火災 fire

-火の昔-

山形大火(1894年・1911年)
トライアングルウェストシャツ工場火災(1911年・アメリカ)
白木屋火災(1932年)
函館大火(1934年)
大日本セルロイド工場火災(1939年)
大手町官庁街火災(1940年)
ココナッツ・グローブ火災(1942年・アメリカ)
温海大火(1951年)
魚町大火・かねやす百貨店火災(1952年)
聖母の園養老院火災(1955年)
日暮里大火(1963年)
金井ビル火災(1966年)
菊富士ホテル火災(1966年)
イノバシオン百貨店火災(1967年・ベルギー)
池之坊満月城火災(1968年)
磐光ホテル火災(1969年)
姫路国際会館火災(1971年)
呉市山林火災(1971年)
大然閣ホテル火災(1971年・韓国)
アンドラウスビル火災(1972年・ブラジル)
千日デパート火災(1972年)

◆姫路国際会館火災(1971年)

 1971(昭和46)年1月1日のことである。兵庫県姫路市の4階建ての遊技場「国際会館」が火を噴いた。

 発覚したのは、22時10分のこと。年が明けたばかりのこの日、同施設は21時40分に営業を終えていた。その後、4名の従業員が3階の事務室で後片付けをし、帰路につこうと階段を下りたところで煙に気が付いたのだ。

 燃えているのは、2階の東側にある卓球場だった。さっそく従業員のうち1名が、従業員寮になっている4階まで駆け上がって火事ぶれを行い、さらに3階で消防に通報してから脱出した。他の3名も、火事を知らせたりしながら、急いで階段から避難している。

 一見、もたもたせず迅速に行動しているな~という印象を受けるが、初期消火や火災報知ベルは鳴らされていない。

 もともと、この施設の従業員は、防火管理についての意識が低かった。消防計画は無し、消火や避難の訓練、設備点検も行われていなかった。報知機のベルも停止状態。ハード面・ソフト面いずれも欠陥だらけだった。

 こんな状況だったので、屋内に延焼を助長するような可燃物がたくさん置かれていた……と聞かされても驚く人は少ないだろう。むしろ「ああやっぱり」で、火元から上階へと続くらせん階段の周辺には紙類や木片、ゴム類が積み上げられていた。これらを伝って、火炎は上階へみるみる延焼。煙も一緒に4階へ拡大していった。

 建物自体は耐火造だったという。だがしかし、内装は木造や合板張りだった上に防火区画は存在せず、屋内はすべてぶち抜きでひと繋がりという構造だった。ぜんぶ焼いて下さいといわんばかりだ。なんの抵抗も障害もなく、炎は燃え広がっていった。

 そうこうしているうちに消防隊が到着。この時にはすでに2階の窓から炎と黒煙が噴き出しており、中に進入するのは不可能だった。

 消火作業は外から行うしかない。路上や、周囲の建物の屋上から放水が行われるが、炎は4階にまで拡大していく――。

 この4階というのが従業員寮だったのは先述した通りだが、悪いことに、建物の主な階段が直通ではなく、とても脱出しにくい構造だった。先に火事を発見していち早く避難したメンバーは良かったのだが、逃げ遅れがいた。

 当時この4階にいた男性1名は、最初の火事ぶれを聞いて3階へ駆け下りている。しかし煙に阻まれて脱出はならず、屋上へ逃げた。これは無事に消防隊によって救助されている。

 建物はみるみる焼け落ちた。焼損面積は2~4階の延べ1,844平方メートルである。鎮火したのは、火災発見からほぼ2時間後の23時50分だった。

 そして2名が遺体で発見された。いずれも20代の女性従業員で、一緒に避難しようとして階段を降り、2階に通じる階段踊り場へ出たものの煙を吸ってしまったらしい。

 彼女たちは施設の勤務歴が長く、内部の状況に詳しかった。二人の倒れていた場所から僅かのところに窓があり、そこから隣のベランダへ逃げようとしたのではないかと考えられた。

 火元の卓球場近くにはゴミ箱があり、出火原因はそこに捨てられたタバコだろうと推測された。断定には至っていない。

 余談だが、これを書いている時点(2019(令和元)年5月19日)のちょっと前に、フランスのノートルダム大聖堂が火災で焼け落ちた。それで、タバコが原因ではないかと推測されたのだが、当時改修工事を請け負っていた業者は「確かに現場でタバコは吸ったけど、たった一本で火事になんてなるもんか!」という趣旨の証言をしているらしい。

 いやいやいやいや。

 なるから。

 タバコ一本で、火事に。

 もちろん筆者は、ノートルダム大聖堂のハード面での防火対策がどうなっていたのかは知らない。上述の発言も、周辺情報を無視してそこだけ切り取ったものなのかも知れない。

 しかし、当研究室の数々の事例を見れば明らかである。状況によっては、タバコ一本で大火災になりうるのだ。マッチ一本火事のもとである。タバコのポイ捨てはやめよう。

【参考資料】
特異火災事例
◆『日外アソシエーツ 昭和災害史事典④(昭和46年~昭和55年)』紀伊国屋書店、1995年

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◆道頓堀川飛び込み事故(2019年)

 大阪市中央区の道頓堀地区に、戎橋(えびすばし)という橋がある。道頓堀川にかかっており、ナンパスポットとしても有名で「ひっかけ橋」という異名を持つとか。また、この西隣には道頓堀橋というのもある。

 道頓堀地区といえば、グリコランナーが描かれた巨大看板や「かに道楽」の看板など、定番の観光スポットである。大阪にさほど明るくない筆者のような東北人でも、あのへんの名所と言えば大阪城やUSJに次いで思い出す。

 2019(平成31)年4月30日、20時30分頃にここで悲劇が起きた。

 当時の天皇陛下のご退位と皇太子殿下のご即位に伴い、元号が「平成」から「令和」に変わるまであと三時間半ほど――というタイミングだった。一人の男性が、こう叫んで戎橋から飛び降りたのだ。

「阪神タイガース優勝しました。平成ありがとう!」

 ちなみに、阪神タイガースが2015(平成27)年以降に優勝したという話を、筆者は寡聞にして知らない。こういう「飛び込み」をする時の決め台詞なのだろうか。

 戎橋から道頓堀川の川面までは、約5メートル。男性は川へ向かってダイブした――。

 ところがそこに、一隻の船が通りかかった。道頓堀川を20分ほどかけてクルーズする「とんぼりリバークルーズ」のクルーズ船である。男性は、ゴツンッ! と音を立ててこの船に激突した。この時の様子はネット上でも動画で拡散されており、本当にゴツンッ! と音がするのが生々しい。

 筆者は最初、この動画を観たとき「さすが大阪人。狙ったのかな」と思った。しかしよく見ると、男性は飛び降りる直前に船が来るかどうかを全く確認しておらず、船への激突はまるきり偶然だったのである。天然でこういうギャグをかましてくれるあたり、大阪のお笑いの神さんはさすがである。

 こんな風に茶化して書けるのは、死者がいなかったからである。船に乗っていた人は誰も巻き込まれずに済んだし、飛び降りた男性も命に別状はなかった。さすがにしばらく動けなかったようだが、間もなくその場を立ち去っている(風の噂によると、どこか複雑骨折したらしい)。

 落下した場所に、緩衝用のタイヤがあったからよかったのだ。この時、船には約60人が乗っていた。船頭いわく「橋を通過しかけた瞬間、人がボンッて落ちてきた」とのことで、人間同士が激突していたらどんな大惨事になっていたか…。

 いくらめでたいとはいえ、とんでもない行為である。

 しかしある意味で、驚くにはあたらない。この戎橋とその周辺は、いわば慶事の「飛び降りの名所」なのだ。

 ニュースで見聞きした方も多かろう。ここでは、1985(昭和60)年の阪神タイガースの優勝を皮切りに、2001(平成13)年の大阪近鉄バッファローズの優勝、2002(平成14)年の日韓ワールドカップでの日本代表の勝利時、2003(平成15)年の阪神タイガース優勝時など、大きな出来事の際には多くのお調子者が戎橋や近隣の道頓堀橋から川へダイブする風習があるのだ。最近では、ハロウィーンや新年カウントダウン、季節ごとのイベントでもダイバーがいるらしい。何があったのか、過去には逮捕者もいたとか。

 それだけなら「まあそういう名所なんだろうな」で済むのだが、2003(平成15)年の阪神タイガース優勝時や2015(平成27)年の新年カウントダウンの時には、川へ飛び降りて亡くなった人もいるので笑ってばかりもいられない。

 こういうのの是非については、地元の人から見てもいろいろモヤモヤを感じるものだと思うが、まあ概して「大阪名物」なのだと思う。ハリセンチョップみたいなものだ。筆者の個人的な感想としては、クソ真面目に禁止令を出すようなものでもないと思うし、むしろ怪我をせずに安全に飛び込めるよう整備した方がいい気すらするのだが、どうなんだろう。

 まあ確実に言えるのは、飛び降りない方が賢明である、ということである。道頓堀川は意外と深く、底に足がつかない程だという。また粗大ゴミも多く沈んでおり怪我をする危険性もある。水質も、決してゴクゴク飲めるほど綺麗とは言えないし、正月ともなれば水温は低く、いきなり飛び込めば心臓の悪い人は即死しそうだ。

 今回の男性の飛び降りの後、いよいよ「平成」が「令和」に切り替わろうとする23時55分の段階では、道頓堀周辺には約5千人が集まった。警察官も橋への立ち入りを規制したという。

 資料の情報を総合すると、さすがに封鎖まではしなかったとみえ、拡声器で「立ち止まるな」と呼びかける程度だったようだ。それでも、改元後も周辺での警備は続けられ、これが奏功してか、あとは戎橋以外の場所でポツポツと10人くらいが飛び込んだ程度で済んだらしい。

 ちなみに、船への激突事故が起きた時はまだ早い時刻だったので、全然規制されていなかったのである。

 考えてみると今回怪我をしたこの男性、まだ大して盛り上がってもいないうちにふざけて大怪我をし、肝心のカウントダウン時にはおそらく複雑骨折で苦しんでいたのである。これを幸先の悪い失敗談と考えるか、いい思い出と捉えるかは本人次第だろう。新時代に幸あれ。

【参考資料】
新時代に各地で祝福ムード 道頓堀では“令和ダイブ”も
改元で「道頓堀川飛び込み」 あわや大惨事、クルーズ船の船首に落ちた男性
大阪・戎橋 令和スタートでごった返す、飛び込む人も
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