2015年8月22日土曜日

◆「身内の犯行」

 凶悪犯罪が起きて、その犯人像などについてネット上であれこれ憶測が流れ始めると、必ずと言っていいほど囁かれるのが「身内犯人説」。

 いわく、犯人は親だとか、家族だとか。

 どうして人は、被害者の身内を犯人にしたがるのか。

 それは、犯人が被害者の身内だと、安心するからでしょう。

 言い方は悪いけど、身内が犯人である場合、殺された被害者もなんとなく「自業自得」のような感じがするものです。

 本当に被害者を鞭打つつもりで、そう思ったり書き込んだりするわけじゃなくて。

 その事件が、あくまでも被害者の人間関係の範囲内で起きた「彼らだけのもの」だと、自分には関係がないものとして安心できるのではないでしょうか。

 他にも、凄惨な殺人事件が、実は仲間同士のリンチ殺人だった…ということが分かった場合に、心のどこかで感じる安心感も同じだと思います。

 はっきり言ってしまえば「自分には関係がない」ことがはっきり分かると安心するんですね。

 もしこの考え方に一理あるとすれば、これは裏返せば、犯人の分からない殺人事件が報道された場合、僕らはそれを「我がこと」として受け止めているということです。

 事件が起きる。それがとても身近に感じられる。通り魔だったら、犯人がそこらへんにいて、自分や自分の周りの人を狙っているかも知れない――。そんな漠然とした不安がある。

 だから、その事件が自分には全く関係のない、ひとつの家族や仲間内で起きたものだと分かると、心のどこかでホッとする。

 インターネットのおかげで、こういう不安も安心感も多くの人が共有するようになりました。犯罪が起きればすぐに掲示板サイトでそのスレが立ち上がり、たくさんの人が議論(?)を戦わせています。

 そういう共感の場があること自体は、僕はいいなと思っているんですが。

 ただ、そうした共感の場の裏面である、言うなれば「不安の排除」の傾向がエスカレートしてタガが外れると、意味のない個人情報さらしとかバッシングになってしまう。

 正直、後者の負の側面が、近年ますます際立ってきているような気がしてなりません。インターネット住民が、まるで「一億総監視カメラ」になっているかのような、ちょっと信じられないほどの監視社会。

 便利になったのはいいけど、そういう側面はなんとかせねばなるまいなと思うのです。

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