1923(大正12)年にイギリスで起きた「ホワイト・ホース・ファイナル」と呼ばれる出来事は、かなり大規模な群集事故だった。負傷者もかなりの数に上っている。だが死者は出ておらず、当研究室で取り上げる事例の中では比較的穏やかなものである。
むしろこの事例では、大惨事に至る寸前で混乱が鎮められている。今でも語り継がれて伝説化しているのは、この群集の鎮静化についてなのである。
よって、ホワイト・ホース・ファイナルは「群集事故」の事例というよりも「群集整理」あるいは「雑踏整理」の事例と呼ぶべきかも知れない。
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1923(大正12)年4月28日のことである。この日、ロンドンのブレント区ウェンブリーにあるサッカースタジアム「ウェンブリー・スタジアム」では、FAカップの決勝戦が行われる予定だった。
少し解説しておくと、もともとサッカーとラグビーはイングランド発祥のスポーツである。同じくロンドンにあるトゥイッケナム・スタジアムが現在は「ラグビーの聖地」と呼ばれるのに対し、ウェンブリー・スタジアムは「サッカーの聖地」とされている。
そして、この1923年4月28日というのは、実はウェンブリー・スタジアムの竣工日でもあった。つまりこの日のFAカップ決勝戦というのは、同スタジアムにおける記念すべき初試合となるわけだ。
しかし問題もあった。第二次世界大戦前、イングランドの人々のサッカー熱はかなりのもので、スタジアムの収容人数を大幅に上回る観客が押し寄ることもしばしばだったという。
時に、観客たちは入場制限もなんのそのと言わんばかりに入場口を破壊して突入したり、柵を乗り越えたり、スタジアムの屋根に上ったりして観戦したそうだ。運営側もさぞ頭を痛めたことだろう。
ただこの時代は、そんな観客の安全について関心が寄せられることはほとんどなかった。考えてみれば無理もない話で、あんがい、暴徒同然の観客がどうなろうと知ったこっちゃないというのが関係者の本音だったのではなかろうか。
さて、ウェンブリー・スタジアムの収容人数は、立ち見も含めて12万5千人。これは当時としては前例のない収容人数だった。ところが当日はこれに20~30万人の観客が押し寄せたという(正確な観客数は不明)。
当日、入場ゲートは予定通り午前11時半に開かれた。だが、午後1時までに膨大な数の観客が殺到。これを受けて、運営側は午後1時45分にゲートを閉鎖することに決めた。
結果、ゲート前にはスタジアムから閉め出された群集が溢れかえった。彼らを鎮めるために地元の警察官が出動するも、人数が多すぎてとても手に負えない。午後2時15分には、ついに一部の観客が柵を上るか破るかして強行入場する事態になった。
今では考えられないが、彼らはなんとピッチ(グラウンド)にまで押し寄せ、ゴール近くまでひしめき合っていたという。完全に邪魔である。お前らは試合を観に来たのか妨害しに来たのか、と突っ込みたくなるのは筆者だけではないだろう。
あまりの混乱のため、試合を中止することも検討されたという。だが、かえって群集が騒ぐかもしれないので中止案は却下された。
これだけ人がひしめき合って怪我人が出ない方が奇跡である。結果として一千人以上の負傷者が出た。
で、この事故の何が「ホワイト・ホース・ファイナル」なのかというと、現場に駆けつけて雑踏整理を行ったジョージ・スコーリーという警官が見事に群集を落ち着かせたのだ。いい仕事してますね~。彼のこの功績が語り継がれることになったのである。
この日、警部補のジョージは非番だった。しかしウェンブリー・スタジアムの常軌を逸した混雑を鎮めるために駆り出されたのだった。現場に駆け付けた彼は白馬「ビリー号」に乗ってビッチ内をカッポカッポと進み、威厳に満ちた態度で少しずつゆっくり観客を落ち着かせ、誘導したのである。
これによりピッチのスペースが確保できて、予定されていた試合は45分遅れのキックオフとなった。
言うまでもないが、ホワイト・ホースとは白馬のことである。この見事な雑踏整理が語り継がれ、この試合は「ホワイト・ホース・ファイナル」と呼ばれるようになった。
もっとも、怪我人が出ているので手放しで称賛できるものでもないのだが、このジョージ警部補がいなければもっとひどい惨事になっていたかも知れない。現に、ヨーロッパではサッカー会場での群集事故がしょっちゅう起きている。
ところで、筆者の拙い英語力で英語版のウィキペディアを読んでみると、どうやら何から何までジョージ警部補のお手柄というわけでもないらしい。本当は彼が到着する前から、群集は少し落ち着き始めていたようなのだ。
きっかけは、午後2時45分に国王ジョージ五世が到着したことだった。また、これにあわせて楽団による「ゴッド・セイブ・ザ・キング」の演奏が始まると、群集はみんなで歌ったという。これが人々の血圧を下げる効果をもたらしたらしく、彼らは当局による雑踏整理に協力し始めたのだった。
また、選手たちも観客に対してタッチラインの外へ下がるよう呼びかけている。結局のところ、大惨事を防ぐことができたのはジョージ警部補という個人の偉業だったわけではなく、関係者の努力の賜物だったのである。
ジョージ警部補とビリー号の功績が伝説化して独り歩きしてしまったのは、身も蓋もない言い方をすれば「その方がドラマチックで面白いから」だろう。
それに白馬はカッコいい。サッカーの聖地であるウェンブリー・スタジアムの初試合が台無しになりかけたところで、颯爽と白馬に乗った英雄が現れて事態を鎮静化する――。これほど素敵なストーリーはちょっとない。
ちなみにこれは裏話なのだが、この「白馬」ビリー号は実際には灰色だったという。ただ白黒のニュース映像では白色で映ってしまうため、「ホワイト・ホース」の強烈なイメージが出来上がったということらしい。
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大衆論・群衆論の名著である『群集心理』を著したギュスターヴ・ル・ボンによると、群集をコントロールするポイントは以下の三つである。
①はっきりと、一方的に、分かりやすいメッセージを出す
②メッセージを何度も繰り返し、人々の心に刻ませる
③感情的な空気を広げていく
そういえば本邦でも近年、群集事故が危惧される現場では「DJポリス」が出動して巧みな話術で人々を誘導するようになった。
DJポリスは、例えばスポーツの試合では「サポーターのもチームの一員だ」というメッセージを繰り返して、集まった観客に責任ある行動を取るよう促すという。巧みな話術でメッセージを伝えて群集をコントロールするというやり方は、まさにル・ボンの述べたツボを押さえているといえるだろう。
ホワイト・ホース・ファイナルで雑踏整理が成功したのも、まさにこうしたポイントを押さえていたからなのかも知れない。
エスコートされて会場に到着した国王の姿や、カッコいい白馬に乗った警官の姿はきっと威厳に満ちていたことだろう。人々を心服させる威厳に満ちた姿、そして皆で国家斉唱。これらは、DJポリスの巧みな話芸と同じように、ヒートアップした群集の狂熱をひとまず鎮める効果があったに違いない。
そういえば、どれくらい的確な喩えかは分からないが、幼児がワガママを言い始めたりダダをこね始めたりした時も、ちょっと別の方向に意識を向けさせるだけで面白いくらいにクールダウンすることがある。
これは、子育て経験者なら一度は経験したことがあるだろう。理不尽なワガママに対して「いけません」などと真正面から否定するよりも、テレビを見せて「ほら面白いのやってるよ」と言ってみたり、「そうだ、美味しいの食べに行こうか!」などと、別の方向に気持ちを誘導した方が効果的なこともある。
何のことはない、群集とは眠くなった幼児のようなものなの……かも知れない。
と、こんなふうに昔々のイギリスでの出来事とDJポリス、それに眠くなった幼児のことをつらつらと連想してつなぎ合わせてみると、「人(群集)の心理は古今東西でそんなに大きな違いがないんだな」と感慨深くなる。
群集をコントロールする手段がいまだ確立されていない1900年代初頭、たまたまとはいえ群集心理のツボを押さえ、大惨事を防いだ奇跡的な出来事。それがホワイト・ホース・ファイナルだったのだ。
もしかすると、群集事故の歴史について知らない人は「奇跡だなんて何を大げさな」と感じるかも知れない。
しかし、当研究室でご紹介している数多くの事故事例を読んで頂ければ、このホワイト・ホース・ファイナルがいかに稀有で貴重な成功事例であるかが分かるだろう。
そして、ジョージ警部補とビリー号の系譜を継ぐ日本のDJポリスという試みがどれほど意義あるものなのか、きっと納得して頂けると思う。
おそるべき群集事故と、苦難に満ちた雑踏整理の歴史をとくとご覧あれ。
【参考資料】
◆ウィキペディア
◆戸田整形外科リウマチ科クリニックホームページ
◆グロウマインド
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