◆秩父夜祭事故①(1935年)

  日外アソシエーツから出ている『昭和災害史事典』をよく参照する(ぼんやり眺めるともいう)のだが、1935(昭和10)年の項目の中に興味深い事例を見つけた。以下の通り書かれていたのだ。

12.3 夜祭見物客死傷 (埼玉県秩父郡秩父町)
123日、 埼玉県秩父町の秩父神社で夜祭の見物客17名が死傷した。
《データ》 死傷者17

  実にそっけない文章だが、17名死傷というとかなりの大惨事である。文章のそっけなさにかえって想像が膨らみ、かるく調べてみた。それで行き当たったのが秩父夜祭というイベントである。

 このお祭りはユネスコ無形文化遺産や国の重要無形ならびに有形文化財にも登録されており、全国的にも有名なものらしい。筆者は寡聞にしてぜんぜん知らなかった。

 イベントの内容は、「笠鉾(かさぼこ)」という豪華な山車を二基、それから屋台四基を曳いて町中を廻るというものらしい。

↑秩父夜祭の山車

 で、この秩父夜祭では、確認できるものとしてはこれまで五回、死傷者が出る事故が発生している。簡単にまとめると以下の通りである。 

1914(大正3)年123日…屋台の転覆で5名が負傷
1935(昭和10)年123日…17名が死傷(サイトによっては負傷者10数名とも)
1947(昭和22)年123日…花火見物帰りの人々による群集事故で6名が死亡、数十名が重軽傷
1965(昭和40)年…「中近笠鉾」の曳き手が轢かれて死亡
1969(昭和44)年…「中町屋台」の曳き手が轢かれて死亡

  とにかく情報が乏しいので、ネットで検索してすぐにある程度の詳細が分かるのは1947(昭和22)年のケースくらいである。それについては②として稿を改めてまとめておきたい。

 最初にご紹介した1935(昭和10)年の事故については、上記の通り、確かにネットでもちょこっとだけ情報があった。ここでは「詳細は不明だが、とにかく事故があったらしい」という程度の説明にとどめておく。

 【参考資料】
秩父まつり会館
秩父夜祭の基礎知識「事故と規制」

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