◆神通川バス転落事故(1956年)

 1956年(昭和31年)7月29日のことである。

 富山県中新川郡・立山町にある上東中学校では臨海学校が計画され、全校210人がバス乗り氷見市の島尾海岸へ向かっていた。

 バスは富山地方鉄道(通称富山地鉄)の貸し切りバスで、生徒と教師は3台に分乗。このうち、最後尾の3台目のものが惨劇に遭遇することになった。

 時刻は午前11時30分。富山市安野屋を流れる神通川を渡ろうとしていた時のことだ。バスの前方を1台の自転車が走っており、これを避けようとしたところ、勢い余って橋の欄干を突き破ってしまった。

 この橋の名は富山大橋。かつてここには木製の大橋がかかっており、それは連隊大橋とか神通新大橋とか呼ばれていた。しかし老朽化のため、昭和初期には鉄筋コンクリート製の橋がかけ直されたのである。

 ところが、である。なんという不運であろう、事故当時のこの橋は欄干だけがまだ木製だった。しかもちょうどこの時は、それを鉄製のものに作り変える工事の最中だったのだ――。

 というわけで、生徒59人と教師3名を乗せたバスは10メートル下の神通川へ転落。15歳の女子生徒2名が死亡し、60名以上が重軽傷を負った(記録によっては3名が死亡したともある)。

 これもまた、昭和30年代に続発した「修学旅行事故」の一種である。

 昭和29年には洞爺丸事故に相模湖遊覧船事故、そして翌年には紫雲丸事故と北上バス転落事故と東田子の浦の列車衝突事故が起きており、そして今回のバス事故が起きた昭和31年には、多数の高校生が巻き込まれた参宮線六軒事故も発生している。

 そういえば、筆者がかつて住んでいた秋田県には奇妙なサービスが存在していた。修学旅行に出かけた子供たちの安否を、テレビ局がニュースで随時知らせるというものだ。まだ学生だった筆者はそれを見て「変なの」としか思わなかったが、今思い出してみると、おそらくこれが原因だったのだろう。昭和30年代というのは、修学旅行も命がけという奇妙な時代だったのである。

【参考資料】
ウェブサイト『誰か昭和を想わざる』
富山市郷土博物館ホームページ

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