車してからたった15秒の9時57分に、なんと地下鉄の駅構内は停電してしまった。火災感知システムが作動したのだ。

 こうなると、折悪しく停車してしまった1080号列車はもう発車できない。いわば立ち往生の状態になってしまったわけだが、1079号列車からあっという間に飛び火・延焼したからたまらない。さらに言えば1079号列車の方も、後から入ってきた1080号列車によって押し出された風にあおられる形で、火勢が強まっていたと考えられている。

「一体どうすればいいんですか! 指示を下さい!」

 1080号の運転士は、おそらくそんなふうに総合指令チームへ指示を乞うていたのではないだろうか。しかし先述した通り、同チームはこの時点でも状況を把握しておらず、少なくとも4~5分は時間を無駄にしている。

 火災発生からわずか数分の間に、何かの祟りのように状況は悪化していた。地下鉄公社の電力室は、停電から復旧させるべく電力の再供給を試みるが失敗。さらに、総合指令室との無線電話も切れ、非常灯も切れ、地下3階の地下鉄構内は真っ暗になったのだ。

 これではパニックになるなという方が無理だ。1080号列車の運転士も、もはや消火は困難だと判断して運転室から脱出した。

 しかし、この時に彼の犯したミスが致命的なものとなった。

 本当は、停電の状態でも、列車は非常用バッテリーを使うことでドアを開けることができたのだ。だが彼はそれをせず、おそらく習慣的な動作だったのだろう、非常用バッテリーを使うのに必要なマスターキーを抜いて逃げてしまったのである。こうして、1080号の乗客たちは燃え盛る車内に閉じ込められ、取り残されてしまった。

 ただ資料を見ると、1080号列車のドアが運転士によって一度閉鎖された直後、一部の乗客が手動でドアを開けているとか、非常用コックを使って避難した者がいたとか書かれているものもある。これが本当なら実際には脱出の方法があったということになるが、それを知らなかったせいで車両内で閉じ込められて大勢が死亡したという点は、日本で1951(昭和26)年に起きた桜木町火災を思い起こさせる。


 3・消防の動向

 当地の消防本部は、出火直後の9時54分には火災の通報を受けていた。この時の通報件数は100本を超え、20分以上電話が鳴り続けていたという。

 もちろん、出火した車両の乗客からも通報が相次いでいる。

「火事が起きた」

「早く来て下さい、死にそう」

「出られません、電車の中に閉じ込められています」

 といった内容だった。おそらく「閉じ込められた」という通報は1080号列車の乗客だろう。

 ちょうど、消防本部は中央路駅の近くにあった。よって第一報を受けた時点ですぐ、窓越しに、地下鉄の出入り口から噴き出している黒煙が確認できたという。

 大火災であることはそれだけですぐ察せられた。9時55分に出動司令を発令し、58分には消防隊の第一陣が現場に到着している。

 しかし、先に時系列で説明したことからも分かる通り、この時点ですでに地下鉄の構内は地獄絵図だった。構内は完全に停電して真っ暗、しかもその中で2本の列車が火災を起こし、有毒ガスを含んだ黒煙がもうもうと地下鉄の出入り口から噴き上がっている。煙が空を覆っている様子を「戦場のようだった」と例える人もいた。

 これでは中に入るのは到底無理だ。消防隊はとにかく人命救助を優先的に行い、放水による鎮火作業はその次に行うことにした。

 地下鉄の構内という空間で、停電で真っ暗な上に黒煙が充満しているという最悪の状況である。何も見えないし、また避難するにも救助活動を行うにも黒煙が邪魔をする。たとえ酸素ボンベを使っても、さすがに地下18メートルの地下3階へまっすぐ下りるのは無理で、隊員たちは地下鉄の隣の駅から線路沿いに現場へ向かうしかなかった。

 救助活動に参加した人員は最終的に1,150名にのぼり、消防車両222台とヘリコプター1機が出動している。繁華街の交通は全面ストップし、道路が緊急車両で埋め尽くされた中で、負傷者が続々と救助された。ほとんどの人は一酸化炭素中毒の症状を示しており、どうやら火災現場の地下3階から逃げ遅れて、急速に拡がった煙に巻き込まれたらしかった。


 4・被害と欠陥

 たくさんの逃げ遅れが生じたのは、駅の構造にも原因があった。当駅は駅舎が地下3階にあり、地下2階に改札口があり、そして地下1階に地下街があったのだが、階段の構造が入り組んでいる上に地下鉄の出入り口は四つしかなく、避難ルートが分かりにくい造りになっていたのだ。通気口から煙が出るのにも時間がかかった。

 最終的な死者数は192名、負傷者は146名となっている。このうち、焼けた二つの列車内では142名が亡くなっており、それ以外のほとんどは地下2階の改札口付近と地下3階で亡くなっていた。主な死因は火災による焼死と、煙・有毒ガスによる窒息死だった。

 また、筆者の記憶に間違いがなければ、「正常性バイアス」という言葉が有名になったのもこの事故がきっかけだったと思う。

 正常性バイアスとは、何か異常事態が起きても「自分は大丈夫だろう」と考えてしまう心理学的な「鈍感さ」のことだが、この地下鉄火災では、列車内に煙が充満しているにも関わらず、シートに座った乗客が逃げようとしない様子が写真で撮影されていた。多くの乗客は、明らかに危険が迫っているのにすぐに避難しなかったのだ。

 また先述したように、火災発生直後に運転士が「大したことはありません」と車内放送を流していたらしいので、ますます正常性バイアスが助長されたのかも知れない。こうしたさまざまな要因が絡み合って、大量の死者が発生してしまったのだ。

 鎮火したのは13時38分だった。

 これは筆者の個人的な感想になるが、当研究室で紹介している他の火災事例と比較して、これほど大規模な火災で約4時間で鎮火したというのは意外と早い気がする。

 地下鉄と似たような(?)密閉空間――例えばトンネル――での火災の場合、鎮火するまでの時間は長くなりがちだ。さらに、鎮火が確認できるくらいだから煙や有毒ガスもその前にはある程度終息していたのだろうし、よって、この火災については「一気に燃えて一気に終息した」ような印象がある。今回いろいろ調べたなかで、焼けた列車はところどころで特に燃えやすい素材が使われていたという説明を読んで、この印象はますます強くなった(あくまでも素人の印象である)。

 火が付いた二つの列車では、軽量化のため、内装に「不燃材」ではなく「難燃材」が使われており、これが焼けることで煙や有毒ガスが大量に発生した。また、車内の内壁や天井は繊維強化プラスチック製が、床は塩化ビニルが、座席などにはポリウレタン材が使われていたのも、有毒ガス発生の原因になった可能性があった。

 また、延焼した方の1080号列車は連結部が開放されていたので、もともと燃え移りやすかった。さらに連結部の蛇腹も燃えやすい合成樹脂でできていたという。

 これらの列車の車両は、韓進重工業(韓国の造船業・建設業企業グループの親会社)がドイツ企業などから部品を輸入して組み立てて、納入したものだった。韓国では1998年2月に、地下鉄の内装材に難燃性の素材を使うべしという安全基準が設けられていたが、焼けた車両はその前年の97年に製造されたものだったので、この規制の対象外となっていたのだ。日本の言葉で言えば「既存不適格」というやつである。

 先に、駅の構造に問題があって多くの人が逃げ遅れたと書いたが、こうした構造的欠陥は多くの面で見られた。

 一応、当時の韓国の地下鉄駅には、消防法によって換気・防火システムの設置が義務付けられていた。よって中央路駅にも煙を感知して自動的に排気するシステムがあり、排気口から煙が排出されている。また、スプリンクラーもきちんと作動していた。

 しかし結果はこの通りで、煙と有毒ガスによる死者が多く出ている。さらにスプリンクラーも給水量が足りず、その効果は限定的だった。消火器や消火栓も設置されていたが、それで消火活動が行われた痕跡はない。

 つまり、防災や安全のためのシステムが、このような大規模な火災には対応し切れなかったのである。


 5・責任の所在

 また、これほどの大惨事になったのは、言うまでもなく大邱地下鉄公社の職員の対応ミスも大きな原因だった。前述した指令チームの失態や1080列車の避難時のミスがそうで、さらに出火元である1079列車の運転士も、どうやら乗客の避難誘導などをすることなく真っ先に逃げ出していたらしい。

 やや余談めくが、筆者は当時のニュースをちらっとテレビで観て、記者会見の映像が今でも強烈に印象に残っている。記者会見に臨んでいたのは、たぶん1080号列車の運転士だったのだろう、頭から衣服か布切れのようなものをかぶって完全に顔が見えないようにした男性で、彼はその状態で自分が列車から「避難」した時の状況と経緯を説明していたのだった。

 大邱地下鉄公社の、その後の対応も誠実さを欠いたものだった。もともとこの組織には隠蔽や責任逃れの体質があったらしく、当初、1080列車の運転士がマスターキーを抜いた理由については「被害を抑えるため」と説明していたとか。

 また、焼けた車両に有毒ガスが出る品質のものが使われていたことも、最初は否定していたという。事故の原因や経過を公表し、失敗の教訓を将来に生かそうという姿勢はなかった。

 とはいえ、誰が一番悪いのかと言えば、やっぱり最初に放火したジャージ男である。

 先述した通り、この男は放火直後に逮捕された。そして病院で治療を受けながら、顔出しアリでテレビのインタビューを受けたりしている。彼は元タクシー運転手で、脳卒中を起こして失職してからは失語症や脳梗塞を患い、右半身の麻痺もあって「脳病変障害2級」の認定を受けていた。

 口癖は「死にたい」で、犯行動機は大量殺人犯にありがちな「他の人と一緒に死のうと思った」だった。裁判では死刑を求刑されたが、心神耗弱が認められて無期懲役に減刑。刑は確定したものの、その後2004(平成16)年8月30日に脳卒中の後遺症で死亡している。

 この地下鉄火災では、実行犯のジャージ男の他にも運転士2名と中央路駅駅員2名、指令センター職員3名、安全担当者1名の計8名が、事故当時の対応の不適切さから業務上重過失致死傷容疑で起訴された(後に全員が有罪判決を受けている)。

 さらに興味深いのが、当時の無線交信記録を改竄したということで、地下鉄役員3名が証拠隠滅の罪で逮捕・起訴されている点である。

 先にもちらっと触れたが、このことからも分かる通り大邱地下鉄公社はあまり誠実とは言えない体質の組織だったようだ。事故直後、焼けた二つの列車の運転士や駅員、指令員は、上層部の指示で口裏合わせを行っている。それでも当時の不手際が全て明らかになると、上層部は今度は運転士と指令員に全ての罪をおっかぶせようとした。

 さらに、火災の翌日には、安全対策をほとんど行わないままで一部区間で運行を再開させたことで非難を浴びている。この運行再開の措置の是非はともかくとして、大事故の直後に被害者や世間の神経を逆なですることばかりやっているあたりは、日本の某鉄道会社とも似ている気がする。


 6・その後

 その後は官民あげての再発防止対策が実施され、韓国の列車の内装材は、順次不燃材へと入れ替わった。また、それまで存在が知られていなかった非常用ドアコックの使い方が明示されたり、列車内・駅構内の液晶画面でも使い方を放映するようになったという。

 筆者は地方在住だし、鉄道はあまり使わないのでよく覚えていないのだが、東京の鉄道でも列車内に液晶画面が設置されているものの、非常用ドアコックの使い方の放映まではしていなかったように思う。なかなかいいやり方だと思うのだが、日本では採用しないのだろうか。

 火災現場となった中央路駅は、改装工事を経て12月31日に営業を再開した。

 被災した列車の車両の一部は、「大邱市民安全テーマパーク」に保存されており、ここでは当時の状況を再現したドラマを鑑賞することもできる。

 また、現場となった中央路駅構内には、無料で入場できる「2.18大邱地下鉄火災惨事記憶空間」というものがある。ここには全焼した施設の一部がそのままの状態で保存されており、壁面には犠牲者の名前と生年が刻まれている。


【参考資料】
防災システム研究所
失敗知識データベース
産経ニュース
ぽこぽこ日和
毎日新聞

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