『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』で紹介されている爆発事故である。
世界初の無煙火薬である「プードルB」の危険性については、1907年に起きた戦艦「イエナ」の爆発事故の中で説明した。今後は、同じプードルBによって引き起こされたもう一つの戦艦爆発事故だ。
1911年9月29日のことである。
フランスのツーロン港に停泊していた戦艦「リベルテ」は、1908年に竣工した戦艦で、地中海艦体に所属する前弩級戦艦だった。
で、当日停泊していたリベルテの弾薬室にはいくつものプードルBが保管されており、これが案の定自然発火した。
前方の弾薬室から、黄色い煙がもくもくと噴き上がる。大変ヤバイ状況だった。このままでは火災の高温で鉄製弾薬棚が溶けてしまい、そこにある何百発もの火薬に引火するだろう。
艦長は、艦尾にいる被害対策班の動員を発令。機関長と砲術長にこう命じた。
「火災が起きている弾薬室に海水を注入しろ」
命じられた二人は、ただちに海水バルブを開けに行く。しかしバルブは当の弾薬室の真上にあり、火炎と煙と小爆発がひどくて前に進めない。
彼らは決死の覚悟で二回バルブへの接近を試みたが、いずれも失敗した。弾薬室は喫水線よりも下にあるので、バルブさえ開けば海水が流れ込んで消火できるはずだった。さぞもどかしかったことだろう。
そのうち艦内は停電し、海水バルブがある下層甲板部分は真っ暗になった。どうしようもない状況で、機関長と砲術長は仕方なく艦長のところへ戻って報告する。
「とても無理です。バルブに近づくこともできません」
しかし艦長は二人を罵った。
「バカモノ、すごすぐ引き返すとは何事だ。いかなる犠牲を払ってでも、現場に戻って任務を完遂せよ!」
仕方なく、二人は再度弾薬室へ向かう。彼らは二度と帰ってくることはなかった。リベルテの艦体の前方三分の一が、ここで爆発して吹き飛んだのである。
どぼずばああああああん。
ウィキペディアでは、リベルテはこの時「事故により爆沈」とあるので沈んでしまったのだろう。爆発によって吹き飛んだ37トンの装甲板も、200メートル離れた場所に停泊していた戦艦「レピュブリク」にぶつかって大きな被害を出したという。レピュブリクにとってはとんだとばっちりだった。
この爆発事故で、上述の機関長と砲術長を含む約200名が死亡した(艦長がどうなったのかは不明)。同年10月3日には、当時の大統領隣席のもとで国による葬儀が行われている。
現在では、この大惨事は「予見可能で回避できた」とみられている。それもそのはずで、別稿で紹介した「イエナ」の事故を含み、プードルBによる海軍での爆発事故はそれまでにも複数回起きていた。またこの頃になると、同等の性能でより安全性の高い火薬も容易に入手できるようになっていたという。
つまり、プードルBはこの時すでに時代遅れのブツであり、リベルテの爆発は危機管理上のミスによって発生したものだったのだ。ざんねんな事故である。
【参考資料】
◆ジェームズ・R・チャイルズ/高橋健次〔訳〕『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』草思社・2006年
◆ウィキペディア