◆聖水大橋崩落事故(1994年・韓国)

 格闘漫画『バキ』でシンクロニシティという概念が登場する。偶然の一致としか言えない事象の背後になんらかの要因や意志の働きを見出そうとする考え方とでも言おうか。こうしたシンクロニシティの背後に、神秘的な力の存在を見出す立場もあるようだ。

 そして困ったことに、事故災害の歴史を紐解くと、このシンクロニシティの例には枚挙に暇がないのである。日本で言えば八高線での連続事故、三河島事故と鶴見事故、千日デパート火災と大洋デパート火災、航空機事故などなどがある。そして話がこのような人災ともなれば、神秘的な力のせいということで簡単に片付けるわけにもいかない。原因の究明が急務となることは言うまでもないだろう。

 今回挙げるのは、1994年にソウルで発生した建造物崩壊事故である。この翌年には三豊百貨店の崩壊事故も起きており、これもまたシンクロニシティであろう。

 その建造物の名は聖水(ソンス)大橋。ソウル市内の漢江にかかり、城東区と江南区を繋いでいた橋だった。これが1994年10月21日の午前7時40分、突然崩壊して20メートル下へ落下したのである。

 崩壊といっても、橋全体が崩れたわけではない。橋の一部分がパキッともげて、その部分だけが落下したのだ。だが間の悪いことに、当時は朝の通勤通学時刻だった。その上、橋上では雨による交通渋滞が発生していたのである。

 さらに、当時の漢江は渇水中だった。よって崩壊した橋のパーツが完全には水中に没せず、落下した車はもろに橋の舗装部分に叩き付けられ大破する結果になった。川の水がクッションの役割をこれっぽっちも果たさなかったのである。

 結果、死者は32人。うち17名は通学のためスクールバスに乗っていた女子中高生だった。

 事故の原因は、手抜き工事と判明した。

 もともとこの聖水大橋は、走行中の揺れが激しいということで多くの苦情が寄せられていたという。それもそのはず、この橋は施工当時から要所要所の溶接がいい加減で、鋼材の腐食やひび割れもひどかった。

 また、その後のチェックによって溶接部分の異常が何度も確認されていたにも関わらず、橋を管理していたソウル東部建設事務所は補修工事を一切行っていなかった。事故当時は、ソウル市のほうでようやく橋の補修を始めたところだったのだ。

 当時の韓国では、都市部での大規模建築が盛んだった。だがしかし、関係者の技術もモラルも危機管理も時代の要請に応えられる状態ではなく、「安く早くドンドン建築すべし」という風潮だけが先走っていたようだ。さらに、橋上の交通量が当初の想定の2倍に上っていた点も惨劇の呼び水になったと言えるであろう。聖水大橋は建造物としては比較的新しいものだったにも関わらずこうして崩壊し、人々に衝撃を与えた。

 だがさすがに、こんな事故が起きては国民も黙ってはいない。国内に蔓延する手抜き工事への対策を練るべし、という声に押されて、当時の金泳三大統領は全国の道路や橋梁の一斉点検を始めた。

 聖水大橋については、国内の業者ではなく外国の専門企業が復旧工事を行うことになった。この工事契約を落札したのは英国のコンサルタント、レンデル・パルマ-・アンド・トリトン(RPT)社だった。

 まあ「RPT社だった」などと言ってみてもそれがどんな会社なのか筆者はさっぱり分からないのだが、再設計の後に1997年に再び開通した聖水大橋、2001年にはまた手抜き工事が発覚したというから、どうせロクな業者ではなかったのだろう。……というのはちょっと言い過ぎかな。これは根拠のない呟きと思って頂きたい。

 ちなみに、日本の橋はどうなのだろう。

 この聖水大橋の事故は日本にも衝撃を与え、多くの技術者がコメントを寄せている。そしてこの技術者たちの回答は以下のようなものだった。

「日本の橋は、通常の供用条件で、いきなり崩壊落下するようなことが絶対にないように安全に設計され、厳重な品質管理がされている」。

 そして2008年8月28日には、新潟市の朱鷺メッセ連絡デッキ橋が「通常の供用条件」でいきなり崩壊落下した(怪我人なし)のだから、まったくいい加減なものである。

【参考資料】
◆ウィキペディア
◆失敗知識データベース

back


スポンサー