2014年7月22日火曜日

◆『魔法がくれた時間』


これは面白かった。子供向けのようでそうでもない、軽いようでハッとさせられる、そんな意外性に満ちています。

ストーリーは単純明快。老衰で瀕死の状態にあるおじいちゃんを、孫娘がなんとか元気にしてあげようと画策します。それで、森の奥に住んでいる魔法使いのような女性から謎めいた薬をもらってくるのです。

で、それをおじいちゃんに飲ませたら、途端に元気になった。……なったのはいいのですが、おじいちゃんは調子に乗って薬を飲みすぎてしまい異変が起きます。どんどん若返ってまうのです。実はその薬は、病気を治したり健康にしたりする薬ではなかった。若返りの薬だったのです。

ただ若返るだけならいいものの、薬を飲みすぎて四十代、二十代、そして……と変貌していくおじいちゃん。さて結末はどうなるのか、というもの。

読んでいて「子供向けのどたばたストーリーかな」と思ったのですが、途中でハッとさせられたのは、子供になってしまったおじいちゃんが、小学校へ通うことになった辺りです。授業中に戦争の話が出てくるのですが、どうも先生の話している内容が違う。そこでおじいちゃんはたまらなくなり、「違う、実際の空襲はそんなもんじゃなかった」と思わず叫んでしまうんですね。

僕にはこのシーンが非常に印象的でした。大人が、子供に変貌してしまったことで、子供が歴史と出会う。そういう邂逅がここでは描かれています。

というのは、大人というのは基本的に自分のことで忙しいし、子供に対しては保護者の立場ですからね。自分史を語るということはあまりありません。そういうのをしみじみと語れるのはもっと年を経てからです。

一方、子供はと言えば、なかなか老人の自分史なんてものには耳を傾けません。そういうのに関心が湧くのは、えてして大人になってからですね。だから世代間交流ということで言えば、そういうすれ違いがあります。世代が違うからこそ交流すべきなのですが、なかなかそれは叶わない。これが悲しい現実です。

だけどこの物語の中では、それが実現しています。おじいちゃんが子供になってしまったことで、意外な形での世代間交流が実現しています。子供が思いがけず歴史と邂逅しているというのは、そういう意味です。

また、人間は老いてくると子供っぽくなります。ですからこの、おじいちゃんが若返って子供になってしまい、それで却って子供との交流が果たされるというのは、比喩表現なのではないかと思うのです。

老いたからこそ、次の世代との出会いがある。この物語には多分そういうテーマが込められています。オチを言いますと、最後におじいちゃんは自分の運命を静かに受け入れます。人は老いるものだけれど、老人には老人なりの役割がちゃんとある。そういうことを伝えたいのではないか。人間の老いに対する祝福のようなものが、この作品からは感じられます。



余談ですが、この作品では、おじいちゃんの死をてぐすね引いて待っている、遺産目当ての嫌な親戚が出てきます。

日本の小説だったら、こういう親戚たちとも和解して終わる気がするのですが、西欧の感覚だとそうじゃないんですね。責めて責めて最後にぎゃふんと言わせて追い出して終わり、という、乱暴にも見えるオチが印象的でした。

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