2016年4月25日月曜日

◆当たり前のこと

 最近痛感するのは、つくづく物事というのは時間と空間のなかで成立したり変化したりしてるんだなあ、ということ。

 「勉強」は嫌いですが、わりと知識欲はあります。だから本も読むし、自分の興味関心の範囲で調べものもよくします。

 でも知識も、整理されないと生きてこないんですね。

 例えば歴代の総理大臣のことを調べていて、何という人がどういう政策を実行して、どういう成果を挙げたのか、というのは比較的覚えやすい。

 でも、じゃあその人の前はどういうことをしたのか、時代状況のどういう移り変わりがあったのか…ということが分からなければ、まあ普通に考えて片手落ちですわな。

 実際、こういうのは多いと思います。自分の好きな総理大臣のことはよく知ってる、でもその人の前は、その前は、あるいはその次は、その後は、というのが分からない。だから影響関係がはっきりしない。断片的な知識はあっても、よく分かってない。

 これは、知識を時間軸上で整理する話ですが、空間上で捉える場合についても然り。得られた知識を空間的な位置関係で把握しないと、やっぱり片手落ちと言わざるをえないことってありますよね。

 例えば今回、熊本と大分で地震があったわけですが、「んで、熊本と大分って日本地図のどのへんだっけ?」と思った人はきっと多いはず。熊本で地震があった、大分で地震があった、で終わりにしないで、その位置関係と活断層のつながりを地図(空間)の上で把握して、やっと理解できることもあるはず。

 考えてみれば当たり前なんですが。

 ただ、その「当たり前」に気付くまでに僕は時間がかかるもので…。

 それほど時間がかかるくらいですから、僕自身も時間だの空間だの、全然把握してませんでした。断片的な知識で満足していることが多々ありました。だからちょっと心を入れ替えなくちゃな、と痛感しています。

 時間と空間。これを僕は、知識を並べていくための「土台」と脳内で勝手に言い表しています。

 考えてみると、義務教育で勉強する内容って、こういう「土台」だったんじゃないかとも思います。

 地理や歴史は言うまでもありません。

 算数(あえて数学とは言わずに…)だってそう。時間やら空間やらの位置関係は数字で計るものです。また、物事は数字で比較しないと分からないものが実に多い。そういう「もの」もまた、知識である以上は時間と空間で把握されますから。

 理科(あるいは科学…?)はどうかな。うまく説明できない。

 国語は、名前を与えた物事を配置するのに役立ちます。てゆうか、言葉を知らないとそれはできません。

 なんか、改めて書いていると、あまりにも当たり前すぎて情けなくなってくるのですが…。みんなは、言われなくても分かってましたか?

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