2014年9月3日水曜日

◆紋切り型を突き崩せ

 昨日の記事で「政治的」という言葉を使いましたが、我ながら分かりにくい言葉だったかな、と後で反省しました。

 もともとあの部分は「政治的イデオロギー臭がぷんぷんする~」という書き方をしていたのですが、なんかそういう書き方自体も政治的イデオロギー臭がぷんぷん臭う気がして、やめたのです。

 まあこの「政治的」「政治的イデオロギーの臭いがする」なんていう言葉も、おそろしく難解だとか使う人が少ないとか、決してそういうものではないと思うのですが、いざその意味を説明しようとすると難しいですからね。

 また説明も百人いれば百様だと思います。さしあたり僕だったら「特定の価値観を隠しつつ、実際にはその価値が前提になっているような言葉遣い」とでも申しましょうか(本当にこれでいいのかはよく分かりません)。

 もっとくだいて言えば「紋切り型の言葉で人を説得しようとしているのが感じられる」といったところです。

 例えば「地産地消という言葉には政治的イデオロギー臭が漂っていて僕は嫌いだ」などという書き方を僕がしたとします。この場合、政治的イデオロギー臭という紋切り型の言葉を使って、それは嫌悪すべきものなのだ、というちょっとカッコつけたような前提を僕は読者に押し付けようとしています。

 あと、ことわざなんかもそうですね。

 ことわざには真逆の意味を示すものが結構あります。例えば「急がば回れ」と「善は急げ」とか、「三度目の正直」と「二度あることは三度ある」とか。

 ですから、このうちの一方だけを使用して人を説得しようとしている人は、ああ自分にとって都合のいいことわざを選んで説得しようとしているんだな、と分かります。

 こういう、価値観が最初から固定されてしまっているような言葉遣いを、僕は「政治的」などと呼んでいます。

 人は、そういう言い方を知らず知らずのうちにしてしまうものです。

 特に、マスコミが垂れ流す紋切り型の言葉を、気が付いてみると日常生活の中で口にしてしまう場合などがそうですね。それを口にすればなんでも説得できそうな気がする。そんな紋切り型の言葉は、かなり多いことと思います。

 まあそういう言葉が、社会を円滑に動かしているんでしょうけど。

 でも自戒を兼ねて、僕はそういうのは好きじゃありません。

 紋切り型の言葉ばかりを使う言葉遣いは、自由ではないからです。

 じゃあ自由な言葉遣いってなんだ、ということになるのですが、それについて最近示唆を受けたのが鶴見俊輔の『文章心得帖』(ちくま学芸文庫)です。

 この本では、紋切り型の言葉は使わないようにしよう、使うとしても最低限の紋切り型にしよう、ということが書かれていました(別に読み返しながら書いているわけじゃないので、僕の勝手な解釈も入っているかも)。

 最低限の紋切り型とは、あるモノやコトを表現するのに、マスコミが使っているような「決まり文句」とはもう全然違います。それを表現するのにもうこれこれ以上切り詰めた決まり文句はないぞ、と確信が持てるような言葉のことです。

 例えば「歩く」「食べる」。

 確かに、これ以上切り詰めようがないですね。

 別に、そういうシンプルな言葉遣いだけを常に選ぶべきだ、というわけではありません。

 ただ、なにか流行の紋切り型の言葉を最初から使ってしまうと、最初から価値観がそっちの方向に無意識のうちに固定されちゃうんですね。

 人は意外と言葉に引きずられるものです。だから本当に暴力を振るうつもりはなくても、ヘイト・スピーチを繰り返したり、それを何気なく毎日毎日耳にしていたりすると、たぶんそのうち本当にそういう考え方に染まりますよ。これ本当です。

 だけど最もシンプルなところから言葉を発すれば、価値観の進路を自分で選び、決めることができます。

 そこには「自分の頭で考える」余地が出てくるのです。