2018年5月11日金曜日

◆受動、能動、責任

 男女の違いについて、男は能動的、女は受動的、という分類をよく見かけます。これはたぶん、わりとよくある、伝統的な分類でしょう。

 たぶん性行為がモデルになっているんでしょうけど、しかし能動的・受動的という分類は、捉え方によってはどうとでも取れるものです。

 例えば、飛んできたボールを受け止める行為そのものは「受動的」かも知れませんが、受け止めようという意志は「能動的」です。

 僕らの言動は、なんであれ受動的かつ能動的であるのです。

 しかしそうなると、受動的と能動的、という分類には一体どういう意味があるのか。

 その答えは簡単です。

 てきとうな言い方ですが、外部からの刺激に対する反応について、そのシーンをどのように表現したいか…というだけの話です。

 つまり、ある言動が受動的か能動的かは、見る人によって違うということです。

 とはいえ、「見る人によって違う」という言い方も、説明になっているようでなっていません。

 ひとつの刺激に対して、ある人がどう反応しているか。それは受動的なのか能動的なのか…。それについて僕らが表現しようとする場合、何が問題になっているかというと、その「ある人」の「責任」だと思うのです。

 ある人が受動的に行動したか、能動的に行動したか。それが問われる場合、大抵は「責任」が問題になっているのではないかと。

 で、こういった構図で考えていくと、責任というのは最初からなんとなくポツンと存在しているものではなく、表現者が常に必要なのではないか、そういうことになります。

 また、刺激に対する反応という言葉をさっきから使っていますが、例えばコーヒーカップを落とした、それで床が汚れた、そういうことがあったとして、こぼれるコーヒーという刺激に対して床がどう反応したか…と考える人はいないわけです。少なくとも、ある刺激に対して受動的あるいは能動的に行動するのは、生き物に限られます。

 生き物には責任があるんですね。