2014年9月2日火曜日

◆地産地消

 地産池消、という言葉について、最近よく思いを巡らせます。

 よく耳にしたり、目にしたりすることが多い言葉です。

 ただ最近は聞き飽きた感があるし、何かのスローガンというか金科玉条みたいに繰り返されると、だんだん政治的な臭いが漂ってきて、僕などは引いてしまうところがあるのですが。

 それで原点に立ち返って考えてみると、地産地消というのは、要するに「手の届く範囲にあるものを消費する」ということだと思います。

 食べ物についていえば、身近な地域で採れた野果菜を食べる、と。

 そういうスタイルは、健康にもいいみたいですしね。どこで採れて誰がどんな風に作ったかわからないものを食べるよりは…(という言い方もどこか政治的ではありますが。実際には地産地消だから健康にいい、という絶対的な保証は特にないわけで)。

 一人暮らしをして、効率優先でいろんな食材を試してみると、やはりどうも出自の分からない安物の食料品に行き当たることが多いです。

 別にそれで体調を崩したとか、いわゆる健康被害が生じたなんてこともないのですが、そういうスタイルも飽きてきまして。それで、地産地消っていうスタイルもいいなあ、と思うようになったのです。

「手の届く範囲にある」以外のものは「贅沢品」なんだなあと最近は考えております。

 外食のラーメンなんかもそうで、自分ができな調理法で作られる料理というのは、決して「手の届く範囲」のものではありません。たとえ身近な食材を使っていたとしても、それは贅沢品です。

 高級品ではなくても贅沢品である、という考え方はありだと思います。中国産の野菜なんてのも多分そうで、確かに値段は安いけど、安く○○が食べられる、ということ自体が「ある意味で」贅沢ではあります。

 そんな風に贅沢カテゴリーを拡張していくと、中国産に比べて値の張る地元の食材というものも「高くて体にいい贅沢品」なんてことになってしまいますが、そこはそれ、とにかく食べ物には感謝しましょうということで。

 まあ物事の価値なんてのはゲシュタルト的というか万華鏡的というか、視点をずらしたり180度ひっくり返したりすればくるくる変わるもので。地産地消というのも、いわばそうした価値の角度のひとつです。「手の届く範囲のものを消化することに、価値を見出してみる」。これです。

 怖いのは、そういうひとつの価値に見方を固定してしまうことです。ひとつのキーワードから政治的な臭いがプンプン漂ってきて胡散臭く感じられるようになるのは、そういう固定が実際に起きている場合だと思います。

 しばらくは、飽きるまでレッツ地産地消で行ってみます。