◆和歌山市民会館将棋倒し事故(1957年)

 1957(昭和32)年2月6日のことである。

 時刻は午後6時。和歌山市民会館前の道路には、4列縦隊で500メートルにも及ぶ人の行列ができていた。街角を幾重にも折れ曲がる行列だったというから、ちょっと異様な光景である。

 理由は、会館でこの日開催されていた人気歌手の歌謡大会である(この人気歌手というのが誰なのかは不明)。

 資料によると、第3回公演の開場が午後6時からだったとあるから、この日はすでに2回の公演が終わっていたものと思われる。

 人々は午後1時頃からすでに集まってきていた。開場の頃にはその人数たるや6,000に達していたそうな。

 とはいえ、主催者側もそこは心得ていた。あるいは、前年の大阪劇場の事故の例に鑑みたのかも知れない。会館側・所轄警察署・興行者の3者は事前に相談しており、人々をきっちり並ばせた上で108人の警察官を配備する――などの措置を取っていた。

 ここまで読むと「たいへんよくできました」なのだが、それでもなぜか事故は起きた。

 開場し、隊列が進み始めて間もなくのことだ。行列の後ろの方にいた人たちが、「入場できないのではないか」と不安になったらしい。せっかくの整列を乱して、前へ前へと押し進み始めたのだった。

 これで2人の女の子が押され、胸部圧迫の負傷をした。

【参考資料】
◆岡田光正『群集安全工学』鹿島出版会、2011年
『第32回明石市民夏まつりにおける花火大会事故調査報告書』29章「国内で発生した主な群衆事故」
災害医学・抄読会 2003/12/12

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