2014年9月22日月曜日

◆小林秀雄の言葉遣い

『小林秀雄 学生との対話』という本が、また大変に面白いです。

 小林秀雄と言えば難しいことを書く批評家の代表格、みたいな感じがしますね。僕も学生の頃に『考えるヒント』を読んでなんだか意味が分からず、それ以来敬遠していました(今読んでみると、昔よりは分かるように感じますが)。

 だけど今回の本は、話し言葉を本にまとめたものなので分かりやすいです。また小林秀雄という人を語る上での大事なエッセンスも凝縮されている感じがあって、読み応えもあります。

 さてところで、小林秀雄の話し言葉を読んでみて気付いたこと。

 字面だけで読むと、高圧的とも取れる語尾が結構多いんですよね。

 例えば。

「だから僕はたくさんの悩みを持っていたけれども、文士になろうという希望を捨てたことはない。それから、自分で考えたことを表現する喜びを捨てたことはないです。僕にどんな焦りがあったか、知らない。だが、焦りも何もなかったら、君どうします? そんなの、君、つまらんじゃないか。」

「つまり哲学を、君、やりたまえ。哲学という目的を、定めることはできないか。なるほど今の世の中で、哲学をやろうなんて考えもしないよな。だけど、君の抱いている悩みは哲学的じゃないか。」

 こんな感じ。

 二人称が「君」だったり「考えもしないよな」とか「~じゃないか」など、講演会の後で学生と質疑応答する場面にしては、乱暴というかぞんざいに聞こえる言葉遣いです。これって職場の上司の言葉遣いじゃないか、という気もします。

 でもそうじゃなくて、たぶんちょっと前の世代の「先生」と呼ばれる人の独特の調子なんですね、これ。

 乱暴な言い方だけじゃなくて、それが丁寧語と混ざって、距離感と親しさと権威が絶妙のバランスになっています。

 実は僕が大学生の頃にも、こういう喋り方をする先生がいました。やっぱり2~3世代くらい上の年代の先生で、今考えてみるとなかなかの名調子だったなと思い出します。

 こういう言葉遣いも、たぶんルーツを辿っていくとどこかに行き当たるのでしょう。僕などは、旧制高校世代の学生たちの喋り方の名残なんじゃないかなと勝手に想像しています。

 実は二人称で「君」という言葉を使うの、僕は結構好きです。同年代以下や恋人などには使ったりします。でも先述したような「上司言葉」に感じられて嫌がる人もいるようです。

(補足:この喋り方、なんか懐かしいな~、どこかで聞いたな~僕は好きだな~、と思ったら、そういえば昔の推理小説の探偵役ってみんなこういう喋り方ですよね。ホームズとか)