◆歌舞伎町ビル火災(2001年)

 ここまで当「事故災害研究室」では、主として20世紀の日本の火災事例をご紹介してきた。それもいよいよここで一区切りである。

 今回書き記す歌舞伎町・明星56ビル火災が発生したのは2001年のこと。長崎屋火災からすでに10年以上が経過し、火災による大量死などというものはほとんど見受けられなくなった時代である。

 輝かしき新世紀。そう、この頃になると、大規模施設での大火災事故などというしゃらくさいものは日本国内では根絶されていたと言ってもいい。これはひとえに、法律の整備とその徹底した運用の賜物である。何百人もの火災死者という尊い犠牲を払って掴み取った、法治国家の勝利だった。

 だが、そんな勝利の凱歌に冷や水を浴びせたのがこの新宿歌舞伎町で起きた火災だった。

 この火災は、起きた出来事とその結果だけを見れば、それまでの火災と大した違いはないように思える。だがやはり、いま改めて火災の歴史の中で振り返ってみると、確かにこれは「火災の新世紀」の幕開けを告げる事例であった。

 昔ながらの商業施設火災の特徴を兼ね備えつつも、その後の火災は全てこの火災の相似形でしかない。そして恐らく、このタイプの火災は今も完全に乗り越えられてはいないのである。

   ☆


 この火災が発覚した経緯は、なかなか劇的である。2001年9月1日の午前0時59分頃、路上にいきなり1人の男が「降ってきた」のだ。

 そこは眠らない街・新宿歌舞伎町一番街のメインストリート。深夜とはいえ、行き交う人々にとってはまだまだ宵の口の時刻である。その男の出現は、さぞ多くの通行人を驚かせたことだろう。
「おいどうした。あんた大丈夫か」

 闊歩していた客引きもヤクザも売春婦も鮫島刑事も(注・歌舞伎町という街に対してかなり偏見が入っています)、思わずその男に駆け寄った。すると男はふらふらと立ち上がり、こう言った。

「火事だ。まだ中にお客さんがいるんだ。お客さんが……」

 そして目の前の小汚いビルに入っていこうとする。

 おいおい、なんかコイツ聞き捨てならないこと言ってるぞ――。そういえばそもそもこの男、どこから落ちてきたんだ?

 人々はそこで一斉に上空を見上げた。するとなんたることか、男が入っていこうとしているビルの3階から煙が吹き出しているではないか。

「やめろ、あんた行くな! ここでじっとしてろ!」

 人々は男を止めにかかった。

 言うまでもなく、これは半分想像で書いている。だが煙を逃れて落下してきた店員が、お客のために再びビル内に戻ろうとしたのは本当らしい。また、通りの人々が彼を引き止めたことも。

 半ば余談になるが、このビル火災の話は全体的に「不気味」である。迷宮入りになっているからというのもあるが、事件の背景を調べれば調べるほど、歌舞伎町の闇とでも言うべきものが感じられて気持ち悪くなるのだ。そんな中で、この火災発覚の経緯だけは、唯一どことなく人間味が感じられるエピソードである。

 さて。言うまでもなく、男が降ってきたこのビルこそが「明星56」だった。

 何が明星で何が56なのかは知らないが、それはまさに、我々が「歌舞伎町の繁華街の雑居ビル」と言われて即座に思い描くような建物そのものだった。1階は風俗無料案内所、2階は風俗店、3階は違法麻雀店「一休」、4階はキャバレー、地下にはカジノとクラブ。まったく夢のような建物である。

 しかしこの夜は夢どころではなかった。男の飛び降りがあった時点で、すでにビル内は地獄絵図の様相を呈していた。

 実はこれと前後して、建物内のキャバクラから消防に救助要請があったのだ。従業員の女性の訴えが記録に残っている。

「歌舞伎町なんですけど、火事みたいで煙が凄いんですよ、歌舞伎町一番街の●●(注:店名)です。早くきてください、出られない、助けて」

「火事です、今現場いっぱい、4階、もう避難できないんで、早く助けてください。10人ぐらい。お願い」

 痛ましすぎる。書き写しているだけでも胸が詰まる。この店の従業員と客は全員死亡した。

 火元は3階の麻雀ゲーム店だった。煙はあっという間にフロアに充満。階段は多くの物品で塞がれており防火扉も作動せず、4階も即座に煙で満たされた。火災報知器は誤作動封じのためにスイッチを切られ、さらに内装材で覆われていたという。これがホントの火災放置器…なんて冗談は口が裂けても言えない。

 この火災で助かったのは3人の従業員だけだった。彼らはビルの窓から飛び降りて一命を取り留めている。

 避難誘導は行われなかったらしい。否、とてもそんなことができる状況ではなかったというのが本当のところだろう。煙のみならず、建物内ではバックドラフトまで発生していたのだ。せまっ苦しく暗い雑居ビルの一室でそんなことになったら普通は逃げるだろう。

 それに歌舞伎町では、「火事だ」などという叫びはそれだけでオオカミ少年のたわ言として片付けられるのが関の山だった。誰かが叫べば酔っ払いの仕業、煙が出てくれば誰かのイタズラ、で済まされる空気があったようだ。これもまた一種の「構造的欠陥」であろう。

 通報を受け、消防車101台が到着。現場は騒然とした。

 消防隊員や消防団員361人が協力し、消火と救助が行われたという。

 その甲斐あってか火災そのものは2時間ほどで鎮火し、救助活動も2~3時間で完了している。しかし運び出された人々は例外なく心肺停止状態で、彼らは朝までに次々に息を引き取った。

 死者44名、怪我人は最初に脱出した従業員の3人だけ。まさに生きるか死ぬかの大惨事となった。

 火災の原因はなんだったのか? これについては、新聞やテレビで多くの憶測が飛び交った。火元になったガス管からはガスメーターが外れており、それは誰かが外したのではないか……とか、火災と前後して、爆発に遭遇したような姿で逃げていく男がいた……とか、あるいは火災に遭った3階の麻雀店に恨みを持っている客がいたとか、事故後に外国人からの犯行声明じみた怪電話があったとか、この手の噂話を挙げるともう枚挙に暇がない。

 結論を言えば、まず放火で十中八九間違いないだろう、というのが現在の通説である。下手人は捕まっていない。

   ☆

 この火災、一体どのへんが「火災の新世紀」の幕開けだったのか。

 それまでは、大勢の死者が出る火災と言えば、デパートやホテルなどの大規模施設で発生するものと相場が決まっていた。

 だが明星56は、そうした大規模施設の範疇に入るものではなかった。このようなこじんまりした狭いビルでも大人数が出入りすることがあるし、その状況で火災が起きれば大惨事になることもある――ということが、この歌舞伎町ビル火災では示されたのである。

 時代は変わった。デパートや高級ホテルなどの大規模施設ばかりが、大衆にとっての娯楽施設ではなくなったのだ。小規模な狭い空間で、少人数もしくは自分ひとりで楽しめる娯楽を人々は求めるようになっていった。居酒屋、カラオケ、ネットカフェ、漫画喫茶……。歌舞伎町ビル火災は、そうした場所でひとたび火災が起きればどうなるかを極端な形で示した先駆けの事例だったのである。

 ――というわけで、ビル関係者が逮捕されるよりも早い2002年10月25日、消防法は改正されることになった。

 内容的にどう変わったかというと、まず火災報知器の設置基準が厳しくなった。また消防署の取り締まり権限が強化され、同時に防火管理者の責任も明確化。その上、違反者に対する罰則も強化されたのだった。

 ひとことで言えば非常にキビシー! といったところか。

 もっとも、その後もこの手の「小規模施設の大火災」は頻発している。火災と法治国家の戦いは今も続いていると言えるだろう。

   ☆

 さて明星56であるが、その後の捜査で、テナント名義の又貸しが幾重にも行われていたことが判明(暴力団も関わっていたらしい)。一体誰がこのビルの本当の管理者なのか、特定するまでにはだいぶ骨が折れたようだ。

 ともあれ2003年2月には、ビルのオーナーとテナント関係者の6名が業務上過失致死で逮捕。5年後の2008年7月には5人が執行猶予付きの有罪、ひとりが無罪という判決が下された。控訴はなされていない。

 刑事での判決が出るまでの間には、民事でも揉めている。被害者の遺族がオーナーたちに損害賠償を求めたのだが、これは8億6千万円の和解金を払うことで決着した。

 これと歩調を合わせて、忌まわしき明星56も解体されたのだった。

【参考資料】
◆ウィキペディア
ブログ『裏の裏は、表…に出せない!』――「歌舞伎町ビル火災事件の闇」
防災システム研究所ホームページ

back